第二話 甘え上手とお節介(五)
梢は口元で両手をあわせてウインクし、ワタルをじっと見つめた。すでに助手席に座っている梢を、力尽くで追い出すわけにもいかない。
「仕方ないな。でもこんなやり方は感心しないね。おれの部屋はダメだから、梢ちゃんの自宅で勉強するなら今回に限って見てあげる。
ただし二回目はないよ。おれにも都合があるから」
「ワタルさん、もしかしてデートの予定があったとか?」
「デートって……女子高生の考える予定って、それ以外ないのかい?」
的中されてワタルは内心焦る。だが沙樹とのつきあいをオープンにしていない手前、会いに行くつもりだったとは言えない。
梢が押しかけてきたのが沙樹に連絡を入れる前でよかった。会えるといったその口ですぐにキャンセルしては、大切な人を悲しませてしまう。
「じゃあ今からうちに来てくださいね。うちの両親に紹介します。父と母に会ってもらいたかったし、ちょうどよかったわ」
「会ってもらいたかった?」
梢の考えがワタルには理解不能だ。単なる仕事仲間を両親に会わせたいと言われたことなど一度もない。
ひとつ解っているのは、自分が十歳も離れた女子高生にふりまわされていることだ。これが今どきの女子高生なのか。
相手の立場を考えて慎重に行動する沙樹とは対極の存在だ。
だが妹の詩織も、梢ほど大胆ではないものの、ワタルの都合などお構いなしで好き勝手に甘えてきた。社会人になった今はそれなりに分別がついてきたが、昔は随分と予定を狂わされて、バンド活動と両立させるのに苦労した。
「じゃあ早速うちに来てくださいね」
目を細めて無邪気に微笑むのはいいが、一から十までわがままを許していてはワタルの沽券にかかわる。送り届けたらすぐに家に帰り、沙樹に連絡を取ろう。このままでは今後の負担が増えてしまう。
だがワタルは、家庭教師の件を簡単に考えすぎていた。
梢の両親は最近メキメキと伸びてきた学力を喜び、それはワタルのおかげだと知っていた。
教えたといっても、レコーディングの合間に何度か見てあげただけで、それ以降は特に何もしていない。
ところが両親にしてみたら、諦めかけていた有名大学進学が夢ではなくなってきたので、是非とも家庭教師をやってもらいたいという。
両親自ら、正式な家庭教師として月謝を払いたいというので、ほとほと困り、返事は保留にしてもらった。
時間が取れたのにごめんと、心の中で恋人に謝りながら、梢に数学を教える。時間が取れたときに、詳しく事情を説明しよう。
だが沙樹はワタルの不甲斐なさをどう感じるだろうか。軽蔑されたり心配をかけたりするくらいなら、黙っておいたほうがいい気もする。
次にツアーで地方に行くのは一週間後だ。それまでは東京での仕事が続く。今日がダメでもまだ会える日はある。それまでに話すことを考えておこう。
ところが唯一会えたのは、ラジオ局で番組を収録するときだけだった。梢とその両親に押し切られ、家庭教師を断れなかったのだ。
プライベートを仕事に持ち込むのを嫌う沙樹は、ワタルに限らずメンバー全員とも仕事で必要な会話しかしない。オーバー・ザ・レインボウと沙樹が同じ大学出身で、在学中に活動をサポートしていたことは局内で秘密にしている。
だからラジオ局で打ち明けることもできなかった。
こうして、ワタルと沙樹がプライベートで会えない日々がスタートする。
☆ ☆ ☆
今日は音楽番組の生出演で、オーバー・ザ・レインボウのメンバーはテレビ局に来ている。建物には子会社のFMシー・サイド・ステーションも同居しており、ワタルたちはラジオ番組の収録でもたびたび訪れていた。
今から入る音楽番組のスタジオとはフロアこそ違うが、エレベーターやカフェテリアなど共通の場所も多くもある。出演のたびにワタルは沙樹と偶然会えることを期待するが、一度もすれ違うことはなかった。
だがその日は珍しく、一階で沙樹がエレベーターを待っているのを見つけた。ワタルたちがフロントドアから入ってきたのに気づかず、手元のファイルに目を通している。