第二話 甘え上手とお節介(四)
マイクの前に立つと、梢は今まで照れていた様子が嘘のように、真剣な表情に変わる。生の歌声はどれくらいのものか。実力が楽しみだ。
さあ、キミの実力を見せてくれ。
ワタルはプロのミュージシャンに自分を切り替える。
梢と一緒の仕事は退屈しないだろう。ワタルは兄のような心持ちで、梢のレコーディングが始まるのを見守る。
☆ ☆ ☆
ワタルの提供したデビュー曲は、梢の主演ドラマでエンディングに採用された。番組が視聴率を上げるのに合わせるかのように売り上げを伸ばし、二月には最高で三位にランクインした。スカウトマンとして日下部の目に狂いはなかった。
梢はドラマでも切ない恋心を抱く少女を好演した。子役時代以上に視聴者から受け入れられ、番組は常に高視聴率を叩き出していた。
梢の演じる女子高生の繊細な恋心を表現するシーンでは、オーバー・ザ・レインボウの楽曲が流れ、こちらもチャートの上位に入る。
番組と曲のヒットで、浅倉梢は名実ともに子役から女優、そしてアーティストに成長した。
日下部はこの成功をいたく喜び、ワタルにアルバムにも曲を提供するよう依頼してきた。
同時にバックコーラスやアドバイザーという名目で、ワタルは次のアルバムのレコーディングにも引っ張り出されることになった。
☆ ☆ ☆
それはゴールデン・ウィーク真っ最中のある日のことだ。梢のレコーディングでバックコーラスを終えたワタルは、仕事のあと沙樹の部屋に行くつもりだった。
二月にコンサートツアーが始まってから、すれ違いの日々が続いている。しばらく会えないと諦めていたところに、今日のレコーディングが予想外に早く終わった。沙樹の都合がつくならともに時間を過ごそうと考えた。
スタジオを出て車に乗り、沙樹の都合を確認するためにメッセージを入れようとしたときだ。突然運転席のガラスがノックされた。
ふりむくと、梢がこれ以上はないくらい百点満点の笑みを浮かべ、運転席に座るワタルを見ている。ワタルは急いでスマートフォンの画面を消した。沙樹との密会を梢に見つかったような錯覚を起こして、なんともいえず落ち着かない。
そんな動揺を押し殺し、ワタルは平然を装ってウィンドウを開けた。
「ねえ、今からワタルさんちで勉強を見てくれません? 連休に数学の宿題がたくさん出たんですよ。この前ワタルさんに教えてもらったから解けると思ったんだけど、あたしにはちっとも解けないの」
「今からって、八時も過ぎているの……おい、梢ちゃん」
ワタルの返事を聞く前に、梢は勝手にドアを開けて助手席に座る。
「お邪魔しまーす」
「ダメだよ。遅い時間だし、第一おれの部屋に来るなんて、いくらなんでも出来ない相談だ」
「遅くないですよ。コンサートならこれから盛り上がる時間じゃないですか。それにゴールデン・ウィークだから学校も休みだし、明日のレコーディングも午後からだもん。遅くまで勉強してても平気ですよ」
ワタルは大きくため息をつく。梢は本質が解っていない。いや、解ってやっているのだろうか。
それならなおさら、言うべきことは言っておかねばならない。
「考えてごらん。いくら十八歳になったとはいえ、梢ちゃんは高校生なんだ。ひとり暮らしの男の部屋に尋ねるなんで絶対ダメだ。
それより森下さんは? 家まで送ってもらうんじゃないのかい?」
「ワタルさんに勉強を教えてもらう約束してるからって、さっき別れました」
もちろんそんな約束はしていない。
「断りませんよね。ワタルさんにおいて行かれたら、あたし電車で帰らないと……」
そうすればいいじゃないかとワタルは思う。
女子高生がひとりで行動できない時間でもない。進学校の補習授業や予備校に通っている高校生と比べれば、早い方だ。
「ね。だから、お願い」