第一話 素顔を見せて(一)
第一話「素顔を見せて」
ハヤトでなくワタルを選んだ沙樹は、今になってそれが正しい道だったのかと迷い始める。
が、連れて行かれたワタルの自宅であるものを見て、自分の気持ちをもう一度考える。
ワタルが沙樹を連れてきたのは小さな一戸建てで、みなみの旅館と裏でひと続きになっている。つまりワタルの実家だ。沙樹の手を取り二階に上がったワタルは、部屋に入るなり窓をロックしカーテンを閉めた。
「これで部屋の中を覗くことはできない。沙樹の忠告に従ったよ」
ワタルは腕を組みベッドを背もたれにして座る。沙樹は無言で正面に正座した。
ライブハウスを抜け出してからずっと、沙樹は自分の選択肢が正しかったのかと自問自答していた。到着するまでの短い時間で、考えはまた悪い方へ進む。
あの状況で沙樹を連れ出すには恋人宣言が一番効果的だ。本心であろうとなかろうと、ワタルなら瞬時に計算し行動に移せる。それに気づいたとたん、浅倉梢の影が再び見え始めた。
ピンホールだった不安が今になって心の大半を占める。言い訳でもいいから熱愛報道の件を一言でも話してくれれば心も休まる。
だがワタルは無言で運転していたし、沙樹は話しかける気力も残っていなかった。
——浅倉梢がワタルとの交際を正式に発表したよ。
哲哉の声がよみがえる。真相などどうでもいい。今すぐここから逃げ出したいほどに、沙樹は追い込まれていた。
「そうだ。ちょっと待ってて」
唐突にそう言うと、ワタルは部屋を出ていった。
沙樹は思わず大きなため息をつく。
ひとり残されたおかげで緊張がほぐれ、部屋を見まわす余裕が生まれた。
不思議なのは、一緒に生活していないワタルの部屋が用意されていることだ。普段は主がいないにも関わらず、ここには温もりがある。沙樹たちが知らないだけで、ワタルは頻繁に来ているのかもしれない。
「あ、ギターだ」
部屋の片隅に置かれたスタンドに、アコースティックギターが立てられている。沙樹はこのギターを一度も見たことがなかった。使い込まれて年季が入っているが、弦は錆びていない。手入れが行き届いている。
小さな本棚には音楽雑誌やバンドスコアがぎっしり詰まっている。普段はハヤトの練習部屋になっているのかもしれない。兄弟でギターを弾いている姿を思い浮かべると、沙樹の口元がわずかに緩んだ。
ここにいるだけでワタルに包まれているような安心感を思い出し、やっと会えたという実感が生まれた。そんな些細なことでさえ、沙樹は泣きたいくらいに嬉しかった。
今一度、自分の目的と対峙する。
真実を求めてここまできたのに、あと一歩のところで逃げるわけにはいかない。
望まない結果になったとしても、しっかりと自分を持っていよう。別れの言葉を告げられても恨むまい。運命だったとあきらめればいい。
すべての真実が解れば、おのずと次の行動も決まる。ハヤトにも向き合い、素直な気持ちを話そう。
オーバー・ザ・レインボウの仲間たち。ワタルとハヤト。沙樹にとってかけがえのない人たちが、バラバラになるのを見ているつもりはない。
たとえワタルと破局しても、仲間たちはいつだってそばにいる。気まずさだって乗り越えられる。
「覚悟はいいよね。何が起きても負けちゃだめだよ」
沙樹はぎゅっと目を閉じて自分を勇気づけた。
そのとき「おまたせ」という声とともに、ワタルがトレイを持って戻ってきた。沙樹の決意が固まるのを図っていたかのようなタイミングだ。
「コーヒー豆を捜したんだけど見つからないんだ。いくら注意してもおれが飲み過ぎるから、母さんにとうとう隠されたみたいだよ」
ワタルはベッドの横にあるガラステーブルにマグカップを乗せた。そこには音楽プレイヤーとイヤホンがおかれ、テーブルのそばには文庫本が山積みにされている。




