第六話 心乱されて(五)
「話す必要はないだろう」
「あるさ! 沙樹さんはぼくの、大切な……」
ハヤトが言葉を止め、沙樹を切なげな眼で見つめた。沙樹は息を呑み、ハヤトを見返す。
抑え切れない感情と、ひとつの言葉を無理矢理飲み込むように視線を落とし、ハヤトは、小さく、つぶやくように言った。
「大切な……友達なんだ」
——友達。
沙樹の胸に小さな痛みが走った。肩にまわされた手がためらいがちに下ろされたとき、沙樹は拠り所をなくしたような不安におそわれた。
「沙樹」
ついておいで、とワタルが手で合図する。
「沙樹さん、そんなヤツについてくことないよ!」
ハヤトは一度沙樹を放したのに、また行くなと言って手を取ろうとする。
沙樹は自分の態度を決めかねた。ハヤトの「友達」という言葉には正直なところ失望した。かといって今のワタルについて行ったところで、別れ話をされるだけだ。
ワタルがハヤトと沙樹の前に立ちふさがる。いくら考えてもこの場で結論は出せない。
そのときだ。ワタルが少し表情を緩めて沙樹を見た。そしてハヤトに向かい
「沙樹はおれの恋人だ」
と告げた。ハヤトは目を大きく見開く。
沙樹は言葉の意味を理解できず、小さな声でワタルの言葉を繰り返した。
「あたしが……ワタルさんの、恋人?」
浅倉梢がブログでワタルとの交際を宣言したばかりだ。到底信じられない。
「い、いいかげんなこと言うなよ。浅倉さんが自分で、恋人だって言ってるじゃないか。彼女がウソをついてるってんのか?」
「梢ちゃんの件は最初から話すつもりはないと言ってるだろう。忘れたのか?」
静かな口調ではあるが、反論を許さない強さがある。ハヤトはワタルの迫力の前に力負けし、一歩下がる。ワタルはなんの前触れもなく突然沙樹の手を引き、控え室の扉を開けた。
ドアに耳を当てて中のようすを伺っていたザ・プラクティスのメンバーが、バタバタと控え室に倒れ込む。コメディのワンシーンみたいな彼らを無視してワタルは駐車場に出た。
「ワタルさん、待ってよ。あたし、ハヤトくんに断らないと」
「気にしなくていいよ。ハヤトにはおれがあとで話をつける」
ワタルは車のキーを開けた。
「待てよっ」
ハヤトが駐車場まで追いかけてきた。
「なんだよ。急にあらわれたと思ったら、沙樹さんをさらっていくつもりか?」
「誤解するなよ。さらっていくわけじゃない」
「おおいに誤解してやる!」
ハヤトは納得しない。当然だろう。沙樹の真意も確認しないで半ば強引に連れ出せば、誘拐に見えてもしかたがない。
「浅倉さんって彼女がいるくせに。沙樹さんが本当に恋人か、怪しいものだよ」
ハヤトはさっきまでの勢いをなくし、視線を落として弱々しく呟いた。
「そこまで言うなら、どうするかは沙樹に決めてもらうか」
「あたしに?」
納得できていないのは沙樹も同じだ。ハヤト同様、昨今の報道の中で自分を恋人だと言われても、説得力のかけらもない。
「無茶言わないでよ……」
ずっと優しくしてくれたハヤトを邪険には出来ない。
だが目の前にいるのは、会いたくてたまらなかったワタルだ。やっと会うことができたのに、真相を聞かなくていいのか。このチャンスを逃せば、真意を知ることもないまますべてが終わる。