第五話 かすかな予感(九)
哲哉なら何か知っているかもしれない。
沙樹は店を飛び出し、人通りの少ない路地で哲哉に電話をかけた。この前のように彼女が一緒かもしれないが、そんなことを気にしている余裕はない。
呼び出し音ひとつが長く感じる。四回のコールでやっと繋がった。
「得能くん?」
はやる気持ちを抑えつつ話しかけたが、肝心なときに限って留守番電話サービスに切り替わる。
当てが外れてがっかり半分、そして解答が得られなくて苛立つ気持ちが半分混ざったまま、沙樹はスマートフォンを切ろうとした。ところが慌てた拍子に手が滑って、ディスプレイにニュース一覧が表示された。
一番見たくない芸能人の顔と「浅倉梢、交際を告白?」という見出しが書かれている。
事実を受け入れたくない沙樹は、哲哉に対し強気な発言をしたものの、ネットを避けていた。だが目に入ってしまった今は、興味を抑えられない。
震える指で記事の本文を表示させる。それは今日発売された週刊誌の記事だった。ふと顔を上げると、一ブロック先にコンビニエンスストアがある。沙樹はそこで一部購入し、記事にざっと目を通した。
浅倉梢と一緒にホテルのロビーにいるワタルの写真が、見開きで大きく掲載されている。服装からすると、最近の写真であることは間違いない。
「なんだ、ふたりで東京にいたんだ……」
ワタルと浅倉梢はそろってどこかのホテルに身を隠していた。報道の渦中にいるふたりが一緒に過ごすなど、どう考えても軽率としか思えない。
いや違う。恋人同士だから、事実を報道されたところで何のダメージもないのだろう。
「そういうことだったのね」
沙樹の行動は独り相撲だった。哲哉がいくら応援してくれても、人の心はつなぎとめられない。ワタルの誠実さ、やさしさ、そして愛は、沙樹の元から浅倉梢のものとなった。
片や、超人気アイドルでだれからも好かれる才能にあふれた少女。
片や、FM局に勤めていながら音楽に関してはまったくの素人。
比べるまでもない。十人いれば十人全員が梢を選ぶ。
木枯らしが通りを駆け抜け、街路樹の枯葉を舞い上がらせた。昼間は暖かくても、夜になれば気温はぐっと下がる。
肌を刺す冷たい風に、心の奥にある残り火を消してもらいたい。
このまま気持ちを残しているなんて、あまりにも悲しくて滑稽だ。
沙樹はライブハウスの前で立ち、ぼんやりとワタルのことを考えていた。
心変わりなら、はっきりと別れの言葉を告げればいい。その気もないのにつなぎとめておいて、別の人とつきあっている姿を見せるなんてあまりにも酷すぎる。
ワタルとは長いつきあいだったが、こんな形で人の心を弄ぶような残酷な男性だとは、夢にも思わなかった。
だが沙樹は心の片隅で、こんな終わり方をする日がくるような気がして、ずっと恐れていた。
仕事中心ですれ違いばかりの日々。人気のミュージシャンとラジオ局の社員では、住む世界が近いようで遠い。
デビューまで苦労を共にした恋人を捨て、綺麗な女優とつきあい始めるという話は珍しくはない。いつまでも続くと思っていた自分が甘かった。
哲哉に励まされ、ありもしない希望を信じていた。でも、もうすべては終わった。
ライブハウスに戻ろうとするが、一歩が踏み出せない。
ハヤトがワタルの弟かもしれないという可能性が怖かった。




