第五話 かすかな予感(二)
——浅倉梢がワタルとの交際を正式に発表したよ。
哲哉の言葉は今も沙樹の耳に残っている。雨に打たれて流したかったのに、却って鮮明に焼きついてしまった。
だが一晩過ぎた今、不思議と冷静に受け止めている自分がいる。
——明日の朝一番で帰ってこいよ。
哲哉は沙樹の気持ちを慮り、そう助言してくれた。
だが今はまだ帰れない。ハヤトのライブを見てからでなくては。自分の気持ちを確認してからでなくては。
「沙樹さん、ぼくはそろそろ打ち合わせに行くね」
かけられた声で、沙樹の考えが遮られた。
「戻る前に連絡するから。支度して待ってて」
ハヤトは沙樹の都合も聞かずに、さっさと予定を決めて立ち去った。
☆ ☆ ☆
カーステレオからオーバー・ザ・レインボウの最新アルバムが流れ、ハヤトは運転しながら曲にあわせて歌っている。
「今日はちょっと声が出にくいな」
とつぶやいて咳払いをし、あー、あー、と軽く発声練習をしてまた歌い始めた。
「ええと……まあこんなものかな」
隣に人を乗せていることを忘れ、ハヤトは自分の世界に浸っている。沙樹は無言で練習しているのを聞いていた。
ワタルといるときも同じようなことが何度もあった。ミュージシャンとつきあう以上、音楽とはライバルになる運命のようだ。
店についたときは四時をまわっていた。
「ただいまー。さっき話したお客さんを連れてきたよ」
元気な声に共にハヤトは控え室の扉を開けた。
「やあ、ハヤト。お帰りっ」
タンクトップにジーンズの青年が親しみのある笑顔を浮かべ、スティックをそばのテーブルにおいた。
小さな部屋の中にはロッカーとテーブルがあり、狭いながらもくつろげる空間だ。
沙樹がみんなに視線を移すと、ハヤトを入れて四人は、期待混じりの眼差しでこちらを見ている。
「こちらは西田沙樹さん。さっきも話した通り、東京にあるFMシーサイド・ステーションで番組製作をなさっている方です」
ラジオ局勤務ということで、おお! という歓声が上がった。
「こらこら失礼のないように。この出会いがプロへの第一歩になるかもしれないんだよ」
「ととと、とんでもないっ。あたしはアシスタントなのでそんな力はありません」
ハヤトの言葉で、メンバーの期待するような視線の意味が理解できた。首を左右にふって沙樹がすかさず否定するとハヤトは、
「そういうことにしておけば、みんなが優しく扱ってくれるのに」
と残念そうに言った。
「そんなことしなくても、オレたちは普段からジェントルマンばかりだろ」
だれかが反論すると、部屋は笑いに包まれた。賑やかな声が鎮まると、ハヤトは握りこぶしを口元に当て、コホンと小さく咳をした。




