第四話 冷たい雨(七)
沙樹はハヤトを招き入れ、テーブルをはさみ向かい合って座った。一口飲むと温もりが全身に広がる。思い遣りがたくさん詰まったホットミルクは、風呂上がりの火照った体にも心地よかった。
「風邪ひかないでね。明日はぼくらのライブがあるんだから」
「明日?」
そういえば最後に一軒、サインを確認していないライブハウスがあった。初日に偶然入り、ハヤトと出会った店だ。
——西田さん、明日の朝一番で帰ってこいよ。
哲哉の声が沙樹の頭で響いた。
確かに今となってはここに残る意味はない。ワタルを見つけて浅倉梢との関係を問いただす理由もなくなった。
朝には帰る。それでもよかった。
だがそれは同時には、ハヤト達のライブを見ないことを意味する。ここまでずっと親身になってくれたのに、そんな邪険な扱いはできない。約束を破ってまで東京に帰ること必要もないだろう。
もう少しだけでいい、ここにいたい。
それは沙樹のいつわりない気持ちだった。荒んだ心を抱えて始まった旅は、ハヤトに出会えたおかげで楽しい時間となったのだから。
「もしかしてあんまり体調良くない? 熱っぽいの?」
「ううん、大丈夫。ハヤトくんのおかげだよ。莫迦なことして本当に恥ずかしいよ」
部屋も程よく暖まっている。ふかふかの布団に入れば、朝までぐっすり眠れるだろう。
「そのことは気にしないで。ぼくが勝手にやったことだから。じゃあまた明日……じゃない、もう今日だね。おやすみなさい」
沙樹は驚いて壁掛け時計を見た。すでに深夜一時をまわっている。
「いつの間にか日付が変わってたのね」
「睡眠不足は美容の敵だよ。てことでぼくは家に戻るね」
ハヤトは「おやすみ」とあいさつをすると、部屋の戸を開けた。
うしろ姿がワタルと重なり、そばに寄り添う浅倉梢の影が見えた。
これ以上ワタルに、おきざりにされたくはない。手を伸ばして一言叫びたかった。
行かないで。
だがいくら声を張り上げても、言葉は届かない。優しい眼差しは、他の女性の物になった。沙樹の気づかないうちに、つながった糸はプツリと切れてしまった。
心で涙を流しても、笑顔を浮かべて見送る。取り乱した自分が、ワタルの見る最後の自分にしたくない。いつまでもいつまでも、穏やかな笑顔を覚えていてほしい。
そんな小さな意地とプライドが、今の沙樹をかろうじて支えていた。
以上で第二章第四話「冷たい雨」は終わりです。
次回より第二章第五話「かすかな予感」に入ります。
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お話はまだ続きますので、ぜひお読みくださいね




