第四話 冷たい雨(三)
「沙樹さん、飲みすぎたみたいだよ」
ハヤトの瞳に滲んでいた切なさは姿を消し、いつもの元気一杯の輝きに戻っている。張り詰めていた沙樹の気持ちがふっと緩み、つられるように落ち着きを取り戻せた。
「ごめん、変なこと言って」
「その人って、この街明かりのどこかにいるの?」
沙樹は小さく首を横にふった。
「いたらよかったけど、あたしや友達の思い込みだったみたい。探偵でもないのに人探しなんて無理だったのよ」
「そっか。でもまだ諦めるのは早いよ。希望を持って捜そう。そしたらきっと会える。本当に……会えたらいいね」
夜景に視線を落として、ハヤトがだれに聞かせるでもなくつぶやく。
沙樹も視線を街明かりに落とした。地上にちりばめられた無数の灯りがダイアモンドのごとく美しく輝く。
ピアノの柔らかいタッチが静かな店内を優しく満たす。迷い続ける心沙樹の心に安らぎの場を与え、胸の底にたまった澱を少しずつ消していく。
「ライブハウスめぐりも、あと一軒で終わりだね。急に入った演奏だから、明日の午前中は店長と打ち合わせしてくる。午後にはリハと準備があるから、お昼ごろに迎えにいくよ」
沙樹はうなずいてグラスを口に運んだ。
そのとき不意にスマートフォンが振動して、メッセージの着信を告げた。差出人は哲哉だ。時間ができたら電話してくれと書かれている。
定期連絡の時間まであと三十分ほどだ。それを待てないほどの急用といえば、ワタルに何か動きがあったに違いない。
胸騒ぎがした。一刻も早く連絡を取りたい。
「ごめん。電話してくる」
「じゃあ、もう帰ろうか。天気予報じゃ今夜は雨になるって言ってたから。あ、だめだ。もう降ってきたよ」
ウインドウに雨の滴を見つけて、ハヤトがぼやいた。
「沙樹さんはロビーに行って電話してて。ぼくはマスターに傘を借りてくる」
☆ ☆ ☆
沙樹は一階まで下りた。ホテルのロビーは人影少なく、少しの声でも響きそうだ。
隅にあるソファーに座り、つきまとう胸騒ぎを降り切って哲哉に電話する。
『西田さん、明日の朝一番で帰ってこいよ』
「ワタルさん、東京に戻ったの?」
沙樹は言葉の勢いにつられて立ち上がった。
帰宅したのならその旨ワタルから連絡してくれればいいのに、と沙樹は不満に思う。スマートフォンの電源を切って音信不通にしているから、こんな遠回りをする羽目になる。
でもワタルと顔を合わせたら、不平はすべて消え去る。会って話せば、疑問も不安も笑い話になる。
『そうか。まだ知らないんだな……』
「知らないって? ワタルさんが帰ったんじゃないの?」
『いや、そうじゃなくて……その様子じゃ芸能ニュース、見てねえな』
「見てないよ。ワタルさんのインタビューがとれたの?」