第二話 揺れる想い(四)
ほんのわずかではあったものの、心の底で偶然に会うことを期待していた。
だが実現するとは夢にも思っていなかった。
今すぐ駆け出して胸に飛び込みたい。
それなのに体が硬って足が動かない。想いが溢れてくるのに言葉は何も出てこない。
ワタルを見つめるだけしかできなく、息をするのもおぼつかない。見つめるだけで精一杯だ。
「……ワ」
やっとの思いで声を出しかけたときだ。
「沙樹さん、どうしたの?」
ワタルが沙樹のそばに近づき、イリュージョンがゆれて消えた。
「え、ハヤトくん?」
ステンドグラスの下にいたのは、ワタルではなくハヤトだった。会いたい気持ちが七色の光に惑わされ、沙樹に残酷な幻を見せた。
「夢でも見てた?」
ハヤトは床に落ちたコートとバッグを拾い、沙樹に手渡した。
「名前を呼ばれて現実に引き戻された。そんなふうに見えたよ」
ハヤトの、どこか思い詰めたような眼が沙樹の足元を見た。
「いつ入ってきたの?」
「沙樹さんのすぐあとだよ。ずっとうしろにいたのに、全然気づいてなかったんだね」
ハヤトは持っていたネックウォーマーを被り、沙樹に背を向けた。
「どうしたの? どこに行くの?」
「大学。さっきロック研の仲間からメッセージが入ってさ。週末、急にライブを依頼されたっていうんで打ち合わせしたいから、カフェテリアに来いって」
ふりむきもしないで、ハヤトは話を続ける。
「ぼくから誘ったのに、急にキャンセルしてごめん」
沙樹の歩みが止まった。
気にしなくていいから行ってよ。
そう言いたかったのに、声が出なかった。沙樹を拒否するような背中に、言葉が止まった。
ハヤトを見送ったあと、沙樹はうつむき加減で洋館を出た。木々のざわめきが耳につき、通り過ぎる風が冷たい冬を運ぶ。
秋晴れを思わせるような澄み切った青空はすでになく、いつの間にか厚く鉛色をした雲が広がり、冬の訪れを主張していた。
☆ ☆ ☆
ハヤトと別れてから、沙樹はひとりで繁華街にでかけた。
ワタルと出かけるときは、CDショップや書店に行くことが多い。CDショップは仕事の延長でもあったが、書店は完全にワタルの趣味だ。中でもSFやミステリーが好きで、それが高じてSF映画もよく観に行った。
「そうか、映画館にいるかもしれないんだ」
沙樹はスマートフォンで上映作品を調べたが、ワタルが好みそうなものはなかった。
ちょうど目の前にあった大きめの書店に足を運ぶ。会える可能性はないと解っていても、素通りできない。そして予想通りワタルの姿を見つけられないで終わった。
闇雲に捜しても意味がない。そのことを実感したとたん、疲れがどっと出てきた。
沙樹はカフェに入り一息ついた。ガラス越しに街路樹を見ると、去って行ったハヤトの後ろ姿が浮かんだ。
バンド仲間からの呼び出しは、おそらく口実だ。しかしそんな言い訳を作って沙樹を置き去りにした理由が解らない。
今朝はハヤトを避けたかったのに、いざ去られると落ち着かない。
ほんの少し話しただけなのに、昔から知っているような感覚に包まれた。ハヤトがそばに近づいただけで、沙樹は平常心をなくしてしまう。指が軽く触れただけで胸が高まる。
恋を知ったばかりの少女ではない。自分が今どういう心境になっているのかは簡単に判断できた。
「でも認めたくないよ。こればかりは」
ここに来た目的は忘れていない。それ以外のことに気を取られている時間はないのだから。
「解っている。やらなきゃいけないことは」
沙樹はコーヒーを飲み干し、カフェを後にした。
以上で第二章第二話「揺れる想い」は終わりです。
次回より第二章第三話「ライブハウス」に入ります。
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お話はまだ続きますので、ぜひお読みくださいね。




