第二話 揺れる想い(三)
周りの空気が一変した。大通りから少し外れただけなのに、草木の匂いが立ち込める。
今まで街中にいたはずが、突然自然の森に迷い込んだ。
「わあ」
意外な場所の出現に、沙樹は感嘆の声が出た。
市街地の中心に小高い丘をもつこの街は、それを囲むようにして発展してきた。麓に、森を背にしてモダンな洋館が建っている。緑の中にある大正浪漫。時代を飛び越えてしまったような驚きだ。
「すてきな場所ね。ここだけ時間が止まっているみたい」
「よかった。沙樹さんに喜んでもらえて」
晩秋の柔らかな陽射しをうけ、ハヤトが笑みを浮かべた。
ライブハウスのスポットライトより、自然に囲まれているほうがハヤトらしさが引き立つ。
「あー、気持ちいい」
沙樹はハヤトの手を放し、両腕を上げて背伸びした。コートを脱ぎ、全身で太陽を浴びる。
「寒くない?」
「ぽかぽかして気持ちいいよ」
沙樹はコートを手に、洋館の外まわりを一周した。デートコースにもなっているのか、観光客に混じってカップルの姿を見かけた。
ワタルも来たことがあるだろうか。正面玄関に立ちバルコニーを見上げながら、姿を消した恋人に想いを寄せる。
洋館の中も一般公開されていたので、沙樹は興味津々で足を踏み入れた。
大広間には、丁寧な細工の施されたビードロのグラスや陶器のカップなどといった展示物が、ガラスケースの中に行儀よく並べられている。壁にはめられたステンドグラスを通り抜けた陽射しは、色とりどりに装飾されて、室内をあざやかに演出し、沙樹にも降り注いだ。
広間を満たす七色の光は虹の輝きにも似て、ステージを飾るたくさんのライトを連想させる。沙樹はステンドグラスを見上げるように立ち、目を閉じた。明るい光がまぶたを通して網膜を刺激する。
ミラーボールに反射されたライトがあふれるステージに、オーバー・ザ・レインボウの姿が浮かんだ。
優しい風に葉をそよがせる木々の音と、遠くの大通りを行き交う車の音が、静かな館内までかすかに届く。それらの音がイメージの中の歓声と重なって、沙樹はコンサートホールにいるような錯覚を起こした。
見慣れているはずなのに、何度見ても新しい発見のあるライブだ。
力強いボーカルに圧倒され、激しいビートに体が震える。ステージの上にはギターを弾くワタルの姿もあった。哲哉と絡み合いながら、誰よりも活き活きと演奏している。
見ているこちらまで、ステージで歌っているような錯覚すら覚えるほどの連帯感がある。
あのライブを、今までと同じ気持ちで楽しめるだろうか。
そんな考えが頭をよぎり、一気に気持ちが沈む。心の中に生まれた重い鉛を感じていると、不意に人の気配を感じて、沙樹は目を開けた。
「……えっ?」
逆光の中にたたずむ人影が見える。
「まさか、そんな……」
コートとバッグが床に落ちた。まぶたに浮かんだ映像を、現実の世界で見てしまったのだろうか。
手を伸ばせば消えてしまいそうな陽炎の中に、ワタルが立っていた。




