第三話 差し込んできた光(九)
「再婚?」
沙樹はインスタントのココアをテーブルにおきながら、訊き返した。
哲哉はうなずくとカップを手前に引き、言葉を選びながら語り始める。
「ああ。極めてプライベートな内容だから、本来ならおれが話すようなことじゃないんだ。でもこういう事態だからワタルも解ってくれるだろう。
その代わり、他言は絶対にだめだぞ。たとえバンドメンバーでも」
哲哉は何度も何度も念を押し、沙樹は同じ回数だけうなずく。
ようやく哲哉はココアを一口飲み、ふうと息を吐いた。
「あれはたしかおれが小学一、二年のガキのころだったから……ワタルは二、三年生になるな。ご両親が離婚して、北島家はワタルと親父さんのふたりになったんだ。
男所帯で、ワタルもそんなに大きくなかったのに、仕事で忙しい親父さんに代わって、子供なりに慣れない家事を手伝ってたんだから、大したもんだよ。
それが終わったのは、ワタルが中学生になった春だっけ。親父さんが再婚したのさ。おばさんは女の子を連れててね。だからあの兄妹は血のつながりがないんだ」
「そんな話、一度も聞いたことなかった」
「おれだってワタルから聞いたわけじゃないぜ。幼なじみだからたまたま知ってるだけで、メンバーだって知らない話さ」
沙樹にだけ黙っていたわけじゃないんだよ、と哲哉が暗に教えてくれた。
「必要もないのにペラペラしゃべるよう内容じゃないからな。でも何かの機会に、ワタルは西田さんにも話つもりだったと思うぜ」
哲哉は、ワタル自身が話すタイミングを計っている件を、自分の口から告げることに躊躇いがあったのだろう。
「じゃあ、ワタルさんは実のお母さんのところにいるかもしれないのね」
「多分な」
「今すぐ電話しようよ。急にかけたら驚くかな。あ、でもあたしじゃなくて得能くんがかけるべきね、ここは」
沙樹ははやる気持ちを抑えながら、スマートフォンを充電器から外した。ところが対照的に、哲哉はうつむいたまま、人さし指で頬をかいている。
「どうしたの?」
「いや、それが……電話番号どころか、住所や名前も解んねえんだ」
「えっ?」
「……ごめん」
哲哉は肩をすくめて頭をさげた。
「おれ、実のお袋さんがいるってことだけで、具体的なことは何も知らないんだ」
離婚当時哲哉が小学校低学年だったことを考えると、詳しいことを知らなくても責められない。
「初めに断っておくけど、おれがワタルの親父さんから聞き出すなんてごめんだね。西田さんも絶対にやっちゃダメだぜ」
さすがの沙樹も、ほとんど会ったことのない相手にそこまでする度胸はない。
「ワタルが高校のころまでは、毎年夏休みに行ってたようなんだ。そういえば大学のときも一度行ってるな。土産に地域限定のキーホルダーをもらった」
哲哉は自動車のキーをリュックから取り出し、テーブルの上においた。年季の入ったキーホルダーには県名が書かれている。
「本当にここにいるのかな」
やっと見つけたワタルの手がかりは、幻のごとく儚い。
伸ばした手は宙をつかむようで、沙樹はもどかしくてたまらなかった。
「その点なら大丈夫さ。プロになってからは帰れていないから、機会があれば行きたいって、つい最近も言ってたぜ」
「本当に?」
「確実な証拠はないさ。でもおれは確信してるね。今となっては」
哲哉は腕組みをし、自信たっぷりにうなずく。
迷っている時間はない。沙樹は哲哉の勘に賭けることにした。
もしワタルに会えなかったとしても、縁のある土地をこの目でみたい。そうすれば、今まで知らなかったワタルの一面に、触れることができる。
それだけでもいい。じっとしているなんて沙樹にはできない。ワタルの影が残る街なら、たとえ会えなくても行ってみたい。
ワタルをもっと知りたい。それこそが手がかりにつながるはずだ。
沙樹はそう信じて疑わなかった。
以上で第一章第三話「差し込んできた光」は終わりです。
次回より第二章第一話「すきま風と大きな手がかり」に入ります。
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お話はまだ続きますので、ぜひお読みくださいね。




