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 すっと扉が開いた途端、ままの声がした。

「胡桃」

 しまった! 

胡桃の心臓がギュッと縮こまる。

 静かだけれども、はっきりとした低い声に、ままの怒りが滲んでいた。

「どこに行ってたの? 勝手にいなくなったりしたらダメでしょ!」

「近所の人に見られたら、どうすんだ」

 ままの後ろから、浩二さんも顔を出した。

「ホントよね。入りな!」

 だんだん大きくなるままと浩二さんの声に胡桃は固まってしまって、家の中に入ることができない。

「ちょっと! いつまで玄関開けっ放しで突っ立ってんのよ! 虫が入ってくんじゃない!」

「おい! 聞こえないのか!」

 動くことのできない胡桃の肩を、浩二さんの手が掴んで家の中に引きずり込んだ。

 そうして胡桃は今、小さな暗闇の中にいる。まわりには洋服がたくさんぶら下がっていて、その中で胡桃はひざを抱えて丸まった。

浩二さんもままも寝てしまったのだろう。扉のすき間から明かりはもれて来ない。さっきげんこつでぐりぐりとされたおでこがジンとした。

「なんなのその反抗的な態度!」

「勝手にいなくなるなら、もう帰ってこなくていいんだぞ」

 ままと浩二さんの冷たい声が頭から離れない。暗がりで痛む頭を撫でさすりながら、胡桃の目にじわっと涙が浮かんだ。

 もう、どこかに行っちゃった方がいいのかなあ?

『おまえさんがこの世界で暮らしたいと願うなら大歓迎さ』という、シルバーの言葉を思い出した。

「シルバー……。エリー……」

呟いた途端、胡桃が閉じ込められていた洋服ダンスの扉が音もなく開いた。

 胡桃はびっくりして、狭い空間の隅っこに体を寄せた。

この洋服ダンスは扉を開けるとき、いつも大きな音がするのだ。ままと浩二さんに気付かれずに開けられたことが一度もない。

「くるみさん、呼びました?」

 開いた扉からひょっこりと顔を出したのは、まん丸顔のトラ猫だった。

「エリー!?」

 思いがけず大きな声が出て、胡桃は口元を押さえた。

 エリーはそんな胡桃を見て、ふふふっと笑った。

「どんなに大きな声を出しても大丈夫ですよ。普通の人間は気づきません。私たちは選ばれた猫なのです! 魔法が使えるのです!」

 胡桃が恐る恐るタンスの中から這い出すと、そこにはたくさんの猫たちがいた。縁側に面した掃出し窓が開いていて、部屋の中も外も猫で溢れている。窓の外からは月の光が差し込み、辺りを白っぽく照らしていた。

「くるみの呼ぶ声が聞こえたんだよ」

 たくさんの猫の間から、車いすに乗ったシルバーが胡桃の前へとやって来た。

「私らと一緒においでよ、くるみ」

 ゆっくりとささやくシルバーの声が心に染みていく。それは胡桃にとって、とても魅惑的な誘いだった。けれども……。

「ぼく、行ってもいいのかなあ」

 胡桃にはまだ迷いがあった。

「いいとも」

「僕が逃げ出したら、まま、困らないかなあ?」

 今度はシルバーは答えなかった。水晶玉のような瞳で、ただ胡桃を見つめている。

「まま、さみしくないかなあ?」

 胡桃は母が寝ている寝室の方へ目を向けた。

「それにぼく、シルバーたちの邪魔にならないかなあ?」

「邪魔なんかじゃないよ。それどころか、私たちはおまえさんに手伝ってもらうんだ。おまえさんは私らに、うんとこき使われるんだよ。なにせ猫の恰好じゃ、人間の世界に買い物にすらいけないんだからね」

「ぼく、お買い物するの?」

「他にいくらでも仕事はあるさ。お客様の注文を取ったり、料理を運んだり」

「楽しそう!」

「そうかい? そりゃあよかった。ただ胡桃。お前はもう二度と母親に会うことはできないよ。それが逃げ出す代償だ」

「代償って何?」

「つぐない。逃げ出す代わりにお前が差し出さなければならないものだよ」

 楽しい気持ちになりかけていた胡桃の心に影が差した。ままのそばを離れるのが、怖かった。けれども……。

『まじでどっか行ってくれない?』

『ほんと邪魔』

 ぶつけられた言葉が耳の奥で再生される。

 ひっこんでいた涙がまた溢れそうになって、胡桃は慌てて目元をこすった。

 さあ行こう、胡桃。

 シルバーの白いふわふわとした手が胡桃へと差し出される。

 とまどいながら、それでも、ゆっくりと胡桃の手がシルバーの手の上に乗った。

月の光が輝きを増し、部屋の奥まで差し込んで、胡桃を包み込んでいく。

 思わず目をつむった胡桃の、瞼の裏まで明るくなった。

「目を開けて、右手のしるしを見てごらん」

 促されて胡桃が右手の甲を見ると、あの三日月型のあざが鮮やかな紅色になって浮き出ていた。

「それ以外のあざは、きれいになってるからね」

 今度はシャツをまくって確かめてみる。今まで絶えることのなかった青あざが、体のどこにも見当たらなくなっていた。

「さあ、行こうかね?」

 シルバーが言うと、エリーが車いすを押して歩きだした。


 誰もいない夜の道を、猫の行列が通っていく。

 先頭は、小さな男の子と車椅子に乗った真っ白な猫。車椅子を押すのはまるまる太った茶色のトラ猫。

 でんぐり返しをしている猫もいた。浮かれて踊りだしている猫もいた。

 歌ったり、スキップをしたり。なんだかみんなうきうきと、月の光の中をころころぞろぞろと楽しげに。そうして、世界はまたひっそりとした静けさを取り戻していった。


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