5
次の街には予定よりも早く着いた。
愛宕利棲。
そこは国境の兵士たちが一夜の夢を買う町だ。
夜には魔光が煌めき幻想的な景色になると聞いたが、昼間の歓楽街はどこか疲れ切った顔をしている。
通過しようと思っていた愛宕利棲で、彼らと同じ世界から来た斎藤兼光と会った。
彼もまた不思議な人物だった。
自己紹介代わりに歌った彼らの歌を興味深そうに、しかし、どこか懐かし気に聞いていたが、歌い終わると今度は子どものような顔をして、優陽の口に手を突っ込もうとしている。
「口の中に楽器でも入っているのかね」、と。
それはリョークも少し思ったことなので斎藤の行動をじっと見てしまう。
「いやいやいやいや」
浩平が焦ったように斎藤の手を止めた。
「斎藤さんは戻らなかった人なんですか?」
慌てて話題を変えた浩平に、斎藤は、チッと舌打ちをして手を引っ込める。リョークも優陽の口の中の秘密を知りたかったので少し残念に思う。
「いやー、戻らなかったというか、戻れなかったというか」
斎藤は少しだけ困ったように言い淀むと、へら、とあきらめたように笑った。
斎藤はこの世界に降り立って最初は混乱したらしいが、そのあとに沸き上がった好奇心に負けて、早く王城へ行けという周りの声を無視して興味の向くままにこの世界(国)を見て回ったという。
王城へ着いたのはこの世界に来て、10日後。
聖女は王城についた斎藤にもう元の世界に戻れないことを告げた。
「向こうの世界に残して惜しいものはなかったから、ここにこうして順応しておるよ」
といったその顔に浮かぶのは寂寥。
今はこの街の女の子にちやほやされるのが嬉しくてここにいます。
斎藤はごまかすようにだらしがない顔をして笑った。
「兼光さん!嘘はだめよ!」
背後からの高い声にリョークが振り向くと、桃色の髪の可愛らしい少女が駆け寄ってきて斎藤の腕に絡みついた。
ユリカネ、と名乗った少女は斎藤の妻だと言い張るが、斎藤はそれを即座に否定した。
「私を変態にしないでおくれ」、と。
斎藤は腕に絡む少女をうっとうしそうにしながらも、慈しむような、優しさにあふれた瞳で彼女を見ていた。
「兼光さんは水の管理をしてくれているの。
国境付近で蔓延していた病気が鉱山から出る汚い水のせいだっていうことを突き止めて、鉱山からでる水をきれいにする方法を教えてくれたのよ。
そして今は、それがきちんとできているか見てくれているの。
そのためにこんな国の端っこにいてくれるのよ。王都にも大きな屋敷があるのに」
自分のことのように誇らしげに斎藤の話をするユリカネを見つめるその視線に熱はない。
彼女に向ける視線には家族に向けるような、慈しみが溢れている。
「王都の女の子は触らせてくれないから嫌いだ」
そう言ってそっぽを向く斎藤の耳は赤い。
斎藤は食事にAzumashi達を誘った。
大きなステーキにリョークは心躍る。こんな厚いステーキは初めて食べる。外は程よい焼き加減で、中はしっとりと焼き上げて、噛むとじゅわりと肉汁が溢れる。うまい。
話をせずにもくもくと食べるAzumashi達に、斎藤が不思議そうに質問を投げかけた。
「ずいぶん、静かに食べるね」と。
聞けば異世界では疫病が蔓延し、ヒマツカンセンというもので広がるので、食事中は話すことをせず、口元を覆う布を必ず着用して、あまり人が集まらないような生活を余儀なくされていたという。
その言葉に斎藤は眼を丸くした。
「向こうはそんなことになっているのか!」
斎藤は一年と少し前に豊の川にいたところをユリカネに見つけられたのだという。
「私が向こうにいた一年前にはそんな病気は流行っていなかったなぁ」
という一言に、Azumashi達は驚愕と疑問を浮かべた顔を見合わせた。
「・・一年前はちょうどピークの頃で、飲食店も軒並み休業、会社にも行けずに在宅勤務、外出も制限されていたころですよ」
隼人がそう説明すると、斎藤は、はあ?と猜疑の声を上げた。
「私は満員電車にぎゅーぎゅーに押し込められて、片道一時間半の通勤をしていたぞ。在宅での仕事って何をするんだ?会社に行かなければ仕事はできないだろう」
「電子化が進んでいる会社なら、ネット環境があれば何とかなります。飲み会も自宅に居ながらリモートでしてたし・・」
「り・もーと・・」
ええ、と優陽が頷く。何やら、スカ・・とかずーむぅ何とかと呪文を唱えて、知りませんか?と首を傾げる。
斎藤は首を振った。そしてこちらに飛ばされた向こうの世界の年号を口にすると、Azumashi達は絶句した。
「僕たちが生きている時代はそれから10年以上たっています」
尚文の静かな答えに、今度は斎藤が絶句した。
「時の流れがだいぶ違うのだね」
ショックから立ち直った斎藤が独り言のように言った。そして納得したように目を開く。
そして、Azumashi達に一刻も早く王城へ行くように言った。
彼らと斎藤の話を聞きながら、リョークは申し訳なく感じていた。
彼らの世界を襲った厄災。ようやくその黒雲が晴れ、大勢の人々と歌を歌う時間を共有できるようになった矢先の、素晴らしい時間を切り取られて彼らはこの世界に呼ばれたのだ。
初めて会った時、彼らは「ようやくライブができたのに」と悔しがっていたのはそのためだったのだろう。
彼らと歌を奏でるのは幸せだった。
その時間がもっと長く続けばいいのにと考えていたことを反省する。
彼らは彼らの世界が、日常がある。今、この世界にいることが彼らにとっては非日常で、彼らは元の世界に戻りたいのだ。
斎藤は彼らの世界の話を懐かしい、とも違う表情で聞いていた。隣に座るユカリネは、じっと斎藤の顔を見つめていた。少し怯えるような、彼にすがるような目で。ユリカネはきっと斎藤が元の世界に帰りたいと願うことを恐れている、とリョークは感じた。
ユリカネの危惧は杞憂に終わる。
しかし、生まれた世界への郷愁は感じているようだった。斎藤は彼らに異世界の歌をリクエストした。
「早く王城へ向かえ、といった口でこんなことを頼むのも気が引けるのだがね」
そういった斎藤の顔は、もう帰ることができないことを受け入れている顔だった。
Azumashi達が歌う異世界の、がんばれ、がんばれと背を叩いて励ますようなその歌詞を噛み締めるように味わっていた。
愛宕利棲では吟遊詩人が長らく来ていない。
Azumashiの歌声に歌に飢えていたらしい街の人々が集まってきた。
斎藤のリクエストを歌い終えたAzumashi達は、リョークも歌に誘う。誰かが作った街の広場の即席ステージに上がる。期待に満ちた町の人々の視線が、リョークたちを見つめている。
わくわくと期待のような、緊張のような不思議な心地にリョークは笑みを零した。
歌うのは彼らが作ってくれた、彼らとリョークの竜殺しの英雄譚だ。
歌いながらリョークは決意する。
彼らと歌える貴重な時間を大切にしよう。
王城に行ってしまえばもう彼らとは二度と会うことはない。だから、この時間を惜しむのではなく、この時間を糧にしよう。彼らの作る音楽に身を委ねるのではなく、彼らの音楽を身に染みこませ、彼らの音楽を自分の中に落とし込むのだ。
そうすれば、きっとさみしくない。
斉藤と別れた後、少しだけ5人で相談ごとをしていた彼らはリョークにいくつかの異世界の歌を教えてくれた。
「たまに斎藤さんに聞かせてあげて。彼が好きなバンドの歌なんだ」と依頼も添えて。
命を叫ぶような、そんな歌い方が似合う歌だった。師匠の歌を歌うときとは違う歌声を使う歌でリョークは楽しくなる。いろいろな歌い方を身に着けるのは嬉しくて楽しい。
馬車の上で練習をする。喉を潰さないように、まずは清音で歌って、メロディを体になじませる。歌っているうちに気持ちよくなる。
がんばれ、と背中を押すような、彼らが斎藤さんに送った歌を真似して歌ってみる。歌っているこっちにもエールを送られるようなそんな詩だ。こんな風に聞く人を元気づけるような歌を歌えるようになりたいと切に願う。
歌いながらリョークは暖かな風を感じていた。
柔らかな慈愛に満ちた手が頬を包んでいるような、嬉しいような、照れくさいような気持になる。
風がさらさらと歌うリョークの緑の髪を撫でていく。