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「アンコールの前に異世界へ」というお話の、リョークサイドのお話です。単品でもお楽しみいただける・・・とおもいますがどうでしょうか・・
あれは4つか5つの時。
「リョークの家はみんな青い髪なのに、リョークだけ緑なんだね。どうして?」
幼馴染の何気ない疑問。
指摘されて初めてリョークは自分だけが違う髪の色に気が付いた。
母の髪色は少し黄色がかかった薄い青、父は深く濃い青い色の髪。
長兄も次兄も、三番目の兄も、濃淡の違いはあれど両親と同じ青い髪を持っていた。
それなのに、自分の髪は新緑のような緑色だ。青い色彩の中でその明るい緑は目立つ。
友達に聞かれてもリョークは何も答えられなかった。
母に聞くと、母は少し困った顔で微笑むとぎゅっと抱きしめてくれた。
「あなたの髪の色が違う理由は今晩、お父さんから話してもらうわ」
愛してるわ。私の可愛いリョーク。
その夜。リョークは父から思いもよらないことを聞いた。
リョーク、お前はね、私たちと血のつながりはないんだ。
お前は二年前国境近くの市の渡で一人で泣いているとこを俺が拾った。
近くには誰もいなくて、周りは焼け野原で。その中でお前は、お前だけが無傷で泣いていた。
あの状況では誰も助かっていないと思う。
親を探そうとしたが、その後には市の渡には近づくことすらできなくなっていた。
だから、うちの子にしたんだ。
髪の色が違っても、血がつながっていなくてもお前は俺の息子だ。
その話は幼いリョークには衝撃的だった。
今ならばわかる。兄弟分け隔てなく、逆に末っ子のリョークはみんな甘く優しく育てられた。
しかし、その時はなんというか疎外感でいっぱいになった。
それから。
疎外感で家族にどう接していいのかわからなくなったリョークを、父母はことあるごとに抱きしめてくれた。兄たちもリョークの肩や背に手を置いて、「お前は俺の大事な弟だ」と言葉をくれた。
母の、リョークの緑の髪を愛おしそうに撫でる手も。
父の、リョークを見つめる目も。
リョークを近所の子供の揶揄いから守る兄たちの背中も。
家族の言葉も態度もすべてリョークを家族だと言ってくれていた。
髪の色が違っても、リョークは、オオオノの子だ。リョーク・オオオノだ。そう、強く認識できるようになった。
それから、時折、近所の子供にもらい子という悪態をつかれることはあっても、リョークはそのことを気にすることはなくなっていた。10歳になって仕事を探すようになるまでは。
父は腕のいい細工師だった。手先が器用で魔法のように何でも作り出す。
母の裁縫の腕はピカイチで、領主様のお嬢様の普段着のワンピースはいつも母が指名を受けて作っていた。
その両親の間に生まれた兄たちも手先がとても器用で、長兄は隣町の細工師へと弟子入りし、次兄は建具師になるべく街の建具屋に通う。三番目の兄は刺繍の腕を認められ、母の仕事場の伝手で都の服飾師のもとへ行った。
リョークは絶望的に不器用だった。
細工をしようとすれば手を削り、釘を打てば木を割り、金槌で手や足を打ち据えてしまう。針を持っても同じこと。縫う布は血に染まり、布を裁つ代わりに手を切る。
手先を使う職人にはなれない。その結論はすぐに出た。
こんなところで血のつながりがないことを自覚するとは、とリョークは一人こっそり泣いた。
こっそりと見つからないように泣いていたはずなの、気が付くと傍らに父がいた。
父は丸まって泣くリョークの隣にしゃがみ込むと背中を優しくなでながら言った。
「手先が不器用だからなんだっていうんだ。お前は頭がいいし、計算が早い。
父さんの知り合いに商人がいる。市ノ渡にいる男だ。彼ならお前を預けることができる」
そうしてリョークは、市ノ渡の商人、フィーヨル・ササガノの元に預けられた。
商人の仕事はきついこともあったが楽しかった。
何よりお客さんを相手にするのが楽しい。
入ってから一年は店先でお客さんの要望を聞いたり、店にあるものを売り込んだりするのがリョークたち見習いの仕事で、それをしながら扱っている商品の知識を深め、お客さんの趣味嗜好を探る勉強をする。夜には読み書きや計算、審美眼を養うための勉強があり、忙しく、しかし、充実した日々を送っていた。
ササガノ商会での生活が二年と半年を過ぎたころ、市ノ渡に吟遊詩人がやってきた。
吟遊詩人は「鳴る」ものがなるためその数は少なく、しかも、貴族や王族に囲われるものがほとんどだ。渡りの吟遊詩人はとても数が少ない。
弟子が欲しくなると吟遊詩人は渡り始める。
自分が師匠から脈々と受け継いできた歌を、自分が新たに作った歌を弟子となる人物に継承するためだ。
そして弟子と共に歌を歌いながら旅をして、自分の歌や人脈を弟子に伝えていくのだ。
吟遊詩人がこの街に来ることは多くない。だから、街の人々は吟遊詩人の歌声を聞きに、彼が歌っている広場に行った。店には閑古鳥が鳴く。
静かな店の様子に苦笑すると、商会長のフィーヨルは店を閉めようといった。
「これ以上店を開いていても、お客さんは吟遊詩人に取られているからね、今日はもう誰も来てくれないだろう。お前たちも吟遊詩人の歌を聞きに行っておいで」
そして、従業員全員にいくばくかの小遣い銭をくれた。吟遊詩人がいる広場では屋台が軒を連ね、さながらお祭りのようになっているらしい。
休みをもらって、リョークも同僚と広場に向かった。広場は人であふれかえっていた。驚くほど青い髪をした吟遊詩人はちょうど休憩中らしくその歌声は聞こえない。リョークは友人たちと貰った小遣いを握りしめ、何を食べようか相談しながら人込みをすり抜けていた。
その時、吟遊詩人の休憩が終わったのだろう、ポロロンと竪琴の音が響いた。弦を弾く、その音に足が止まった。
そして、聞こえてきた力強く、太い大木のような歌声。脊髄に走る衝撃にリョークは動けなくなった。
同僚の声も、周りの喧噪も何も聞こえない。聞こえるのは吟遊詩人の歌声と竪琴の彩りだけ。
リョークは姿が見えない、しかし、その存在を強く主張するその声に囚われた。
呆然としたまま商会に帰った。
身体の中にあの声(音楽)が鳴っている。
あれを手に入れたい。
リョークは願い、その反面、その思いを自分自身で否定する。
だめだだめだだめだだめだ。僕は商人になるんだ。商人になって、父さんや兄さんたちの作ったものをたくさんの人に売るんだ。
涙に震えるリョークの肩に手を置いたのは、商会長のフィーヨルだった。
「鳴ったんだね」
リョークは首を振る。認めるわけにはいかなかった。リョークは商人になる。大商人になって、家族を幸せにするんだ。
「自分を欺いてはいけないよ」
「・・僕は、商人になるんです。商会長のように立派な・・両親の誇りになるような」
吟遊詩人は貴族や裕福なものに囲われたり、旅から旅の根なし草のような生活から蔑まれることもある職業だ。そんなものになって、もし、家族に厭われたら?家族が蔑まれたら?そんなことになるくらいならば、リョークは自分を欺き続けたほうがましだと思った。
たとえ、体中に歌が鳴っていても。
歌を聞いたときにはじめて息ができたと感じても。
これから先、きっとうまく呼吸ができない気がしても。
「リョーク、私はね、ラータから頼まれているんだ」
フィーヨルが父の名前を出して、リョークの目を見つめた。
「息子が本当になりたいものに出会った時には背中を押してくれと。末の息子を可愛がりすぎて、だいぶ甘やかして育ててしまったから、きっとなりたいものの前で気後れするだろうから、と」
フィーヨルは、片膝をついてリョークと視線を合わせた。
「ラータも、リビアも君の兄弟も、君が君の道を歩いてほしいと願っている」
商人としてきっと君は生きていくこともできるだろう。私の店でも君の評判はとても高いからね。
でも、鳴ってしまったんだ。それはもう覆られない事実だよ。知ってしまえば知らない頃には戻れない。知ってしまえば、歌わなければ君は息ができなくなる。
「だから、リョーク、行こう。吟遊詩人殿のところへ」
「・・・ふうぅぅ、うー」
リョークはこぶしを握り締めてうつむいて泣いた。フィーヨルはリョークの気が済むまで泣かせてくれた。
どのくらい時間がたったのだろう。グイッと、袖口で鼻水と涙をぬぐって顔を上げたリョークにフィーヨルは苦笑する。
「じゃあ、行こうか。その前に顔を洗って、汚れた服は着替えておいで」
酒場からは、吟遊詩人の歌声が漏れ聞こえていた。胸が躍るような軽快なリズムと迫力のあるメロディ。歌声は物語を語るように朗々と、時に切なく、時に勇ましく紡がれている。
どうしようもない痺れがリョークの体中を駆け回る。
歌が終わる。フィーヨルがリョークの背に手を載せる。
「さあ、行こう」
フィーヨルに促され、リョークは生まれて初めて酒場へ足を踏み入れた。驚くほど鮮やかな青い髪を持つ吟遊詩人は歌い終わって、水のように澄んだ香しい液体を飲み干したところだった。
「強い酒を水のように・・」
フィーヨルが顔を顰める。
その声に気が付いた吟遊詩人は真っ赤になった顔をリョークへと向けた。
「・・鳴ったか、坊主」
リョークは答えない。酔っ払いとは話をしたくない。
カカカ、と吟遊詩人は大きく高らかに笑った。
「すまんな、夜の歌は酒がなくては始まらん。酔っ払いが嫌なら広場で話しかけるべきだ。私は吟遊詩人、ユズーシテオ・アオサカンダだ。大丈夫、酔っているが、酔っておらん」
「・・リョーク・オオオノです」
名乗られたら、名乗り返すのが礼儀だ。リョークは目上の者にする礼を取った。
ユズーシテオは、うんと頷く。
「挨拶がきちんとしている。良き躾をされている。これならばすぐにヒノモリ様に紹介できるな。・・もう一度聞く。鳴ったか?」
「・・はい・・息が、できました」
そうか、とユズーシテオは破顔した。
「では、私が預かってもいいのだね?」
ユズーシテオはフィーヨルに目を向けた。フィーヨルは頷く。
「この子の両親から、この子の思う通りにと任されています」
「そうか・・それならまず明日にでもこの子の親に挨拶に行こう。見たところ大事に育てられた子供のようだし、私の弟子になればすぐに隣国に行かなければいけないから・・。行ったらしばらくは帰れない。それでもいいか」
ユズーシテオの言葉にうなずくと、彼はそうか、と言って立ち上がった。
「弟子ができたお祝いだ。曲はそうだな、・・リョーク何がいい?」
「さっきの、さっき歌っていた曲を」
あの勇敢な歌をもう一度聞きたかった。
「竜殺しの英雄譚か。いいぞ、師匠の歌をよく聞いてお前のものにするんだ」
リョークは集中してその歌を聞いた。言葉一つ、音一つ、休符一つも逃さないようにと。
その真剣な横顔を、フィーヨルが静かに微笑んで見つめていることにリョークは気が付かない。
歌が、リョークの体中を響きまわる。
歌い終わると、ユズーシテオはリョークに言った。
「もう歌えるな?」と。
リョークは頷く。歌はリョークの中に響いてうるさいくらいだ。はやくこの音を放出しなければ。リョークは逸る気持ちを持て余す。
師匠ユズーシテオの竪琴がポン、と初めの一音を奏でる。
身体の中で音が鳴っているのに。
その一音に近づかせるために響かせているのに。
心の中で響いた声と、リョークの喉からでる声は乖離していた。
最初の数小節歌わせるとユズーシテオは竪琴を止めた。唸りのような声を出していたリョークは絶望で目の前が暗くなるのを感じた。
「リョーク、お前いくつだ」
「・・13です・・」
「そうか、声が変わる時期だな。一年もすれば落ち着くかな。どれ」
ユズーシテオはリョークの喉に触れた。
「ん、良い喉だ。俺の喉にも触れてみろ」
恐る恐る触れたユズーシテオののどぼとけは大きくて固く、太い。
「お前の喉もこのくらいになる。お前のはまだ、小さいことはわかるな?いまは成長期だから、歌うことはやめておこう。その代わり、耳を鍛えよう。竪琴をまず教えるから、そんな顔するな」
ばんと、ユズーシテオはリョークの背中をバンと叩いた。
「声変わりは誰にでもあるし、この期間は体も声も成長中だ。今歌えなくても、体ができれば美しく響く。時を待て」
さあ、みな、歌うぞ。今日は私の弟子ができた日だ。大いに飲んで楽しんでくれ!奢らんがな!!!
へべれけに酔った師匠を、フィーヨルとリョークが支えて歩く。絶対に一人で歩くと聞かない酔っ払いの足元はおぼつかない。
「馬車を呼ぶのに」
「絶対に吐く」
良い笑顔で言うことではない。
「今日は弟子ができた。何て良い日だ。素晴らしい日だ。ああ、はやくリョークの歌声を聞きたいものだ・・だが、2、3年は無理は禁物だぞ。この時期に無理して声を出せば最悪、喉がつぶれるからな」
さあ、忙しくなるぞ。
フィーヨルが呆れたように苦笑する。
「ああ、リョークよ、空がきれいだ。星が躍っているようだ。良い歌ができる。きれいなきれいな歌が」
師匠がメロディを口づさむ。
その歌は酔っぱらっているとは思えないほど美しいメロディでリョークもフィーヨルも聞きほれて・・、道に浅くない水たまりができていることに気が付かなかった。
ユズーシテオが水たまりに足を取られる。彼の歌に聞きほれていたリョークには体格差もあり、とっさに支えられなかった。
悪いことに地面は泥で滑りやすく、フィーヨルもユズーシテオの体を支え切れなかった。
酔っ払いのユズーシテオはうまく受け身も取れない。
そして、地面にしたたかに頭を打ち付けて、意識を失った。
意識を失ったまま、ユズーシテオは3日生き延びたがそのまま息を引き取った。ユズーシテオのことで分かっていることは、隣国の王族に気に入られていたということくらいだ。
リョークとフィーヨルは騎士団の取り調べを受けたが、幸いなことに目撃者がおり、不幸な事故だったことが証明された。
竪琴とユズーシテオの持っていた少なくない路銀はリョークのものになった。でも、リョークは市ノ渡から動かなかった。いや、動けなかった。
いまだに商人としてフィーヨルの店にいる。
変声期が終わるまで、ユズーシテオは歌うな、といった。竪琴の弾き方もなにもわからないリョークに吟遊詩人として生きる術はない。
それにまだリョークは子どもだ。成人は目の前とは言え、一人で旅をするのはリョークにはまだ早いとフィーヨルが判断した。
旅の知識を身に着けて、せめて隣国の常識非常識を学びなさい。特に隣国はユズーシテオがリョークを王族に引き合わせようとしていた国だ。その国のことをしっかり調べておきなさい。
変声期は必ず終わる。それまでに、商人としての知識を増やして、歌えなくても旅ができるようにしなさい。
リョークはユズーシテオの歌うな、という言いつけと、フィーヨルの助言を忠実に守り、2年という月日を、商人として生きた。