現に在す極楽浄土
朱莉とは再び駅前で待ち合わせる事になった。言い出しっぺという事情も考慮しても随分早い。可能な限り全力で向かったつもりだったが、彼女は欠伸をかみ殺そうともせずに待っていた。
「悪い待たせた」
「ううん。私も今来たところだよ」
「欠伸するくらい待ってた様に思うんですがね」
「ん……やだなあ。さっき持て余した暇を潰していただけだよ。君とのデートには今来たつもり。ちゃんとエスコートしてくれるよね?」
先程まで『暇』と連打していた人間とは思えないやる気を見せる朱莉。周囲への配慮なのだろうが、飽くまで彼女の中ではデートの一環らしい。まあ『他人事』なのでどうでもいい。それよりも齊藤享明だ。駅前で待ち合わせをしたのはどう考えても失策だったが、どうも行き先を最初から分かっていたかの様にターゲットが現れてくれた。俺達は待ち伏せをした形になった訳だ。
「何で分かった?」
「部屋の中で見つけたんだ。結構苦労したよ。一階に保護者が居たからね」
「…………それ、本当にバレてないのか?」
「知らない誰かが居る痕跡もなければ日常にない音も立ててない。自宅というものは聖域なんだよ。まさか常に知らない誰かが隠れているなんて思いながらのんびり過ごす人は居ないしね。画像をみてくれたなら分かると思うけど、彼は机に向かってせわしなく何かを書いていた。勉強じゃなかったよ。何だと思う?」
「そういう時って絶対正解しない感じだよな。んー…………怪文書」
「遺書だよ」
言葉として広く受けたつもりだったが、遺書は間違っても怪文書ではない。あれは言うなれば生きたかった願いの残滓。どんなに乱れていても笑う笑わないの土台にはない。見事に外れたが、その答えは俺にとって非常に納得のいかないものだった。
朱莉の話ではゲンガーは『本物』に取り入る為の足掛かりとして艱難辛苦―――というと大袈裟か。本人の望まない瞬間や行動を肩代わりするらしい。例えば学生ならゲンガーが代わりに学校へ行って『本物』はゲームするとか。社会人なら残業をゲンガーに任せて本人は定時退社かそもそも出社しないか。
そんな感じで、本人にとっての苦痛を引き受けようという姿勢を見せて信用を勝ち取るらしいのだが、これでは話が違うだろう。遺書を書く程何か思いつめているならそこを任せればいい筈だ。
「中身は読んだのか?」
「読んだよ。本当は写メを送ろうと思ったけど保護者が来てしまってタイミングを見失った。でも暗唱は出来る」
『偽物の父と母へ。僕は気付いてしまったんだ。こんな世界は間違ってる。期待された僕は赤点を取り、父は毎日会社で叱られて飲んだくれる。どうして今までおかしいと思わなかったんだろう。簡単な話だったんだ。僕達は偽物なんだよ。人間なんかじゃない。だから醜いんだ。だから失敗するんだ。だから辛いんだ。ウツシの神が教えてくれたよ。僕は目覚めた。そして僕達は、新たな目覚めの為に死のうと思う。もしこの手紙を読んだら二人共一緒に来てほしい。共に世界を変えよう。この、偽物で彩られた醜い世界を綺麗にしよう。ウツシの神は約束したんだ。世界を目覚めさせるって。だから死のう。死ね。生きてちゃいけないんだ僕達は』
「……こんな感じだったね」
「腑に落ちないな」
カルト宗教の特徴として、閉鎖コミュニティの神格化がある。貴方達は選ばれた人間ですと強調し、周囲の価値を下げる事でそのコミュニティの狭さに説得力を持たせる方法だ。選ばれし者とでも言おうか、殆どの人間には何かの特別でありたい願望がある。そして殆どの人間はうさんくさい神や教祖の言葉など耳を傾けないが、唯一例外として自己肯定感の低い人間は分からない。承認欲求を満たされぬまま成長した子供は必ず拗れる。そして彼等は思うのだ。自分をありのまま全て受け入れてくれる人が居たら、その人を愛そうと。無論、そんな人間は居ない。他人はそこまで優しくないし、世界はそこまで甘くない。
そこに宗教を置くとどうなるか。
他人は優しくないが同じ神や教義を信じるならそれは仲間だ。断言しても良い。必ず沼に嵌る。そして全て取り返しがつかなくなってようやく過ちに気付くのだ…………が。
「分かってる。自分達を卑下してる所だろ?」
「自分達が偽物ってのがな。最初に駅前で聞いた時は我々だけが真実って言ってたが……流石に食い違った教義を個別で教えてる訳がない。考え方の問題かな」
「自分達の世界が偽物と気付いているのが俺達だけって意味かな。文脈的にはウツシの神が唯一絶対の真実だと考えられる。この国じゃ珍しい一神教方式だね」
まさか自分が尾行されているとは考えてもないのだろう。齊藤享明は人通りの多い場所を少し外れ、潰れた店の立ち並ぶ建物の一つに入っていった。行き交う人々は彼が廃墟に入った事を気にも留めない。
いや、廃墟ではないのか。
個人で経営している服屋と言った所か、少し古めかしく感じる服の数々が小さな店の中にみっしりと詰まっている。急に遺書と繋がらなくなった。これから死のうという人間が身だしなみに気を遣うだろうか。
彼はすぐに出てきた。紙袋を二つ両手に提げている。取り置きしてあったか予約注文をしていたか。
「白い生地が見える」
「服か?」
「服屋から出たから服……というのは素直な気もする。もっと近距離なら確かめられるけど、流石の私も警戒心マックスの彼に近づきたくはないなあ」
それは言い過ぎだが、たしかに服屋を出てからしきりに周囲を見回している。初めて都会に来た人もかくやと思われるその挙動不審ぶりは警官が見れば職質は免れないだろう。
「……もしかしなくても俺達は何か勘違いをしてるんじゃないか?」
「何が?」
「救世人教についてだよ。どうも普通の宗教にしては変だ。こう言ったらあれだが、カルトの大半は教祖が信者を搾取するもんだと勝手に思ってるからさ」
信心深い我々は、真実に目覚めた我々は死ななければならない。その発想は生物として根本的に何かがおかしい。自殺願望ばかりを集めた訳でもあるまいに、なんだその教義は。
齋藤はそのまま緩やかに人通りを抜けていき、今度は窓をカーテンで閉め切った民家の中へと入ってしまった。朱莉の反応を見るに彼の家ではない。
「もう少しこの宗教について調べる必要がありそうだ」
「どうして? ゲンガーには何も繋がらないよ」
「……ああ。そう考えるのは早計だと思うよ。本人かゲンガーかは分からないがどちらか一方が偏ってるならそこの違いで炙り出せる」
かと言って不法侵入するには建物が小さくて、とそこまで言いかけた所で朱莉の姿が消えた。彼女はいつの間にか扉の前に立っており、何やら鍵穴をゴソゴソと弄っていた。
「……ピッキング?」
「いいや? スペアキーだけど」
そんな訳ないのだが、何も言うまい。




