拝めよ愛せよ
第二のストーカーが尾行をしていた……なんて事があったら困り果てたが、そこまで都合は良くなかった。家に帰ると張りつめていた緊張が解れたのか、玄関で転んでしまった。『他人事』と切り捨てて気にも留めなかったが初めての恐怖は思ったよりもストレスを与えていたのかもしれない。そんな情けない弟を姉貴は優しく抱き起こしてリビングまで連れて行ってくれた。
「はいこれ、アイスココアだけど我慢してね」
「お手製じゃなくてペットボトルなのか」
「この雰囲気で弟君に手料理は振舞えないなあ。練習が上手くいったら出すからそれまで我慢しててよ」
ココアは手料理なのか……?
分量なんて間違えようもない、裏面に書いてあるだろうに。仮に分量を間違えてもやはり材料さえちゃんとしていればそれはココアで、苦くはなっても不味くはならない筈だ。『テロうり』等と言って少し揶揄い過ぎたかなと反省しつつ(しかし実際に体調を崩すので撤回はしない)、有難く蓋を開けて口をつけた。
少し落ち着いた。
「さ、お姉ちゃんに話してみなさい」
「話すも何も、救世人教っていう変な宗教の勧誘が学校の風紀を乱してる。本格的な問題って程じゃないけど……何だろう。後輩が絡まれてたから助けたんだ。そしたらなんか尾行された」
「弟君って面倒見良いんだね」
「そういうんじゃないよ。迷惑かけた事ある後輩だったからさ。で……なんかヤバイ事したかな、俺」
「勧誘を遮ったのがまずかったと思うな。私もその宗教の名前は聞いた事がある。取材もしようとしたけど、それは断られちゃったかな」
「オカルトライターが宗教団体に取材? 畑違いだろ」
「オカルトと宗教―――厳密には、オカルトと神話には密接な関係がある事も多いのよ。昔出会った男の子は『科学も神の一種』なんて言ってたっけ」
「いやいや。神は実在が証明されてないが、科学は存在するし、何より再現性がある。大昔に神様が信じられてたのは科学技術が発展してなかったからだろ?」
ただし現状の科学では人の精神にまで踏み込む事は出来ないので、そこで大切になるのが宗教というか、神様だ。心のよりどころ、いつも自分を見てくれる味方。その概念は実在非実在を問わず有難いもので、神様を信じているから真っ当に生きているという人間もいる。
宗教の概念で科学を蔑むのは愚かだが、科学の概念で宗教を蔑むのも同じくらい愚かだ。だがそれら二つの同一視はそれ以上に愚かである。
本当にそうだろうか。
愚かだと断じて理解を拒むのはいただけない。それは『二次関数なんて社会で使わないから勉強しても意味ない』と宣う学生と同レベルだ。とはいえ……理解しがたい考えなのは変わらない。何処の誰だそんな事を言い出したのは。
「私も最初はそう思ったよ。でもね、その理由を聞いて一理あるなあって思ったの。人は共通認識に生きる存在で、その認識のすり合わせを現実と呼んでいる。だからもし、世界中の人間が科学を信じなくなったら科学には何の力もなくなるって」
そういう事なら、俺も納得出来るかもしれない。
大昔は科学よりも神や呪いと言った概念が信じられていた。それは昔の医療(と呼んでいいのかは分からないが)に祈りという行為が含まれていた事からも明らかだ。そんな時代に科学こそ効力があって神はまやかし等と吹聴しようものならそれこそ邪教扱いを受ける。
物理法則なんて関係ない。それが何処に起因するかが最大の問題であり、現代においてはそこを科学と呼んでいるだけだ。科学万能と声高に叫ぶ人間は少数としても、科学の恩恵を信じる人間は大多数を占める。今や科学は人間社会の中に混じり、当たり前のように存在している。
科学と神様の立ち位置を入れ替えてしまえば、科学が物理法則に則った効果を発揮したとしてもそれは神様の力という事になる。
だから科学も神の一種、という事だろう。
「凄い考え方だと思うけど、それで取材ってのはちょっと強弁が過ぎないか?」
「ん。その子の考え方を採用したつもりはないよ。実際、新興宗教にしても都市伝説にしてもどこかの神話や事実がモチーフになってるって事は多いから、その延長でね」
話の脱線を自ら感じ取ったのか、改めて姉貴が救世人教の話をしてくれた。どちらかと言えば本格的に逸らしたのは俺なのだが、遂に謝罪するタイミングを見失ってしまった。
「構成員は私が調べた時は三〇人くらいだったかな。教義はウツシの神を信じぬ全てを偽りと認める、だったかな」
「ウツシって何だ?」
「文字にしちゃいけないらしいからウツシはウツシ。でも最近出来た宗教なのは間違いないね。教義が浅いし活動内容も薄っぺらい。真実は我らにあるの一点張りじゃ信者なんて増えないと思うけどな」
あ、と何かを思い出したように姉貴が立ち上がった。二階に駆け出していったかと思うと、私室からパソコンを持って来て俺の方に画面を向ける。ファイルにひとまとめにされた記事の中には救世人教の凶行について纏められている。
「一か月前くらいかな。周辺の野良犬とか野良猫とか殺して山にして交差点のど真ん中に置いた事件があった。確か二人逮捕されたんだっけ。報道はされなかったけど、メンバーは救世人教と見られてる……例の一点張りね」
「うーん普通に迷惑な集団だ」
その他にもウツシの神に捧げるからと強盗、窃盗、万引き。誰一人己の所属を明かしてない(記事の中では)ものの、その主張があまりにも一貫しているのでやはりメンバーだと考えられる。
「ゴシップとしては、そうだね。ウツシの神を侮辱した人間は拷問の上で救世の道を説かれ信者になるまで監禁されるとか。殺されてウツシの神の供物にされるとか。そんな所かな。弟君は私に似て止めてもなんだかんだ首ツッコむか巻き込まれそうだし、関わらないでとは言えないけど、正直結構危ない宗教なのは否めない。知名度がない分自由で、悪質だ。どうしても戦う必要が生まれたなら、その時は私を頼ってよ」
「姉ちゃん戦えるの?」
「そういう事じゃないの。弟君には背負い込まないでほしい。たった一人の大切な弟だもん。どう生きようとも口出しはしないけど、困った時くらいお姉ちゃんを頼りなさいな。ね?」
今すぐゲンガーについての助言を貰いたい。姉貴が居れば何とかなる気がしてきた。非常にもどかしいが、朱莉は悪戯に他人を巻き込むのを良しとしないだろう。ゲンガー殺しの共犯者として、俺もその暗黙には従わないといけない。
アイツは組む相手を間違えたよな。
結果論なら何とでも言えるが、それにしてもリサーチ不足だ。姉貴はそっちの界隈じゃ有名人なのだから俺とは無関係でも辿り着く事は十分に可能。何故彼女は……成り行きなのは分かっている。山本ゲンガーに殺されかけた所から全ては始まった。
もっと言えば美子が自殺して次の日に登校してきた瞬間から。
「さて、ちょっと疲れたし先にお風呂入るね。結構長く入ると思うから夜ご飯用意宜しく~」
「冷蔵庫にあんの?」
「温めよろしくぅ」
脱衣所へ消える姉の姿を見送りつつ俺は席を立つ。
―――ウツシ様ね。
『移し』なのか『映し』なのか。色々考えられる。それを信じた瞬間に真実に目覚めるなら前者が濃厚だ。冷蔵庫から幾つかの冷凍食品を取り出してレンジに放り込むと、携帯に視線を落とした。レイナからは『?』という返事が来たので大丈夫として、朱莉が未だに音信不通な事が気がかりだ。彼女の返信は諸々の事情について無知を示している。つまりその横に居た筈の朱莉も無事でなければならない。
この胸騒ぎは何だろう。気のせいならそれに越した事はない。
続いて山本君から来たメッセージの確認に移る。彼が見てしまったモノが今更判明しても美子がどうこうなる訳ではない。例えるなら既に解決した殺人事件の証拠を掘りだすようなもの。それを承知で送ってきたのだ。興味がある。
「…………これは…………」




