旧いしきたりほど馬鹿らしいものはない
小屋の中はお姉ちゃんの言っていた通り簡素なものだ。伝え漏らした物体として鏡があるが、これは壁に埋め込まれているので家具と呼ぶのは少々疑問が残る。鏡と言ってもブティックにあるような縦長のそれではなく、どうにか顔全体が映り込むくらいの小さな物だ。とてもとても同じように使える見込みは無い。そもそもこんな田舎でファッションなぞ気に掛けても仕方ないのだが。
「このばしょのきまりってなに」
「……俺は慣れたけど、他の人にはやるなよ? 後ろから急に話しかけられたらビビるからな」
「あなたとしかはなさない」
「さっきお姉ちゃんと話してただろうが」
相変わらずの無表情だが、目を瞑ったと思うとわざとらしい寝息を立て始めた。その狸寝入りは無理があるし、やはり彼女は感情豊かだ。アイリスの名の通り…………
上手い事言ってやろうと思ったが特に思いつかなかったので本筋に戻る。
「ルールについてだな。あんまりげんなりする必要はないぞ。俺の傍に居るならご近所付き合いとか上手くいく訳ないから。守らなきゃいけないルールは就寝時のものだ。後でまた説明する事になるけど、管神に居るなら全員守らなきゃいけないものだから、破るなよ」
「どんなの」
「くーだかーみうーつせーみきーまりをまーもらーにゃなーをさーさぐー。ひーをふーいみーかがーりゆっめみーはかっこくーらさーんけのごーかごをきょうじゅせん」
「てあそびのうた」
「お姉ちゃんが改造したものだし、ぶっちゃけ歌詞はうろ覚えだけどな。この歌は管神の決まり事を歌ったものだ。ひをふい、つまり火を吹く。早い話が火を起こせって事だな。寝る時に家の前で焚火しろって話だ。雨の日とか風の強い日だけはランタンを軒下か扉の内側にでも掛けておく。因みにランタンである必要はない。火さえついてればいいんだ」
「ずっとつけてるの」
「寝て朝になったら消してもいい。次は水を張るんだけど……身を篝るってのが意味分からんな。もしくは縢る……分からん。とにかく桶に水を溜めて玄関の直ぐ内側に置いておくんだ。これも後で説明するが、普通の水じゃ駄目だ。それで最後のルールだが」
「みっつもあるんだ」
「寝る時は密室且つ一人で布団にくるまって寝る。夢見は狛蔵……ああ狛蔵ってのは浮神の一番偉い家だな。元々囲枕ってのが変化したらしい」
「ねぞうがわるいひとはどうするの」
「それは大丈夫。寝るまでに布団から身体を出さなきゃいい。枕を囲うってまあ文字通りだな」
うつ伏せじゃないと眠れないとか、仰向けじゃないと呼吸が苦しいだとか、布団に包まっていると暑いだとか。そういう事情は一切考慮されていない。柔軟なルールに見えても旧いしきたりだ。俺はこのルールが嫌いだった。お姉ちゃんに負担を掛けるから。
そんなに守らせたいなら外に出してくれれば良かったのに。学校へ行く時以外は座敷牢に閉じ込められていたのだ、守りようがない。代わりにやってくれたのはお姉ちゃんだけで、それが無かったら何度破っている事か。
イヤホンを渡されたので、左耳につける。
『ルールは全部言ったの』
「終わりだ。他に気になる事は?」
『匠与の家について色々知りたい』
「……荷解きの時にでも話してやるよ」
改めてここで暮らす事を想うと、次第に憂鬱になってきた。でも名莚に戻った以上、俺はこの地へ留まらないといけない。特別予定もなく退学したのだから、改めてまともな生活を送ろうとしても苦労するだろう。それよりかはここに居た方がお姉ちゃんにも迷惑を掛けなくて…………
「ちょっと席外してましたー。ん? ルール説明し終わったの?」
詠姫お姉ちゃんが帰ってきた。何の用事で居なくなったかは気になるが、見慣れた洋服姿は無垢色の浴衣になっていた。流未も和服だったが、これは別にルールという訳ではない。本人が好きで着ているか、もしくは上から流れてきた衣服が和服ばかりかだ。こんな辺鄙な場所に洋服屋など存在しないので、住人の衣服は九割九分上から流れた物だ。
「終わったよ。あんまり気は乗らないんだけど挨拶回り?」
「一応ね。大丈夫大丈夫。私が居るならちゃんと相手はしてくれる。ていうかさせる。タクの相手をしない奴は誰であろうと田んぼの中に沈めるかも。何処から行くかはそっちに任せるよ」
「あー実は身篝りの説明が上手く出来てないから。汲んでくる場所に行きたいな」
ルールの中では、これが一番面倒だ。文句を言っても変わる事は無いだろう。
形式が、大切なのだから。
お姉ちゃんに連れられてやってきたのは、管神の深奥。ここまでの管神は田舎臭いを通り越して胡散臭いが、この場所だけはオカルトに疎い人間でもハッキリと肌で分かるくらい、不思議な空気に包まれていた。
清浄な霊気とはきっとこの様な空気を指すのだろう。久しぶりに足を運んだがここも何ら昔と変わりなく、管神で唯一空気が美味しい。
「じゃあ、ちょっとオカルトっぽい話をしようか。愛莉栖ちゃん、浮神にある神社には何が祀られているでしょうか」
『匠与がハリボテって言ってたよ』
イヤホンを戻すと、アイリスの瞳が不服そうに俺を見た。
「しんわのかみさま」
「不正解。因みに仏様でもないよ。ここはちょっとどころじゃない変わった信仰が根付いていてね。簡単に言えば『自己像信仰』」
曇り一つない綺麗な水面を三人で見下ろす。光に反射して、俺達の全身が映り込んでいる。不思議なことにアイリスの紅い瞳だけは全く反射していないが、それ以外は概ね自分たちの写しであった。
「この水に映った自分の姿を信仰する。この管神……いや神代の地に祀られている神様の名前は『ウツセミ様』。私が救世人教を調べようと思ったのは、アイツ等がウツシの神なんて言ってたからだよ」
あの時は気にも留められなかったが、そういう理由なら納得だ。ウツセミ様が外でも信仰されている可能性があるとなれば無理もない。自己像信仰なんて何処の地域でもされていないのだから。あの時は取材の妥当性に疑問を感じていたが、名莚の記憶を呼び起こさない為にわざわざ嘘を吐いたのだとしたら申し訳ない。俺も浅はかだった。
「補足しておくと、住人全員がナルシストって意味じゃない。飽くまでこのウツツセ沼に映る姿に対して信仰してるんだ。ウツセミ様は実体のない神様。偶像崇拝は禁止されてるばかりか本当の姿なんてものはない。ここに映る姿は飽くまでウツセミ様が俺達を見て鏡写しになっているだけって訳だ」
科学的ではないかもしれないが、ここはそういう場所だ。お姉ちゃんがかつて出会った男の子の発言はあながち間違いではない。生きながらにして絶滅種、この存在しない地域では科学よりもウツセミ様の力が信用されている。だから流未の反応から薄々勘付いてはいたのだが。
ここにはゲンガーによってすり替えられた絶対的な価値観も残っている。ウツセミ様の御座します限り、死は決して嘘ではない。
うおおお




