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第漆話・倒錯した鉱石薬

 薄暗い店内には寝椅子(カウチ)と座卓が並び、壁際の棚には幾つもの薬瓶が並んでいる。どの薬瓶の中にも、入っているのは見目麗しい鉱石の欠片だった。


 粉雪に促されて、壁際の寝椅子(カウチ)のひとつに座った胡蝶は、店内を見廻していた。天井から吊るされたモザイク硝子のオリエンタルランプが店内を妖しく照らす。営業は夜からなのだろうか、胡蝶たち以外に客の姿は見当たらなかった。


「まあ、可愛らしいお客様。ごゆっくりなさって下さいね」


 背の高い女給に声を掛けられて、胡蝶はびくりと彼女を見上げた。黒い洋装(ワンピース)に白のフリルが施された華やかな前掛(エプロン)を身に付けている。青みがかった墨色の髪と瞳は、その丁寧な口調に対して凄みのある妖艶さを放っている。以前に店の前を通った時に目の合った女給だと、胡蝶はその時に気が付いた。


「利一さん、彼奴(あいつ)は?」


「奈落さんなら、今声を掛けてきましたから降りてくると思いますわ。何せ、もうすぐ銀の月(プラーナ)が三日月になるでしょう? あまり調子がよろしくないみたいで」


「はん、面倒な体質だな」


 透明は女給と軽くやりとりをすると、カウンタァの方へ近付き、奥に向かって声を掛けた。


「おい、極楽堂。悪いが急用だ」


「聞こえているよ。そう急かすな」


 奥の方から、低音な女性の声がした。胡蝶もそちらの方へ目を向ける。のそ、のそというふらついた足音と共に、一人の人物が現れた。


 一瞬、胡蝶の脳は混乱した。声は女性だったと思った。しかし目の前に現れたのは、中性的な顔立ちの男性のように見える。襟無しシャツの上に着ている着物は濃紺の男物であるし、角帯を締めて羽織を羽織った姿は、よく居るような男性の主人のようだ。しかし、その背丈は胡蝶と大差なく、どちらの性別であるのかぱっと見ただけではわからない。


「やあ、月の字と粉雪。それから女学生のお嬢さん。失楽園カフヱ『EDEN』へようこそ」


 その声は確かに女性だった。着物を着ているからわかりづらいが、胸部にも膨らみを確認する事ができる。


「女性のかた……なんですね」


「ええ、紛らわしいですがね。なんならそこにいる女給は男ですよ」


「えっ」


 透明の説明を受けて、胡蝶は驚いて女給の方を見る。胡蝶と目が合ってにこりと微笑んだその女給は、確かに背が高いし、言われてみれば肩幅などに違和感がある。そう言えば、先ほど透明はこの女給に向かって「利一」と呼んでいたように思う。


「驚かれました? うふふ」


「はい……とても……」


「そりゃ普通は驚くだろう。私とて初めは女だと思ってここに置いたのだ。そしたらこの有様だ」


「それをお前が言うか、極楽堂」


「ごくらくどう……?」


 胡蝶は頭の中が疑問でいっぱいになっていた。そんな胡蝶の様子を見兼ねてか、粉雪は透明のマントの裾を少しつまんで引き寄せる。


「御兄様」


 その一言と粉雪の表情で、透明は状況を察したらしい。ひとつ咳払いをして、胡蝶に説明を始めた。


「失礼。此奴(こいつ)がここの主人でしてね。鉱石薬と病気に詳しい鉱石族の女です」


極楽院奈落(ごくらくいん・ならく)と申します。極楽堂というのは私の屋号でしてね。以後お見知り置きを」


「そっちの女給が宝生利一(ほうしょう・りいち)。ここの居候ですね」


「居候とは失礼ですわね、透明ちゃん。わたくしは奈落さんの未来の配偶者ですわ!」


「煩い黙れ誰が配偶者だ。お前は止む無く此処に置いているだけだ」


「はぁ、……あ!」


 呆気に取られていたが、胡蝶は極楽堂と呼ばれた女性の名前を聞いてある事を思い出した。

極楽院奈落。それは、有名な鉱石薬の料理本を書いた著者ではなかったか。胡蝶自身が料理本を求めて都立図書館に足を運んだ時に、その名前を何度も見かけた記憶がある。


「おうちで作れる本格鉱石料理……」


「ああ、ご存知ですか? それは私の代表著書ですね」


「えっ、ちょっと、透明さん! 凄い方じゃないですか!」


 半ば少し興奮気味に、胡蝶は透明に声をかけた。しかし、当の透明はややげんなりした表情である。


「鉱石族は寿命が長いですからね、知識の量もそりゃあ人より多いでしょう。本も飯の種として書いているだけで、こいつ自身はただの引きこもりですよ」


「その引きこもりの飯の種で食わせて貰ってるのは何処の誰だ? 古本屋の収入など殆ど無いに等しいだろう」


「煩い、こんな時ばかり母親面をするな」


「こっちだって、ロキの頼みだからお前らの面倒を見ているだけだ。でなきゃお前のような生意気な餓鬼など、こちらから願い下げだ」


 話から察するに、この奈落と名乗る主人は透明の育ての親であるらしい。二人とも言葉こそ荒っぽいが、口調は軽くかえって仲の良さが伺える。胡蝶からはミステリアスに見えていた透明も、この二人に関わると途端に普通の少年のように見える。それが不思議で、胡蝶は思わず笑みを漏らした。


「……本題に入りましょう。極楽堂、彼女の指を診てくれないか」


「ふむ、失礼します」


 奈落は、少々覚束ない足取りで胡蝶に近寄る。そして胡蝶の手を取ると、懐から拡大鏡(ルウペ)を取り出してその指先を仔細に眺め始めた。


「三重の指紋。他に何か症状は」


「ええと、先日酷い目眩がして倒れてしまいました。今も少しふわふわしています」


「成る程」


 そう呟いて奈落は拡大鏡(ルウペ)を仕舞い込むと、胡蝶の顔に触り瞼の裏を覗き込む。そのまま胡蝶の体のあちこちに触れていたが、首元に触れた時に奈落は身につけていたロザリオに気付いた。


「これは?」


「あ、友人から貰ったロザリオです」


「……黒縞瑪瑙と銀……ふむ、失礼しました」


 そう言って、奈落はロザリオを戻す。そして胡蝶から離れ、薬棚を物色し始めた。


「典型的な『紋章病』ですね。失礼ですが、性行為のご経験は?」


「は、はぁ? いえ、ありません!」


 突然の性的な問いかけに、胡蝶は動揺して声が裏返った。あるわけなどがない。竜神以外に異性とお付き合いをした事もないし、竜神とは手を繋いだ事すら数える程しかないのだ。


「妙ですね。『紋章病』は遊郭などに蔓延する性病です。処女の方が罹患する事は非常に珍しい。あるとすれば……」


「呪いか」


「ご名答だ、月の字」


 そう言うと、奈落は光沢のある黒っぽい粉末と、緑色の粒の入った薬瓶を持ってきた。それぞれを小さな匙で掬い、乳鉢に入れる。そしてゴリゴリとすり潰しながら、話を続けた。


「とりあえずは目眩の症状を抑えましょう。『紋章病』は粘膜接触した際の『妖蟲』の侵入に因るものです。こちらは黒蛋白石、体内の『妖蟲』の活動を低下させます。緑色の方は孔雀石ですね。黒蛋白石にも目眩を抑える効能はありますが、孔雀石がそれを補強します」


 すり潰した粉を蛤の軟膏入れに移し、そこに香りの良い香油を垂らした。奈落はそれを薬指で混ぜ合わせていく。すっかりそれが混ざりきると、奈落は胡蝶の耳の下にその軟膏を塗り込んだ。


「これを、朝夕この部分に塗り込んで下さい。翳風(えいふう)と呼ばれる経穴です。これで目眩の症状は緩和すると思います」


「だが、それが呪いなら大元を断たなければ再発するだろうな」


「呪い……」


 奈落の薬の効果なのか、先ほどから慢性的にあったふわふわした感覚は鳴りを潜めていた。しかし、どうやら安心のできる状況ではないらしい。呪いを受けるような心当たりなど、胡蝶にはなかった。しかし、どこかで知らず知らずのうちに恨みを買うような事をしてしまったのだろうか。


「心当たりがあるか、月の字」


 気付くと、透明は親指の爪を齧りながら何かを考えているふうだった。よく見ると、彼の親指の爪は荒れてぎざぎざになっている。考え込む時の癖なのだろうか。


「ああ。そんな性悪な呪いを好んでかける奴が一人居るな……ニャルラトホテップの女性体、巫女遊郭の姫神だ」

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