258話 兎の群れ
イグニティア王国にある神の塔。
塔に入り、攻略を始めて八時間が過ぎた。
攻略を始めたのは昼前、今の時刻は十八時を回ったところだ。
低階層ではあまり戦わず、きちんと攻略し出したのは、二十階層を超えたところからだ。
そして五十五階層のボス部屋で、贅沢な入浴を済ませたレイン一行は、体だけでなく気分までホカホカのまま上の階層へ上がった。
景色は相も変わらず、白い雪景色だったが、今のレインたちには心地良かった。
それもこれも温泉に入り、体の芯まで温まったからだ。だが、魔法を併用しているからそう感じるのであり、もし魔法無しならば、凍死しているだろう。
「お、可愛い兎じゃないか」
ゆったりとしたスピードで歩いていたレインは、葉の落ちた細い木の影に隠れるように移動している小さい兎を見つけた。
お尻についている丸い尻尾や顔を上げ周りを確認する時耳をピクピクとさせる様は、とても可愛らしい。そして一番は、雪を着ているかのような体毛だろう。真っ白であり、爛々と輝くクリッとした赤い目。
レインを見つけると、こてんと首を傾げる仕草は、愛らしい。
ぴょんっぴょんっと飛びながら、徐々に近付いてくる兎に視線を合わせるようにしてしゃがむレイン。
「やはり、動物はいいよなぁ」
思わず声に出してしまったレインの呟きをしっかりと拾った雪那は、ニヤケながらレインに忠告する。
「主様ぁ、その兎さんは危ないですーー」
「ぬおっ!?」
雪那は避難するように若干後ろに下がりながら、レインに警告の言葉を発するが、最後まで言うことは出来なかった。
手を伸ばせば兎の頭に届くかと言う距離まで来た時、突然兎が本性を現した。弾丸のような速度で飛び上がった兎は、レインの顔面に飛び掛かった。すんでのところで躱したレインだったが、頬を掠ってしまった。
「きゅ?」
兎の大きさは小さく、もちろん口も小さい。しかし、歯は鋭く、人肉程度容易く噛み千切ることが出来る。
レインの頬肉を千切った兎は、口元の毛を赤く染めながら可愛らしく首を傾げる。
「……ここに来てからの初めてのダメージが兎だとは……」
「大丈夫ですかぁ?」
「ああ、この程度すぐ治る」
頬から流れる血を指で掬い、傷を撫でる。すると次の瞬間には、血は消え、傷もなくなっている。
それでもレインの顔を傷付けたことは確かであり、それだけの攻撃力を持っていることに他ならない。
「可愛らしい顔してえげつないな」
「それはぁ、主様も同じですよぉ?」
ふふふ、と笑いながら言う雪那に、レインは苦笑する。
「主人、あの無礼な獣はどうしましょうか」
「殺していいぞ」
レインが傷付けられたことで、静かに怒りを募らせていたハクが、無機質な声音で問う。
それに対してレインは、殺す許可を出す。
レインは兎のことを、可愛いとも愛らしいとも思っていたが、だからといって手加減するようなことはない。
許可を貰ったハクは、すぐさま兎に飛び掛かり、引き裂いた。
真っ二つにされた兎は、左右に体を倒し、雪を赤く染めていく。
「なんかもこもこしてないか?あそこ」
「どこですかぁ?」
「ほら、あそこ」
レインはまっすぐ前を指差し、その場を教える。
雪那はレインの言っている場所が分からず、キョロキョロと周りを見渡す。そしてようやく見つけると、確かに雪玉のようなものが動いていた。
「あそこの一帯って……もしかしてこの兎か?」
レインはハクに裂かれた兎をチラッと見ながら、嫌そうに言う。
もし、レインの予想が正しいのなら、蠢いている地帯の範囲はかなり広く、兎の大きさを考えると百や二百では収まらない数だ。
「あの感じ、千は超えてるぞ……」
うへぇと舌を出しながら言う。
「先手必勝。数が多い時は、広範囲攻撃に限るな」
不知火を顕現させたレインは、頭上に掲げる。
「不知火……陽墜」
魔力の七割を消費し、魔法を発動する。
上空に小さい太陽が出現した。周りの温度が上昇し、雪が溶け始める。
「距離にして八百程度か……よし、行け」
掲げた不知火を振り下ろす。
小太陽が兎の群れ(仮)に向けて落ち始める。
だが、地面へ落ちる前に、レインは左手を前に突き出し、ギュッと握り締める。すると、小太陽が爆発した。
「おおー、やっぱ兎の群れだったか」
「ですねぇ……」
離れているレインのところまで爆風が届く程の威力だ。
爆発の余波で、爆心地から周囲千メートルの雪が消し飛び、地面にも大きなクレーターを刻んだ。
そして何気なくステータスを開いたレインは、物凄い早さでレベルが上がっていることに気付いた。
「かなりレベルも上がったな」
「今、どのくらいですかぁ?」
「んーと……259……260だな」
レベルの上りが早いのは、敵のレベルの方が高いからだ。その辺りは、ゲームと似ている。
「一気に七十以上は上がったか。もうすぐ300……意外と早いな」
「それもぉ、主様の能力があるからですよぉ?普通の人はそんなに早くないですからぁ」
経験値上昇系のスキルを持っていない限り、レベルがそんなに上がることはない。レベルの上りと言うのは、人それぞれだが、自分より高レベルの敵を倒せばより経験値を入手できる。だが、普通の人は、自分より高レベルの敵を倒すことは出来ない。多少上ならば、倒せるだろう。しかし、五十以上ものレベル差があれば、偶然が重ならなければ勝つことは難しい。
ある一定のレベルを超えた強者は、強力な魔法やスキルを手に入れているため、その程度のレベル差はものともしない者が多い。
そしてレインも、最初から使える能力と魔力には制限をかけていたが、使用魔法は制限していなかった。使える魔法はたくさんあり、だが魔力の関係で使えない魔法もたくさんあった。しかし今は、レベルも上がったことで使用できる魔力も増え、魔法のレパートリーも増えていた。
今回の『陽墜』は、神皇を相手に使った時よりも威力は弱い。何十万分の一以下の威力でしかない。
陽墜も使えるようになった魔法の一つだが、色々とスペックダウンしている感を否めなかった。
しかし、このレベル帯の相手には、十分強力な能力だ。レベルの百や二百上だとしても一撃でやれるだろう。
レインのレベルが兎よりも低くとも、能力または魔法一つで覆すことが出来ると言うことだ。だからこそのレベルの上昇率なのだ。
「不知火の能力は、燃費が悪いってことに、魔力を制限し出してから気付いたんだよな。人はこんな少ない魔力量でようやるわ」
「主様みたくぅ、無限ではないですからぁ」
有限の不便さと言うものを実感していた。
「進むぞ。あの爆ぜた所は大丈夫だろう」
目の前には、雪と消し飛び、爆ぜた大地が剥き出しになっていた。確かにそこなら、魔物がいるはずもなく、魔物にも本能はあり、危険と判断したその場所には近付こうとしないだろう。
「だが、予想と違った……てか?」
「まだ、たくさんいますねぇ」
さすがに雪那も引く程の兎の数だった。
レインはレベルの上がり具合からかなりの魔物を殺したと思っていた。そしてそれは正解だ。千を超える魔物を殺していた。
しかし爆ぜた大地を歩いていると、見えてきたのだ。
白いもこもこの物体が蠢いているのが。
「もしかして、この階層は、兎しかいないのか?」
そう思ってしまうのも無理はないだろう。
見える範囲には、兎しかいない。
「七割の魔力使い終わった後なんだが?」
「わらわらがやりましょうかぁ?」
「ふぅむ。よし、ハク。全部凍らせろ」
「……」
「ハク?」
ハクに前と同じように、階層全土を凍らせろと命じたが、返事がなかった。
どうした?と内心首を傾げながら、ハクを見ると寝ていた。
「……お前寝過ぎだろう。もっと緊張感持てよ」
緊張感の欠片もないのは、レインも同じだが、自分のことは棚上げしてそんなことを言う。
ハクの気持ちよさそうな寝顔に、起こすことを諦めたレインは、雪那に視線を向ける。それだけで、何をして欲しいのか理解した雪那は、扇子を取り出す。
「『虚空の黒穴』」
漆黒の球体が、前方五百メートル先に出現。物凄い速さで周囲を吸収しだした。
雪も土もそして魔物も、何もかも吸収する。
黒球に魔物が吸収されている光景を、数十秒眺めていると、雪那が扇子を閉じ、魔法を消した。
「多分これでいいと思いますぅ」
「よし、なら早く進もう。兎はもういい」
精神的に疲れ、息を吐き、歩き出す。
いくら可愛くとも、限度があると言うことに、今更ながら気付いたレインだった。
それからは、魔物一匹さえ現れず、五十七階層へと続く階段を見つけた。
そしてレインは思った。
「もう、帰りたい」
「……主様」
「長すぎんだろ。一階層が広いし、多すぎるし、これだけ続けると飽きるんだよなぁ」
「それは分かりますけどぉ……」
「だろう?同じような景色が続くし……よし、もう帰ろうか。そして、気が向いたらまた来よう。うん」
転移球により、一瞬で出口まで飛ぶことにした。
今レインは、ゆっくりと布団で眠りたかった。時間も夜。眠るには早いが、夜は夜だ。
「帰るぞ」
「主様の望むままに」
「……ぇ?主人?」
転移する瞬間、起きたハクの寝惚けた声が誰もいなくなった部屋に消えていった。
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