喫茶店《メモリア》の黄昏
Twitterグループ<小説家の集い>より、夏のキーワード小説。
指定キーワード:『双子』『洞窟』『犯す』の短編小説です。
夕日が差し込む店内は美しい。
店内に客はほとんどいない。静けさが合間って、より一層儚げな物悲しさが漂う。
聞こえる音は、僕がグラスをキュッキュと拭く微かな音と、どこかの席で本を読んでいる常連の咳払いくらいだ。
この店は2階にある。1階は和菓子屋になっていて、本当はそちらが本業なのだが、喫茶店と和菓子屋の2束のわらじを履いても、まあなんとかなっている。ちなみに自室は3階にある。
「なあマスター。ちょいと頼まれてくれないか?」
からんからん、と呼び鈴が鳴り、痩せた長身の男がぬっと店に入ってきた。
音も立てずに廊下を歩き、カウンターの席につく。
「いらっしゃい、フリードさん。今日はコーヒーを飲みに? それとも和菓子を食べに?」
僕の挨拶に咳払いを返し、身をかがめて顔を近づける。
「いや、お前さんの力量を見込んで是非頼みたいことがある」
そう言って彼はポケットから赤い石を取り出し、カウンターに置く。その石は微かに光を放っており、見るものを引きつける妖しさを持っている。
「成る程。そちらの話ですね。少々お待ちを」
僕はグラスを逆さにして立てかけ、カウンターの横にかけてあるコートと帽子を手に取る。
少しずれた眼鏡を戻し、カウンターの奥の控え室に声をかける。
「ちょっと出かけてくるから、店番よろしくお願いします」
ドタッと何かが落ちる音がして、はぁいと間抜けな返事が聞こえる。
僕は苦笑いをして、腕にかけていたコートを羽織り、帽子を頭に乗せる。
「さて、行きましょうか。フリードさん」
_____ーー______----____
数分後、僕とフリードさんは公園のベンチに座っている。
少し離れたところにある滑り台では子供達が楽しそうにはしゃぎ、それを遠巻きに保護者が見つめているのが見える。
「その石が、今回の記憶ですか?」
「ああ。だがこれはいつもの記憶と違う。今まで見てもらったのは『抜け落ちていた自分の記憶』だが、今回のこれは『前世の記憶』の一部だ」
そう。彼には『記憶』がない。うちの店の前に座り込んでいるところをみつけ、彼に仕事を斡旋してやったり住居を見つけてあげたりしたのは数ヶ月前。自分の名前の記憶もないため、英語で自由を意味する<フリード>が彼の当面の名となった。
まあ、彼は最初に会った時にはすでに、何故か大量のアクセサリー___金の指輪や腕輪、ネックレスなどをつけていたため、ちゃんと盗品ではないか確認した上で、それらを売って生活資金とすることができ、働き口も家も見つけるのは容易だったのだが。
「なあマスター。前世の記憶ってもんも、見ることはできるのか?」
「さあ。やってみないことにはなんとも」
僕は、『人の記憶を見る』ことができる。他人が忘れてしまった記憶を結晶にし、それを解析ることで、忘れてしまった記憶を届ける不思議な力があるのだ。だから僕の喫茶店には、『何かを忘れてしまった人たち』が客としてコーヒーを飲みに、あるいは『記憶を見てもらいに』来る。
「フリードさん。どうしてその記憶の結晶が前世の記憶だと思ったのですか?」
「さあな、勘だ。でも、これは俺の記憶じゃないというのは直感でわかった。今までは、結晶を見たときにどこか懐かしい感じがしたんだが、今回はそうじゃない。だから多分、これは前世の記憶なんだ」
「わかりました。フリードさんはご承知のことかと思いますが、僕は『見る』だけです。ただの傍観者です。その場で何が起ころうとも、僕が何かすることはできません。全てを見、帰って来て貴方に事の顛末を伝えるだけです」
「おう。よろしく頼む」
そう言って彼は、口笛を吹く。シューベルトの『魔王』を口笛で吹くのが、彼の癖だ。
僕は頭を少し下げ、赤い石を受け取る。
微かに光る石の中心には、少し影が見える。二つの影、これは......人?
僕は目を閉じ、意識を手の中の石に込める。
気がつくと僕は、洞窟の中にいた。前を向いても、後ろを向いても暗闇しか見えない。
洞窟の壁や天井は岩で覆われている。人の手が入っていない天然の洞窟のようだ。
身じろぎひとつせずに耳をすませると、微かに足音が聞こえた。
足音の方に足を進める。光源は手の中の赤い石しかなく、数歩先を照らすので精一杯だ。
まさに、一寸先は闇。
「本当に前世の記憶だな。一体いつだ?紀元前? それとも......?」
突如、洞窟に振動が響き渡った。
何かが吠えたような唸りと、それに続いて翼がはためく音。
「いやぁ。これは神代かな?」
歴史に語られることのない神の時代か、はたまた異世界か。どちらにせよ、今の時代すでに忘れ去られている何かが、洞窟の先にいる。
少し歩いた先に開けた大空洞があり、そこに龍がいた。
おそらく自分で集めたのであろう金銀財宝で埋め尽くされた大空洞は、まばゆいばかりの輝きを放っている。
円形の空洞の一番下の地表に龍が居座り、僕はそこから少し上の横穴からそれを俯瞰している構図だ。
一対の翼をはためかせ、口から炎をちらつかせて吠えるサタンの化身。
その視線と殺意は僕ではなく、足元で武器を構える二人の人間に向けられていた。
彼らの背は龍の足から膝ほどもない。二人は160cmほどの身長なのに対し、龍は10mを大きく上回っていた。
二人......おそらく勇者たちは、年の近そうな男女で、双子のようにも見えた。男の子が剣を持ち、女の子が弓をつがえている。
「ファンタジー世界だねえ。成る程。あの男の子がフリードさんの前世かな?」
二人は軽い身のこなしで龍の爪を避け、尻尾を飛び越え、脚に太刀傷を入れ、眼球めがけて矢を射る。
体格では圧倒的に優勢の龍が、傍目から見ても押されている。
龍は苦し紛れに炎を口から吐き出すが、男の子が片手を振るうとどこからか水が押し寄せ、炎を食い止める。
女の子は目にも留まらぬ速さで矢を射、その全てが龍に命中する。
1時間ほど戦っていただろうか。
翼は破れ、頭についていた角も折れ、身体中から黄金の血を流している。
「ニンゲンよ......黄金に触れるでない......。黄金を持ち出す者に呪いあれ.....」
龍が最後の言葉を呪詛として吐き出す。
男の子が剣を振りかざし、龍の頭を割って息の根を止める。
返り血が、男の子の体に勢いよく降りかかる。
しばらくそこに立ち尽くしていた男の子に、心配そうに女の子が近づく。
すると男の子は剣を抜き、振り向きざまに女の子に切りつけた。
驚愕の表情を浮かべながら、足元の財宝に赤い血を撒き散らして倒れる少女。
「うわぁ......非道いな。血塗られた黄金の呪いの悲劇。まさしく『ニーベルンゲの指環』か」
僕はぽつりと呟く。
男の子は、自分の剣から赤と金の血が流れ落ちるのを見て、クククと笑い声をあげた。
「そうかそうか。そういうことか! わかったぞ邪竜よ! 龍の血を飲んだ者は龍になる。龍はまた財宝をため、人を喰らい、また誰かに殺される。すると殺した誰かがまた龍になる。この負の連鎖によって、この地は禁忌とされ、ここには常に龍がいた。次の龍は・・・・・・俺だ」
そう言っている間にも彼の体はみるみるうちに変化していき、しまいには元々いた龍と同じ姿になった。
「ヒルデに同じ目に合わせるわけにはいかなかった。兄弟殺しの禁忌を犯したとしても、あいつだけはせめて人間のまま......」
彼は悲しげにそう言うと、ヒルデ___おそらく殺された彼女の名前___彼女を口で器用に拾い上げ、横に転がっていた金の棺桶の中に入れた。
「俺は___もう人間じゃないな」
男の子の声のまま龍はそうつぶやいて、空を仰ぐ。
大空洞は、ずっと上に穴が空いており、満天の星が見える。
「____俺の名前は、なんだったっけ」
龍は翼を広げ、口から氷と水の吐息を吐き出す。
あたりの温度が、一気に低下する。
「まあ、どうでもいいことだ。俺が誰かに殺されれば、来世、ヒルデと一緒に何かに生まれ変われるさ。それまで、待とう」
そう言って龍は、悲しげに唄う。
聞き覚えのあるリズムに、僕ははっとする。
シューベルト作、ドイッチュ番号328。
『魔王』
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「......い。おーいマスター。聞こえてるかい?」
気がつくと、フリードさんが僕を覗き込んでいた。
複雑な気持ちを押し殺して、僕は礼を述べる。
「はい。ありがとうございます」
僕はやっとの事で横になっていた体を起こす。
「どうしたんだい? いつもは倒れたりしないのに」
すっかり暗くなった公園には、僕とフリードさん以外の人影はすでにない。
静寂だけが、辺りを包む。
「やはり前世の記憶だったのですよ、フリードさん。さすがに疲れました。一度、《メモリア》に帰りましょう」
店に帰ると、猫耳をつけたメイドがカウンターに腰掛けて紅茶を飲んでいた。
「あれれ。マスターお帰りなさいです」
「おい、その猫耳どうした。ちゃんと店番頼んだだろ?」
「いやぁ、通販で買っちゃいまして......。でも、店番はしてましたよ!」
照れながら紅茶をすすり、熱っ、とカップを落としそうになっている彼女に、僕は呆れながら話しかける。
「さっさと外せよ。ここはメイド喫茶じゃないんだから」
僕はコートを脱ぎ、帽子と一緒にフックにかけてカウンターに入る。
ゆっくりとコーヒーを2杯淹れ、一杯をフリードさんに勧め、僕は一気に淹れたてのコーヒーを飲み干す。
「......ふぅ。さてフリードさん。ヒルデという名前に、聞き覚えはありませんか?」
いきなりなんのことだ? と首をかしげ戸惑う彼に笑いかけながら、僕は続ける。
「あなたの大事な人を、探しにいきましょう」
『今日からしばらく、和菓子屋 鼎堂と喫茶店 メモリア は休業します』