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俺は今、かつてないほど運動をしている。
そして、かつてないほど、脂肪が減り続けている。
「閣下!ターンのテンポが遅いですよっ」
手拍子をしながら激を飛ばす踊りの先生に、俺は何とか足を動かす。
今日は午前中にレイラと踊りの練習をしたのだが、鳥頭の俺が忘れないよう帰ってからメイド長を相手に自主練習を繰り返しているのだ。
社交ダンスは習ったが、パートナーになってくれる人などいなかったし、これから先も必要ないだろうと思っていた。
だが。今回の夜会では必要になるし、ついでにファーストダンスも踊ることになるだろうとレイラが言うので、俺は目を白黒させてしまった。
ファーストダンスとは、踊りのうまい人か主賓が文字通り最初に踊る、「魅せる」踊りだ。
だから、社交ダンスと違って華やかなパフォーマンスを要する。
今回招待客であり、主賓でもない俺たちが踊るだろうとレイラが予想したのは、アリス嬢の「公女様かわいそう劇場」の一幕にされると予想したからだった。
まぁ、不細工な俺が、更に無様な踊りでこけたりでもしたら、それはそれは絵になるだろうよ。
しかし、思うんだが、こう考えるとアリス嬢って実はすんごく性格悪いんじゃなかろうか。最初レイラの心配しすぎだとも思ったのだが、招待状のあとに、アリス嬢から手紙が来て俺の認識も変わった。
その手紙は、見る人が見たら優しい人なのかと思わせるように書いてあるが、視点を変えると「王妃になる私の招待した夜会を断るわけがないですよね?」というものだった。
殿下見る目ないなー。
「はい、では今日はここまでとします」
「ありがとうございました」
ダンスの先生にお礼を言い、はぁはぁと息を上げながら、タオルで汗を拭く。
執事が飲み物を持ってきてくれたので、一気に飲み干す。
「若様、だいぶ上達されましたね」
「えぇ、本当に。奥様と旦那様にもお見せしたかった・・・」
涙ぐむメイド長に俺は苦笑する。
「そろそろ夜会で着る服を考えなければ。しかし、今の寸法で仕立てても当日には合わなくなっている可能性もありますな」
「あー、服はちょっとレイラと相談してみる」
そう言って肩をぐるぐるまわしていると、メイド長と執事が自分を何ともほほえましい顔で見ていることに気が付いた。
「な、なんだよ・・・」
2人は笑顔を崩さないままうんうんと頷いている。
何だか俺は気恥ずかしくて、風呂へと逃げた。
2人の言いたいことはわかる。
シャワーを浴びながら、俺は鏡を見た。
一番太っていたときの半分ぐらいの体重になったと思う(まだ太ってるが)。それに加え、顔の吹き出物も引いて、負のオーラが減った。髪も整えるようになった。禿げてはいな
いのは救いだったな。
以前の自分を考えたら、とてもじゃないが今の自分は奇跡としか言いようがない。
ダンスははじめ、苦痛だった。
だが、自分のせいでレイラが笑われるのは嫌だった。
全身筋肉痛の日が続いていたが、ある時それがなくなり、ステップを覚えるとダンスも面白くなり、痩せたらステップが軽くなって驚いた。
レイラと手を取って踊るのも嬉しかった。
女性と手を取るなんて、今までなかったし。それに、レイラはいつも俺に無理をさせなかった。なんというか、見極めが非常にうまかった。
俺は今まで引きこもっていたのは、俺だけの問題で、他人は関係ないと思っていた。
だけど、あの2人の顔を見たら、なんだかんだで俺は心配されていていたのだと知らされた。
がんばろう、と思えた。
そして、あっという間に夜会の日になった。
レイラと同じ車に乗って王宮に向かう。
俺は、王宮が近づくにつれ貧乏ゆすりが始まってしまった。
「ヨシュア」
そっと俺の膝に手を置いてレイラが言った。
「今日のヨシュアはとっても素敵よ。だから、大丈夫」
何か返事しようとしたが、のどがカラカラになっていたせいか、言葉がうまく紡げなかった。だけど、不思議なことに貧乏ゆすりは止まった。
何とか大丈夫だという意思表示を示すために首を何度も縦に振っておいた。
覚悟決めろよ、俺―――――っ
王宮の一角にある会場に着き、車の扉が開かれる。
何台もの車が止まっており、きらびやかな装いの人々が会場へと向かう階段を上がっていく。
や、やばい・・・キラキラしすぎて眩しい・・・
思わず引き返したくなったが、レイラを見てどうにか踏ん張った。
レイラをエスコートしつつ、中へ入る。招待状を渡し、給仕に案内されて中へと入っていくと、そこはもう自分の知らない世界だった。
外のキラキラなど比較にならないぐらいキラキラしている。
やばい、俺どうしたらいいかわかんない。どこ行けばいいの?どうすればいいの?
軽くパニックになっていると、レイラがそっと腕を引いた。レイラを見ると、微笑んで頷いている。
そのままレイラに連れられて、あいさつに回った。
正直、誰が誰だかわからないわけだが、レイラが最初に「~様、お久しぶりですわ」とか最初に名前を言ってくれるので、大変助かった。
ぶっちゃけ、レイラの新しい婚約者が俺だという事でみんな「あー・・・」という反応であったことは分かっていても少々傷ついたが、レイラがさも当然のように俺に寄り添うので誰も直接的な何かを言う人はいなかった。
レイラが上手に立ち回ってくれたおかげというのもある。
俺はただ挨拶をして、頷いくだけでよかった。
本当にありがたい。そして、レイラの社交性に感歎してしまう。
一通り挨拶が終わると、レイラは友人だという人のところに俺を連れて行った。全員女性で、その中にいると、レイラは少し子供っぽい感じになった。
なるほど、心を許してるんだなぁと思って見ていると、レイラが化粧室へと向かった。
俺は一人になった瞬間、ものすごく孤独感に包まれ、取り残された感じになってしまった。
みんなの見る目が、怖い。レイラがいない俺の存在価値など無いに等しいというか、無いんだと、思い知らされている感じになった。
「閣下は」
不意に、レイラの友達の一人が俺に声をかけた。
「レイラをどう思っていらっしゃるの?」
全員が、俺を探るような目で見ていた。
「えっと・・・」
言葉に詰まって俺は顔が引きつってしまった。
「レイラを泣かせるようなことをしたら、許しませんわよ」
一層低い声で、言われた。
そうか、彼女たちは、本当にレイラの友人なんだなと俺は思った。それが、何とも羨ましくもあった。
「そ、そんなことは、しません。えっと、その・・・レイラは、自分にとって、その、北極星のような人、ですから・・・」
「北極星、ですの?大輪の薔薇、などではなくて?」
ちょっとびっくりしたように聞き返され、俺はうなずいた。すると、彼女たちは、ふーん、という顔になり、すこし雰囲気が柔らかくなった。
どうやら、俺は彼女たちの試験にパスをしたようだ。
こんな女性の囲まれる経験がないので、汗ダラダラだ。
でも、レイラと出会って、俺は言うべき時にはきちんと言わないと、意味がないという事を知った。だから、俺はどうにか先を続ける。
「レイラは、導いてくれる人なので。だから、北極星、なんです」
語尾が小さくなってしまったが、どうにか言い切ることができた。心臓がバクバク言っている。このまま破裂するんじゃなかろうか。
どうにか息をしている俺は、きっと周りから見たらむさくるしいようにしか見えないだろう。だけど、今の精いっぱいなんだよ・・・
とほほ、と思っていると、後ろから声がかかった。
「クロード侯爵ではありませんか?」
振り向くと、小柄で、ふんわりとした印象を持つ女性が立っていた。
「わたくし、アリスと申します。この度はいらっしゃっていただき、ありがとうございます」
そう言って首を小さく横に傾げた。
あぁ、この人が。そう思って挨拶しようとすると、横から声がかかった。
「子爵位であるあなたが、侯爵家当主に直接声をかけるなんて、礼儀をご存じないのかしら」
レイラの友達たちだった。
誰も敵意を隠していない状態に俺はどうしたらいいかわからず、棒立ちだ。
「でも、これは内輪の会ですもの。ちょっとぐらいいいと思ったの。それに、レイラ様の婚約者でしたら、私もお会いする機会が増えると思って・・」
何故か、大きな目には涙を貯めている。
まるで庇護をそそるような。
「でも、ご無礼でしたら、ごめんなさい」
そう言って、アリス嬢は俺の腕に触った。
思わずびくっとなった。
俺を見上げたアリス嬢の瞳には、何とも言えない「何か」が含まれていたからだ。
俺は、人からの悪意に敏感だ。それが、自分自身を守ることに直結するからだ。いじめられる前に逃げる事が、最善の対処法であると、俺は身を持って学んでいた。
アリス嬢にあるものは、俺の知っている「悪意」とは少し違う。だが、決していいものではない。言い知れない恐怖を感じた。
「わたくしの婚約者に、触らないでいただけます?」
俺が固まっていると、レイラが帰ってきた。
そして、俺をするりと誘導してアリス嬢から離す。
「まぁ、随分嫉妬深いのですわね、レイラ様は。そんなことでは、また逃げられてしまいますよ?」
うふふ、と笑いながらアリス嬢はそのかわいらしい顔に手を当てた。
レイラの片眉がピクリと上がる。
「そういえば、アリスさん。まだ王妃試験に受かってないそうですわね。それなのに、主賓のように振る舞っているなんて、滑稽ですわ」
アリス嬢の笑顔が消える。
「そんなもの、私が王妃になったらすぐにでも廃止しますわ。意味のない試験なんて、あるだけ無駄ですもの」
「まぁ、そうですの。でも、まずはご自分が受かってから廃止なさらないと、『できないから廃止する』というようにしか見えませんわよ」
アリス嬢の顔が歪む。
というか、まだ試験に受かってなかったのか、アリス嬢は。
「かつて、市民から王妃になられたダリア様とて、その道をお通りになられたのですから、仮にも爵位を賜った家に生まれた貴方が受からないわけ、ないですものね」
にっこりとほほ笑むレイラと、俯いたアリス嬢。端から見たら、レイラが苛めているようにしか見えない構図だ。
その証拠に。
「あまりアリスを苛めないでくれないか?」
殿下がやってきて、アリス嬢の肩を抱いた。
アリス嬢な涙が今にもこぼれそうなほどに溜めた瞳を殿下に向けて、「私が悪いんです」と呟いた。そしてそのまま何も言わない。
なんていうか、これじゃまるでレイラが悪者だ。レイラの後ろにはレイラの友人たちがいたから、殿下から見たら寄ってたかって苛めていたように見えただろう。
「殿下、この度はお招きありがとうございます。わたくしの婚約者はご存じでしたわよね」
「あ、あぁ。実際に話すのは初めてだが」
レイラは見事にアリス嬢をスルーした。
俺は何度も言いなれた挨拶をして、殿下に礼を取る。
「では、わたくしたちはこれで」
そう言って俺たちが場を離れようとすると、「待って」とアリス嬢が声をかけた。
「ねぇ、殿下。せっかくですもの、お二人にはファーストダンスを踊っていただいたらいかがかしら?」
「え?でも、それは君と僕が躍るはずじゃ」
「でも、お二人は婚約してから初めての夜会ですもの。記念になるようにと思って・・・ダメかしら?」
そのお願いに、ちょっと困ったように、でも、決定事項のように殿下は言う。
「キミたちにお願いしてもいいだろうか?」
ちらりと見たアリス嬢の表情に、俺は目を見張る。
愉悦、嘲り、そんな感情が浮かんでいた。
「もちろん、いいですわよ。ねぇ、ヨシュア?」
平然と受けて経つレイラにアリス嬢が一瞬驚きの顔を見せるが、すぐに元に戻る。
まったくもって、レイラの予想通りだ。まさか、アリス嬢は俺たちが準備しているとは思ってなかっただろう。というか、俺が踊れるなんて微塵も考えていないだろう。
やってやろうじゃないか。
そう腹に力をいれて、ファーストダンスの準備のためにその場を後にしようとした時、後ろからアリス嬢の声がした。
「転んだりして、怪我をなさらないでね?」
え?と思って振り返ろうとしたが、レイラがギュッと腕をつかんだので、そのまま歩いた。
転んだり・・・しないと思う。でも、だけど、もし、転んでしまったら。
そうしたら、俺は構わないけど、レイラが。
頭の中に俺がすっころんでレイラを下敷きにしてしまう映像が浮かんだ。そして、まわりの人間が俺をあざ笑う。
豚がこんなところに出てくるからだ、と。
所詮豚は豚なんだ、と。
ヒヤリと背中に冷たい汗が流れる。
どうしていいかわからなくなった。
目の前がぐらぐら揺れて、ちかちかして、自分がどこにいるのかもわからなくなった。
「ヨシュア」
気が付いたら、ホールを出ていて、庭園の見えるところに居た。
「ヨシュアは、私を落としたりなさらないでしょう?」
柔らかく微笑むレイラに、俺は何度も頷いた。俺が怪我したって、絶対レイラを怪我させたりしない。
「それに、失敗したって、いいのですわ」
「で、でも、それだと、」
レイラが笑われてしまう。
言い終える前にレイラが俺の頬に手を当てた。
「今日のヨシュアは、本当に素敵よ?それに、頑張ってきたヨシュアも素敵だった。失敗なんて、誰でもするわ。だけど、今まで頑張ってきた努力は、無駄なんかじゃないわ。そうでしょう?」
俺の中に、走馬灯のように練習の日々が駆け巡った。
ステップすらまともに踏めなかった俺。
ちょっと動いただけで根を上げていた俺。
それに根気強く付き合ってくれたレイラ。
少しずつ踊れるようになって、楽しくなってきた。
初めてレイラを持ち上げた時の緊張感。折れてしまうのではないかと思うほどの細い腰に驚いたし、無用な想像もした。
ダンスをして、今までよりずっと、距離が近くなった俺たち。
「レイラ。俺、俺、頑張るよ」
そういうと、レイラは、嬉しそうに笑った。
ホールに入ると、ファーストダンスを俺たちが踊ると紹介された。
そして、音楽が鳴る。俺たちは、中央に出て、息を整えた。そして、目で合図をして、一歩を踏み出す。
よし!最初の一歩がうまくいった。大丈夫だ。
曲に合わせてステップの速度を上げる。大丈夫だ。うん、大丈夫だ。大丈夫大丈夫大丈夫・・・
大丈夫を連呼している合間に、ふと、アリス嬢の言葉がよぎった。
『転んだりして、けがをなさらないでね?』
その瞬間、次のステップが分からなくなった。
あれ、右か左か?ターンか!?パニックになった俺は足を止めてしまった。
しまった!!と思ったその瞬間、レイラがくるりと回転して俺の腕の中に納まって、俺を見上げて微笑むという事をした。
全く予定にはないことだったけど、まわりから見たらそれもダンスの余興と見えたと思う。
レイラが小さく頷く。心臓がバクバクとうるさいぐらい鳴っている。だけど、俺も頷いて、息を吸った。
そしてまた、2人で1歩を踏み出す。
体に叩き込んだステップは、どうにか形を成してくれた。
ダンスの最後は、レイラを持ち上げてるリフトの業だ。俺はレイラを持ち上げると、くるくると回る。
今日のレイラのドレスは、この時に一番美しく見える仕様になっていた。
きっと、外から見たレイラは美の化身のようにみえたであろう。土台が俺でも。
そしてダンスが終わり、俺たちはお辞儀をした。
その瞬間、割れんばかりの拍手が響き、その中を歩いてもう一度ホールの出入り口でお辞儀をし、別室へと移った。
椅子に座った瞬間、ガタガタと体が震えだした。
「あ、あ、え、えっと・・・・」
自分の中に、感情が勢いよく駆け巡って、涙があふれ出す。
感情がまるで嵐のように渦巻いて、自分が嬉しいのか悲しいのかさえよくわからない。
止めようとするのに涙があふれてしまい、今までだって情けなかったのに更に情けない俺を見てレイラが愛想を尽かすんじゃないかと俺は咄嗟に逃げようとした。
けれど、レイラが俺の頭を抱えるように抱きしめてくれて、俺はどうしようもない安堵を感じてしまった。
ついでに胸が当たってます。柔らかいです。とかなんとか・・・自重。
しばらくすると涙も止まって、レイラは俺をほめてくれた。
「素晴らしかったですわ」
「いえ、レイラが途中で機転を利かせてくれたから。ほんとすいません」
「いいえ、ヨシュアは今日の事を誇りに思うべきだわ」
本当にレイラは俺を持ち上げるのがうまい。そんなこと言われると、その気になってしまう。
俺が恥ずかしくてもじもじしていると、ドアがノックされて侍女が入ってきた。
手には着替えの衣装を持っている。
基本、衣装替えはしないが、ファーストダンスを踊った人は衣装を変える。衣装替えで更に話題を集める意味でも、ファーストダンスは主賓や主役が努めるものなのだ。
まぁ、汗かくしね。俺の場合、脇汗とか色々やばい。
着替えましょう、という言葉に俺とレイラは別々の部屋へと引っ込んだ。
男の場合、大して手伝いも必要ないので着ていた服を脱いで体を拭く。ジャケットのしたのシャツの脇下が想像以上にやばかった。うわー、臭かったよな、俺・・・
タオルの横に汗ふきシートさわやか匂い付きというのがあったので、俺は迷うことなくそれを開けてあちこち拭いた。
レモンのさわやかな匂いがする。よし、これなら大丈夫だろう。
そして、新しい衣装を開けて目にして俺は思わず「うえぇ!?」っと叫んでしまった。
ちょ、これ、これはアカンって!
狼狽える俺。だけど、汗びちゃびちゃの服にもう一度袖を通すのもどうなの、という状態。
えぇい、ままよ!!
俺は服を着て、部屋から出た。
出ると、そこには既に着替え終わったレイラが待っていた。そのレイラを見て更に言葉をなくす俺。
うふふ、っと笑ってレイラが俺の腕を取り、鏡の前に誘導する。
「素敵だと思って、服にしてしまいましたわ」
レイラのドレスは、若草色花のモチーフが刺繍されている。俺の方は若草色よりももう少し深い色のジャケットに蔓と葉っぱだけだが、その蔓は伸びて並んで立つとレイラのドレスへとつながり花を咲かせる。
何気にこれ、俺がデザインしたものだった。
レイラと今日の夜会の服のデザインの話になった時に、ふと思いついて筆を滑らせたものだったのだ。レイラに乗せられて、色も簡単に付けたもした。
でも、まさか・・・・これが本当に服になるとは。いや、服にしてしまうレイラがすごいのか・・・・。
恥ずかしすぎて声も出ない。
でも、どこか自分の考えたものが形になったことに嬉しくも感じる。
「レイラには本当に驚かせられてばかりだ・・・・」
俺のつぶやきに、レイラはいたずらに成功した子供の用に笑い、小さく舌を出した。
それを見て、俺は目を瞬かせる。
レイラがそんな表情をするところは、初めて見た。俺に心を許してくれているってことでいいんだろうか。すごく、すごく嬉しい。
レイラといると、俺がブサメンであるという事を忘れそうになる。それがいいことなのか悪い事なのか、俺には分からないけど、だけど。
俺は、ずっとレイラと一緒に居たい。そう思う。
「さぁ、参りましょう」
腕を組んで、会場へ戻る。
会場へ戻ると、再び大きな拍手をもらい、俺は目を泳がせてしまったが、レイラが上手に俺を誘導してくれたのでどうにかなった。
そして、来る人来る人俺を見直したというようなことを言いう。
まぁ、あれだよね。イケメンの法則、ブサメンの法則ってやつだ。イケメンは、ちょっとした失敗でも幻滅されたり、できて当たり前、と周りが思う。
その反対に、ブサメンは、こいつどうせ何もできないだろうし、期待するだけ無駄。って思われる。だから、その反動でちょっとでもマシな行動をすると、『お前、実は結構やるんだな!』という評価に変わるわけだ。
そして、服を褒められつつ冷やかしが入る。
そう、誰か見たってこの服は「超仲良しラブラブカップル」の状態なのだ。
しかもレイラが、服を褒められるたびに俺がデザインしたものだというものだから、俺は恥ずかしすぎて死にそうだった。
まぁ、そんな状態だから、俺とレイラが主役の状態になってしまっているわけで。
こっそりアリス嬢を見たら、酷く機嫌悪そうにして殿下がなだめていたけれど、でもアリス嬢が踊れと言ったわけだし。服を変えるのだって、ファーストダンスをした人間の特権なわけだし。
踊る予定だった殿下とアリス嬢も服を用意していただろうけどね。
たくさんの人に囲まれすぎてそろそろ目が回りそうだと思っていると、レイラがスローワルツに連れ出してくれた。
思わずため息をついてしまった俺に、レイラは申し訳なさそうに言う。
「慣れてないのに、長居してしまいましたわね」
「いえいえいえ、俺がコミュ障なだけだから。でも、レイラがいてくれたから、こうして何とかなってるだけで。レイラには感謝感激雨霰だ」
ため息の感情には、ちょっと慣れてきたら見えるようになった、俺への嫉妬というものもあった。
大公家の息女で王家からも他の大公家からも大切にされているレイラならば、たとえ王太子と色々あったとしても、手に入れたいと思う高値の花なのだ。
むしろ、王太子と色々あったがゆえに手が届くかもと思える状態なのだろう。そして、相手が俺ということでレイラを狙っていた奴らは、動こうとしたに違いない。ところがどっこい、俺が想像以上にいい仕事をしてしまったがために、付け入る隙を見つけられていないのだ。
「わたくしのしたことなんて、微々たるものですわ。すべて、ヨシュアが頑張ったから、ですのよ」
「そんなことないですよ」
ほほえむレイラに俺も微笑み返す。
レイラといることで、何かあるかもしれない。だけど、俺はレイラが望む限りレイラの隣で頑張っていきたい。
しかし、どうして、と思ってしまう。
どうして殿下はレイラではなくアリス嬢を選んだのだろう。噂では、春の陽のような柔らかい笑顔をもつ女性、だったかと思うんだが、どう見ても違うよな。
スローワルツが終わると、夜会はまだ途中だったが帰ることにした。
レイラが、久々の夜会で疲れてしまったから、という風に言っていたが、どう考えても俺のためだ。
殿下のところへ行って帰りの挨拶をすると、アリス嬢が怖い顔をして睨んでいた。
「着替えまで用意しているなんて、用意周到すぎじゃないかしら」
「あら、上に立つ人間ほどいついかなる時でも不測の事態を考慮して動くものですわよ?」
お前の言いそうなことなど、まるっとお見通しだ!というレイラに対し、アリス嬢は悔しそうに顔を歪ませている。
可愛い顔が台無しだ。っていうか、この人思ってた以上に性格悪そう。
「では、ごきげんよう、殿下。アリスさん」
見惚れるほどの笑顔を二人に向けるレイラは、何とも悪役令嬢のようだった。なんて、口が裂けても言えないな。
それから、ちょっとふわふわした気分のまま家路について、お風呂に入って歯を磨いて布団に入ってから・・・・
もしかして、俺すごくいい感じだった?!
もしかしなくてもいい感じだったんじゃね?!
そーだよ、やったんだよ、俺。
俺スゲーじゃん!!!!!
「うぉぉぉーーーーー!」
思わずベットの上に立ち上がって拳を突き出していると、じぃが部屋へと飛び込んできた。
「何事ですかっ」
「え?あ、いや、その・・・勝利の雄叫び?的な?」
「・・・・・・・」
じぃは呆れた顔をして「もう夜も遅いので老体に鞭をうつようなことは控えてください」と言って去って行った。
「すんません」
と小さく謝ると俺は大人しく布団に入ったのだった。
目を閉じて、未来の事を思う。
レイラとの楽しい未来。
今までの黒くて埋もれてしまうような過去を払拭するような、楽しい未来が待ってるんだ。
俺は、そう信じて疑わなかった。
・
「ヨシュア!」
部屋の扉が勢いよく開いて、レイラが入ってきた。
入ってきた、といより、飛び込んできた、と言った方がいいだろうか。
普段のレイラからは想像もつかないほど取り乱しており、俺を見た瞬間ホロホロと涙を流し始めた。
「レイラ、その、泣かないでほしい」
点滴に繋がれていない方の手で、レイラに手を伸ばした。
レイラは近づいてきて、俺の寝ているベットの横に膝をついた。
前にもこんなことがあったな、なんて苦笑してしまう。
「レイラ」
一瞬、触れていいか躊躇したが、片手でレイラの涙をすくった。レイラは俺の手をぎゅっと両手で握る。
夜会の数日後、俺は倒れた。
まぁ、簡単に言うと、今までの不摂生が一気にやってきたというところだ。
今までの俺だったら、なんで俺が、とか、俺ばっかり、とかそんなことを思いながら世間を呪っていた事だろう。
だけど、今なら思う。自業自得だと。
「わたくしが・・・わたくしがヨシュアに無理をさせてしまったから・・・だから・・・ひっく、ごめんなさい、ヨシュア、わたくし、」
「違うよ、レイラ。これは俺が悪いんだ。だから、泣かないでほしい」
心の底からそう思う。
「俺は、サナトリウムに行こうと思う」
そういうと、レイラは小さく声をあげた。
「何故ですの?この国でも治療は問題ないと思いますわ?」
「今まで、ずっと自分を甘やかしていたから、俺なりのけじめと言いますか」
「で、でも・・・」
「決めたんです」
俺がはっきり告げると、レイラは何かを言いかけて、そして目を伏せた。
長いまつげが涙に塗れていて、痛ましかった。そして、そんな風にさせているのが自分だという事に申し訳なさと、そしてそのぐらい俺を思ってくれているのだろうと思ったら、嬉しかった。
「待っていて、くれる?」
レイラが小さく震える。
「必ず、帰ってくるから」
少しの間が空いた後、レイラは顔を上げて居住まいを正した。
「お待ちしております。どうか、ご自愛くださいませ」
そう告げた声も顔も凛としていて、俺を見送ることに少しの躊躇もなかった。
そんなあっさり、見送らないでよ。なんて、思う俺も居たりするけれど。そうじゃない。俺が決めたことを、尊重してくれているんだ。
そして、レイラは必ず待っていてくれる。そう思った。
どこかの話で「寂しい」を理由に浮気をする女性がいたな。遠距離なんか、無理に決まってるじゃん、とアニメを見ながら俺は思った。
遠くのたまにしか会えない男より、近くにいる自分を優しくしてくれる人のところに行くに決まってるじゃないか、と。
俺のお見合い相手がレイラじゃなかったら、これ幸いと婚約は破棄されていただろう。
俺自身も、あーやっぱりなって思って終わってたと思う。
跡取りは残さないといけないから、きっとお金に困った誰かを娶って形だけの夫婦になるんだろうと漠然と思っていた。
そんな俺を変えてくれたレイラ。
変わりたいと思ったその時から前とは違う自分だと言ってくれたレイラ。
俺はもっと変わりたい。だから、俺は俺を甘やかしていた自分と決別する。
・
サナトリウムに出発する日、見送りに来てくれたレイラが、抱きしめてほしいと言った。
俺は言葉の意味を理解するまでに数十秒を要し、理解してからは茹蛸のようになった。
おずおずとレイラに触れる。
いい香りがする。うなじがやばい。乱暴に扱ったらすぐに壊れてしまいそうだと思う反面、強く抱きしめたいと思う自分がいる。
き、キスもしていいのかな。恋人だし?婚約者だし?いいのかな。
でも、俺初めてだし?最初が肝心っていうし?
そんなことを考えていると、執事が出発の時間だと呼びに来た。
空気読もうよ!
寂しそうに、だけど笑って見送ってくれるレイラに胸を締め付けられながら俺はレイラが見えなくなるまで手を振った。
泣きそうになる自分を叱咤して、前を向く。
すぐ戻ってくる!気合入れろや、俺ぇ!
「若様」
自分に気合を入れたところでじぃが、はぁとため息をついた。
「普通あそこでキスすると思いますがね。どんだけヘタレなんですか。まったく」
うえぇぇぇ・・・
ってか見てたのかよっ。ってかじぃがあともうちょっとってところで呼びにきたんじゃないかよぉぉぉぉ。
ヘタレで悪かったな、コンチクショウ。
帰ったらレイラとキスをする。絶対!
俺は涙目になりながらサナトリウムへと向かったのだった。