悪役令嬢の兄になりまして
「お兄さま、どうか死なないで……っ!」
豪奢なベットの淵で、ピンク色の瞳をした少女――フォルトゥーナ=ジャックベリーが俺の手を握り締める。
「坊ちゃま、お目覚めになられましたか」
執事のセバスチャンもグレーの瞳に涙を浮かべて「主治医を呼んできます」と一礼して部屋を出て行く。
それを見つめる俺は、痛む身体と朦朧とした意識の中、心の底から混乱していた。
……何で俺、乙女ゲーのキャラになってんの……?
子供ながらも整った顔立ちのフォルトゥーナは、俺が倒れる原因になった少女で俺の可愛い妹だ。
妹は魔力修練中に魔力を暴走させ、たまたま通りかかった俺に暴走した魔力がクリティカルヒット。
俺はそのまま意識を失い、今に至るわけだが……。
フォルトゥーナの透き通るように淡いピンクの瞳には、大粒の涙が浮かんでいる。
「大丈夫だよ、フォル。なんともないからね……」
妹を安心させるつもりが声が掠れて、妹はより一層心配そうに俺の太い指を握り締める。
華奢な妹が握り締めると、俺の指はより一層太さを増すような気がする。
こんなに素直で優しい妹が、将来悪役令嬢になるんだよな……。
昔から、俺は妹を見るたびに何か引っ掛かりを覚えていたのだ。
それが一体なんなのかはずっと判らなかった。
けれど今日、生死の境を彷徨って、その理由を思い出した。
俺の妹は、乙女ゲーム『宝石のように煌いて』に出てきた悪役令嬢であると。
つまり俺が今いるこの世界は、乙女ゲームの世界だ。
そして俺は『宝石のように煌いて』の最難関攻略キャラといわれたラングリース=ジャックベリーなのだ。
いわゆる異世界転生というやつを、俺は身をもって体験していたわけだ。
けれど……。
なんだって、よりにもよってラングリースなんだよ。
俺はベットの上でぶくぶくと肥え太った自分の身体をみる。
齢五歳にして既にメタボ。
寝返りをうとうものなら、最高級ベットが重さに耐え切れずぎしぎしと嫌な音を立てるレベル。
実際、数ヶ月前にも俺の重みに耐え切れずにベットが崩壊して、ベットを作った職人があわや首を刎ねられる所だった。
優しい妹が厳格な父に頼み込み、俺も分厚い肉がクッション代わりになって怪我一つなかったから、なんとか職人の首は繋がったが。
いま俺が寝ているベットは二度と崩壊しないように、脚が通常の三倍は太い特別仕様だ。
『宝石のように煌いて』で、皆の本命の王子を押しのけて俺が最難関キャラだったのは、この体型が主な原因だ。
ゲームでは俺が十六歳の時に学園でヒロインと出会う事になるのだが、俺は今以上にさらに肥え太っているのだ。
画面からはみ出しそうな巨体で、肉に埋もれた目は意地悪く釣り上がり、開いていても閉じていても判らない線目。
公爵家の三男という家柄らしく横柄で傲慢で弱いもの苛め大好き。
つまりデブで性格も悪いのである。
最難関キャラというか、そもそも攻略すらしたくない。
運営、なぜにこんなキャラ作ったし!
しかし攻略して全てのイベントスチルを入手しないと、各攻略キャラの隠しイベントスチルを入手できない鬼畜仕様だったのだ。
でも前世のおかんはデブで性格悪くて面倒なキャラの攻略なんぞをする気はなく、息子である俺に攻略を押し付けた。
ほぼ、強制的におかんに押し付けられ、男なのに好きでもないキャラを隅々まで攻略しつくしたのだ。
そう、俺が生まれ変わってしまったデブなラングリースの事も、おかげで設定を良く知っている。
ゲーム通りに進んだら悪役令嬢と化した妹に巻き込まれ、ジャックベリー公爵家は破滅する。
五歳のいま、前世を思い出せたのはきっと幸運だろう。
いまならまだ、破滅の運命を回避できるはずだ。
破滅の運命を回避すべく、可愛い妹を悪役令嬢ではなく普通の令嬢に育て上げ、そして運悪く破滅しても死ぬことだけは避けれるようにしよう。
悪役令嬢的BADENDは大まかに分けて三種類ある。
1)没落ルート
悪役令嬢たる妹が王子の不興を買い、ヒロインを苛め抜いた事が発覚。
父の不正もばれて爵位剥奪、国外追放になる。
2)自殺ルート
王子に本当に惚れてしまった妹が、婚約お披露目パーティーで王子に破談を言い渡され、ショックで自殺してしまうルート。
このルートの場合、妹だけが死んで、俺や家族はお咎めなし。
3)宝石ルート
『宝石のように煌いて』の目玉とも言えるようなEND。
王子の不興を買った妹は、なんと魔法により宝石の刑に処せられる。
魔法で瞳の色と同じ宝石に変えられてしまうのだ。
妹はそれはそれは美しいピンクトルマリン色の瞳をしている。
宝石に変えられた妹は皆の前で粉々に砕け散り、ピンクの宝石が舞い散る中、王子とヒロインが微笑むスチルは綺麗だった。
だが砕け散るのは俺の妹の命だ。
俺の妹にそんな未来は絶対に許さない。
いま現在の妹は、幼いせいなのか、高飛車で意地悪でテンプレ的な悪役令嬢だったゲームとは似ても似つかない性格なのである。
優しくて思いやり深くて、使用人達にも心底愛されているほどに。
当然、俺も妹を大事に思っているのだ。
BADENDは全て避けたいが、最悪、妹が死ぬ2と3のルートを避け、没落後も生活できるように俺は手に職をつけよう。
妹と、家族を食べさせていけるように。
俺の手を握り締めて泣きじゃくる妹の頭を撫でながら、俺はそう、決意するのだった。
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「お父様、本日はお父様に剣術を鍛えていただきたく存じます」
俺は、メタボの身体で精一杯剣を構える。
対する父も俺に負けず劣らずのメタボ体型だ。
遺伝か?
遺伝なのか?
だがしかし、遺伝だとしても諦めるわけにはいかない。
俺はともかく、父にはなにが何でも痩せて貰わなければならないのだ。
「脇が甘いぞ、ラングリース! なにをぼさっとしている?」
「……まいりました」
父に剣を喉元に突きつけられ、俺は跪く。
剣術が得意だったというセバスチャンの情報は間違いではなかったようだ。
昔からメタボで、公爵家という地位を使って半ば無理やり伯爵家の母を嫁に迎えた父は、ずっと、醜い容姿にコンプレックスを抱えて生きているのだ。
無理やり結婚させられた母から愛される事などなく、父はどんどん卑屈になり、将来は不正に手を染めてしまうのだろう。
だが美形になるのは困難でも、痩せる事は出来るはず。
痩せたからと言ってすぐにコンプレックスがなくなるかといわれれば頷くことは出来ないが、なにもやらずに手をこまねいているよりはずっといい。
デブにありがちな運動嫌いは父にも適用されているけれど、剣を扱う父の顔は今まで見たどの顔よりも生き生きと輝いていた。
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「そこまでですよ、クレディル先生。いや、ディルティール=ロンドールとお呼びしたほうがよろしいかな」
「くっ、お前はラングリース! なぜその名を知っている……っ!」
「調べたからですよ。貴方が何者であるかをね」
父の書斎で不正を捏造していたディルティールに、俺は魔法の杖を突きつける。
そう、俺が彼の存在を疑い始めたのは、随分前からだった。
ゲームでは名前すら出てこなかったが、彼は母の不倫相手になる予定だった。
もっとも現実のいまは、母は痩せて筋肉質になった父に惚れ直し、来年には妹か弟が生まれる予定だ。
母に惚れられた父は昔からのコンプレックスを脂肪と共に脱ぎ捨てたのだ。
不正も不倫もありえない。
ディルティールは妹の魔法教師だ。
俺が前世を思い出したあの日。
本当は、妹の性格が歪む日だったのだ。
この目の前の魔法教師によって呪いをかけられて、高飛車で冷酷で傲慢な悪役令嬢に。
けれどいま思えば運よく俺が通りかかり、妹は集中を切らして魔力を暴走させた。
そのせいで呪いと暴走した魔力が交じり合って俺に当たり、呪いは上手く発動せず俺は前世を思い出せたというわけだ。
そもそも、魔法教師がついていながら魔力が暴走すること事態がおかしかったのだ。
ジャックベリー公爵家がいくら魔力が強かろうと、まだ四歳だった妹に暴走するほどの魔力はなかった。
妹に呪いという余分な魔力が注がれたからこその結果だったのだ。
「……全て知っているというわけか」
「えぇ。貴方が我がジャックベリー公爵家を逆恨み、妹に呪いをかける為に魔法教師としてきた事も、母を誑かそうとした事も、いままた、父に汚職の濡れ衣を着せようとしている事も。
もっとも、全て失敗に終わったわけですが」
ディルティールはロンドール子爵の次男だ。
父が学生だった頃、伯爵令嬢だった母に惚れていた。
けれど母を想っていた男はもう一人いた。
それがディルティールだ。
彼は母を奪い去った父を恨み、自分を選ばなかった母を憎み、魔法で姿を変えてジャックベリー家に潜り込んだのだ。
本物のクレディル先生はディルティールから娘に呪いをかけられ、辺境の町でひっそりと暮らしていた。
今頃は俺が手配した治癒術師によって娘の呪いは解かれているはずだ。
「失敗? お前はやはり抜けているな」
くっくっくと笑い出すディルティール。
歳よりもずっと老けて見えるのは、魔法で姿を変えているせいだけではないだろう。
「私がお前に何もしていないと思うのか? 十年だぞ、十年! お前にも俺の呪いをとくと味あわせてやる……我に答えて出でよ、闇の蛇よ!」
ビシリと俺に魔法の杖を突きつけ、にやりと笑うディルティール。
けれどなにも起こりはしない。
起こるはずがないのだ。
「な、なぜ発動しない?! お前にはとうの昔に呪いを……っ」
動揺するディルティールの前に、物陰に隠れていたライリーが羊皮紙を片手に現れる。
羊皮紙に描かれた魔法陣と蛇の模様に、ディルティールは青ざめた。
「呪いっていうのはこれだろ? 子供のベッドの中に仕込むなんて、おっさんいい趣味してんね~?」
「貴様はヴァイマール伯爵家のっ?! なぜ貴様までここにいるっ」
「呼ばれたからに決まってんじゃん。馬鹿じゃね?」
「ライリー、口調が乱れているぞ」
「別にここならいいだろ。公式の場じゃきっちり切り替えるさ」
「えぇえいっ、貴様ら二人とも、まとめて消し去ってやる!!!」
ブチ切れたディルティールの杖から稲妻が迸る。
俺は即座に結界を張り巡らす。
杖から迸る魔法陣が俺とライリーを囲むように分裂し、稲妻を弾き飛ばした。
何度も何度も繰り出される稲妻を俺の結界で弾き飛ばし、ライリーが隙を突いて魔法を放ち、ディルティールの足を凍らせた。
「無駄ですよ、ディルティール。貴方の事は既に父に報告済みです。私達を消しても、証拠はもう消えません。貴方は終わりです」
杖を突きつける俺に、ディルティールはがくりと膝を突いた。
◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆◇◆◆
俺の望みどおり、妹はそれはそれは素敵な令嬢に育った。
もともと呪いさえ受けなければ性格の良い子なのだ。
ほんのちょっぴり、いや、かなりブラコンな事をのぞけば、完璧だろう。
そして俺は、父と共にダイエットを見事成功させ、それなりの青年に育っていた。
肉に埋もれて目というより線だった釣り目は、切れ長と言い換えることが出来る程度に。
「さぁ、皆様、ゆっくりとご覧下さい。我がジャックベリー家の花宝石を」
俺は右手に宝石を、左手に生花を携えてご令嬢達に微笑む。
宝石がふわりと浮かび上がり、空中で俺の魔力と混ざり合い液体と化し、生花を包み込んだ。
そして俺がもう少し魔力を込めれば、キンッという硬質な音と共に、宝石は生花を包み込んだ花宝石へと生まれ変わる。
宝石の周りをひらひらと枯れない花弁が舞い続け、ご令嬢たちの口から感嘆のため息が零れ落ちた。
俺は前世で無理やりおかんに手伝わされていたハンドメイドのレジンアクセサリーで、いまや一躍有名人だ。
家柄的に魔力がたっぷりの俺は、今日もアクセサリーに魔力を注ぎ込み、生きた花々を宝石の中に閉じ込める。
手に職をつけようと思ったとき思い浮かんだのは、レジンアクセサリーだった。
けれどこの世界にレジンはない。
だが似たような素材はある。
ジャックベリー家が所有する鉱山から取れる青い原石がそれだ。
それはジャックベリー家の者が魔力を注ぎ込む事によって液体に変わり、俺は職人に頼んだ台座に液体を魔力ごと注ぎ込む。
俺にしか作れないこの花宝石は、貴族の令嬢たちに強い人気を博し、先日は幼い王女の贈り物へとも求められたほどだ。
妹は俺と結婚するといってきかないが、最近は俺と仲のいいヴァイマール伯爵家の次男坊ライリー=ヴァイマールに心惹かれていることを知っている。
ライリーは先日のディルティールの捕獲に協力してくれるぐらいに俺とは旧知の仲で、俺もあいつになら妹を任せていいと思っている。
けれどライリーはいまのところ色恋沙汰に乗り気ではないようで、妹の恋はもうしばらく成就しそうにない。
兄としては嬉しいような、妹の幸せを望む身としては悲しいような、微妙な気分だ。
『宝石のように煌いて』のヒロインも当然の如く現れた。
だが、何故か王子とくっつかなかった。
婚約も何もしていない妹が邪魔をするはずもないので、不思議なものである。
やはりゲームと現実は違うという事なのだろう。
違う事といえば、王子には昔から妹の好みをよく聞かれる。
ゲームでは妹が付きまとって不興を買ったから、王子にはなるべく関わらせたくないので適当にごまかしているのだが。
妹と家族が幸せになってくれればいい。
恐らく最悪なBADENDは回避しただろうから。
そう思いながら、俺は今日も花宝石を作り続けるのだった。