足手まとい
「『この屋敷に仕掛けられた罠のすべてを解除しろ』」
廊下の床に手をつけてそう唱える。
俺の魔力が屋敷を包み込んでいくのを感じる。
この屋敷はかなり大きい。外観では三階建てぐらいありそうだった。
それだけの大きさの建物を包み込む魔力はかなりのものだ。
だがそれも、俺にとってはなんら問題にすらならない。
なぜなら、魔導を行使し続けているうちに、俺は空気の中に含まれる魔力を吸収し、自分のものとすることができる特異体質へと変化していたからだ。
要するに。
事実上、俺は魔力を無尽蔵に利用することが可能となっているのだ。
日本語で呪文を構築さえできるなら、俺にできないことなどこの世にほとんど存在しない。
その証拠に――。
「よし。これで罠を解除できたはずだ」
「ふぇぇ!? わっ、ほんとです、全然罠が起動しませんっ」
家の構造をよく知るメイファンが廊下の床をおそるおそる踏んでみたり、壁の一部を押し込んでみたりしても、罠が起動する気配はない。
うん、どうやら無事罠を解除することができたようだな。
「すごい、すごいですジェラルドさんっ。まさか、魔導をこんな風に使うなんて、思ってもみませんでしたっ」
「うんうんっ。ジェラルド、やっぱり凄いよ! 何でもできてかっこいい!」
メイファンとミィルが口ぐちに俺を褒め称える。
……しっかしなあ。こうやって持ち上げられるのは、何度経験しても慣れないな。
悪い気はしないけど、正面から褒められたり尊敬されたりすると妙に気恥ずかしいのはなんだろな。
「そういちいち褒めるなっての。大したことはしてないんだしさ。それよりも、案内の続きを頼めるか、メイファン?」
「は、はいっ。そうでしたっ」
失礼しました、と頭を下げてメイファンが案内を再開する。
このようにして、メイファンの屋敷へと拠点を移した俺達の新生活は幕を開けるのだった。
* * *
メイファンの屋敷は三階建てだった。
一階には玄関と居間や台所、風呂、食堂、トイレがある。
二階には、下宿していた門下生達が使っていたであろう大部屋が三つほど。それぞれ五人は寝起きできそうなぐらい広い部屋だった。
そして三階には、シャオランさんが使っていたと思われる寝室と書斎が一部屋と、メイファンの寝室があるらしい。
また、離れの小屋もあり、そこは食糧庫になっている。屋敷の裏手には小さな畑もあり、野菜はある程度自給自足していたようであった。
ちなみにであるがメイファンの寝室は見せてもらえなかった。曰く、『乙女の秘密』がそこにはあるらしい。
とはいえ、その秘密もすぐに暴かれた。
「でも気になるよね! 女同士だしあたしは大丈夫だよね!」
と主張するミィルが、あわあわとうろたえるメイファンの制止をかなり強引に振りきってメイファンの寝室を探索した。
その結果として、大量の女性向けロマンス小説が発掘されたのである。
それも、男と女が抱き合うの抱き合わないのといった過激なやつで、時には全裸の男女がベッドの上で重なり合う挿絵の入ったものまであった。
「み、ミィルさん……女同士の秘密だって言ったのにぃ……」
赤面して顔を覆い、メイファンはヘナヘナと銀耳と銀尻尾をしおれさせていた。
俯いた彼女の口からは、「ひゃああ」と小さな悲鳴も上がっていた。
その一方でミィルはというと、挿絵のページを開いて俺へ見せつけてくる。
「うわぁ……ねえねえジェラルド、これ見てよ! すっごいよ!」
「見ねえよバカ! さっさとそれを元の場所にしまってこい!」
「え、でも、今のうちに勉強しといたほうが……」
「断言してやるけどミィルにその勉強は必要ない」
「ふぇ? あ、じゃあジェラルドが勉強するってことだねっ」
「どうしてそうなる!? 俺にだって必要ねえよ!」
「え、そんな……つまり、ジェラルドはもう経験済みってこと!? 誰と!?」
「どうしてそうなる!? だいたい俺はまだ童て……言いかけたじゃねえかバカ野郎!」
危なかった!
ともあれ、こんな騒動を挟みつつも、俺達……というよりも俺は、一部の部屋を除いて屋敷内にあるすべての部屋を回り終えるのだった。
* * *
――翌朝。
俺はかなり早い時間に目を覚ました。
窓へと目を向けると、まだ太陽が昇ったばかりらしく、白く弱い光が室内へと差し込んできている。
右隣に敷かれた布団では、メイファンがまだ寝息を立てていた。
俺達の寝場所は、門下生用として二階に三部屋あった大部屋のうち、もっとも日差しの良い一部屋だった。
この部屋なら、三人ぐらいは余裕で並んで寝ることができる。
そのため、昨晩は俺を真ん中に挟んでミィルとメイファンの三人で寝ることにしたのだが。
「ミィルは……いないな」
メイファンとは反対に、左側へ敷かれた布団の中はもぬけの殻。
そこへいたはずのミィルの姿は、部屋のどこにも見当たらなかった。
「もう起きたのかな」
立ち上がり部屋を出る。
好奇心旺盛な彼女のことだ。屋敷の中を探検するため、朝早くから動き出しているのかもしれない。
早朝の少し冷たい空気の中、ぶらぶらと屋敷の中をうろついてみることにした。
「しっかしでけえ屋敷だよなあ。シャオランさん、相当稼いでたんだな」
歩みを進めながら呟いた。
この家は玄関に土間があり、ハルケニア王国の一般的な住居の様式とは違い、そこで靴を脱ぐようになっている。屋内に土足で上がることを想定していないのだ。
また、建材に使われているのは煉瓦や石材ではなく、森から切り出した木が使われ、外壁は漆喰で塗り固められている。
こうした建築様式はハルケニア王国式とは異なるが、どこか日本家屋を彷彿とさせる落ちつきがあり不思議と心が安らぐ。
それはきっと、俺の中に残されている日本人としての記憶があるからだろう。
二階から一階へ降りる。
ミィルがどこへいるのか適当に部屋を覗いているうちに、いつの間にか玄関にまでやってきていた。
「あれ?」
そこには俺とメイファンの靴が二組、それぞれ揃えられていた。
だがミィルの靴は見当たらない。昨日はそこにあったはずなのに。
勝手に外へ出て行ったのだろうか。俺達に一言もなく?
不可解な事態に首を傾げたところで、俺の耳が『ダァン!』と音高く響く音を捉えた。
どうやら外から聞こえてくるらしい。
もしかしたらこの音にミィルが関係しているかもしれない。
「メイファンは……まあ、まだ寝かせといてあげるか」
まだ寝息を立てていたメイファンを起こすのも忍びない。
土間に置いてあるブーツを足に引っ掛け、少しだけ外に出てみることにした。
――
ミィルは稽古場にいた。
軽装鎧を身に着け、手には剣を持っていた。
「はぁぁ! てやぁ!」
彼女はガードナーさんから教わった型を気合を入れてこなしていた。
型の動きをなぞるたびに、ミィルの赤い髪が踊る。
飛び散る汗が、朝の陽光に煌めいていた。
ミィルの演武をしばらくの間俺は眺めていた。
戦いのために洗練された型だ。動き自体には華美さや派手さはない。
だが、俺たち冒険者にとっては、研ぎ澄まされ洗練されたこうした動きがギリギリでの生死を分けるのである。
やがてミィルの型が終わる。
「よっ、ミィル」
「ジェラルド! おはようっ」
声をかけると、頬を上気させながらミィルがこちらを振り向いた。
剣を腰の鞘に収め、駆け寄ってくる。
「あたしが起きた時はまだ寝てたはずだったのに、どうかしたの?」
「いや。なんか知らんが目が覚めちゃってな」
「つまり、隣にあったあたしの体温がいつの間にかなくなってたから恋しくなって起き出してきたってことだねっ」
「全然ちげぇよどうしてそうなる」
「んー……想いが通じ合ってるから、かなあ?」
人差し指の先を唇に当て、ミィルがおめでたいことを口にする。
ほんと、コイツ、相変わらずだなあ……。
このノリにつきあうのも面倒だから、話を変えることにした。
「お前こそ、朝早くから稽古なんて精が出るじゃねえか」
ミィルの首筋や額には汗の玉が浮いており、ミィルの赤髪がそこにはりついていた。
少し動いただけでここまで汗をかくことはないだろう。
俺が起きるよりも一時間以上早くから型をなぞっていただろうことは軽く想像することができた。
「うん。もっと強くなりたくてさ。だからいっぱい稽古することにしたんだっ」
「今でもミィルはじゅうぶん強くなったと思うけどな」
封印跡地やガードナーさんによる稽古を通して、ミィルはかなり強くなった。
それまで我流だった部分がさらに洗練され、より隙のない戦い方ができるようになった。
今では単純な剣術だけなら俺よりも優れてると思う。
俺がミィルと戦って勝てるのは、魔力の流れから動きを先読みできるからでしかない。
その優れた身体能力と戦闘の勘は、持って生まれた類いまれなる彼女のセンスと才能なのだ。
だが。
「ううん。全然足りないよ。あたしは足手まといになりたくないんだ」
真っ直ぐな意志を瞳に込め、ミィルはそんなことを口にした。
「妖魔との戦い、あたしも行きたかった。力になりたかった。……でも、あの時のあたしは力になれなかった」
「それは……妖魔には物理攻撃が効かないからだろ。ミィルは魔導師じゃないから気にしたって仕方ない」
「だけどメイちゃんとガントは行ったよ。二人ともジェラルドみたいな魔導が使えるわけでもないのに」
「ガントは妖魔の攻撃を通さない装備を持ってたし、メイファンは技能の相性が良かったってだけだ」
「だとしてもあたしだって一緒に戦いたかったの!」
ぎゅっと拳を握りしめてミィルが主張する。
「だからあたしは強くなるの。次に強敵が現れた時、ジェラルドと並んで戦いたいから」
「……ったく。お前ってやつは」
相変わらず理屈ではなく感情でモノを考えるやつだ。
だが、実を言うと彼女のそういう真っ直ぐさは嫌いじゃない。むしろ好感さえ持てた。
「ま、頑張れよ」
そう言って頭を撫でてやる。汗で少し湿っていたが、それを不快だとは思わなかった。
「ふぁ……」
びっくりしたのか、ミィルが変な声を上げる。
「何だよその顔。別に俺だって、真剣に強くなろうとしてるお前をバカにするつもりなんてねえぞ」
強くなりたいというミィルの気持ちは分からないでもなかった。
仮に互いの立場が逆だったなら、俺だって足手まといになるまいと努力したことだろう。
それが想像できるからこそ、ミィルが強くなれればいいと俺は思った。
「さてと。それじゃ、メイファンもそろそろ起きるだろうから戻ろうぜ。体冷やしたりしないよう、汗も拭かないといけないしな」
ミィルの頭から手を離し踵を返す。
起きた時に俺たちが二人して屋敷にいなかったら、メイファンが心配することだろう。
「あ、あのさ」
と、ミィルが後ろから俺の服の裾を掴んで引きとめる。
「どうした? そのままじゃ風邪引くぞ?」
「えっと、ありがと、ね? 頑張れって言ってくれて」
「まあ気にするなって。俺が言いたくて言っただけだしな」
「でも、ジェラルドにそうやって言われると、なんか力が出る気がするんだ。だから……ありがと」
こうやってしおらしい感じに感謝されると気恥ずかしいな。
でも、少しでもミィルを元気づけてやることができたならよかったかな。
だから。
「ああ。強くなって、そして俺の背中を守ってくれよ、ミィル」
「っ、うんっ。あたし、強くなる。そしてジェラルドの後ろを守るんだっ」
俺はミィルに、力強い言葉をかけるのだった。




