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異世界の魔法言語がどう見ても日本語だった件  作者: トラ子猫
第二章:冒険者編(少年編)
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強さの種類

 歓楽街。


 そこは冒険者街の中でもとりわけきらびやかな区画である。


 そんな場所に俺は足を踏み入れていた。


 目的地は最初から決まっている。もらった地図に従って、右へ左へとどんどん進んでいった。


 やがてその店は見えてくる。歓楽街を棲家とする無法者達がたむろするらしい酒場だ。


 外観はいかにも薄汚れている。古びて煤けた扉を押し開き中へ入ると、アルコールのにおいが俺の全身を包み込んだ。


 ギロリ、と品定めするような視線が一斉に向けられる。誰もが無言のまま、舐め回すような目を向けてきやがる。


 やがて一人が立ち上がる。指をボキボキと鳴らしながら、無言のまま俺を通せんぼするかのように立ちふさがる。


「『どけ』」


 単純ながら意味の明確な呪文を唱えれば、男はびっくりしたような顔で飛びのいた。


 しかし他の男が再び俺の邪魔をする。今度は手にナイフを握っていて、挨拶のひとつもなく突きかかってきた。


「『跪け』」


 しかしそれも意味はない。


 俺が呪文を発すると、男はナイフを放り出し俺の目の前で膝をつく。


 まるで忠実なるしもべのような男の振る舞いに、見物している客達からどよめきが上がる。


「あれは魔導かよ」


「なら、あのガキが噂の……?」


「マジかよ、ほんとに子どもじゃねえか。信じられねえ」


 囁き交わされる言葉が耳に入ってくる。俺に向けられる視線の質もどうやら少し変わったらしい。


 品定めから、畏怖に。


 この場所では力がすべてだ。だから誰も強いやつには逆らわないし、敵に回そうとはしない。だから最初から徹底的に力を見せつけておけ、というのはガードナーさんからのアドバイスだ。


 カウンター席に座る。


「エールを」


「子どもに出す酒はねえ」


「俺じゃない。隣のやつにだ」


 親指で、俺は右隣のカウンター席に座っている男を示した。


 示された男――ガントは渋い顔つきになる。


「エールだと? ふざけんな――ウィスキーだ。ストレートでな」


「だそうだ」


「……チッ」


 店員の男は舌打ちしながらもグラスを取り出した。


 それには一瞥もくれずにガントが口を開く。


「で、なんの用だ、クソガキ」


「真実についての話をしようと思いまして」


「真実だあ?」


 ウィスキーのロックがガントの目の前に差し出される。ついでとばかりに出された俺のグラスには水が入っている。


 本来は舐めるようにして飲むウィスキーを、ガントは喉を鳴らしながら飲んだ。


「くだらねえな。酒の肴にもなりゃしねえ」


「俺が覚えた疑問に対する答え合わせみたいなもんですよ。奢りますから付き合ってください」


「ケッ……おい、さっさとありったけのつまみ持って来い。ウィスキーもボトルでよこしやがれ」


 がなるような声でガントがカウンターの向こうへ呼びかける。


 そして空になったグラスになみなみとボトルの酒を注ぐ。強い酒を飲んでいるのに、その手つきはよどみない。


「話せ。つまらん内容なら斬り捨てるけどな」


 ガントに促されて俺は口を開く。


 噂では強者との戦いを求めるのに、メイファンに戦いを仕掛け道場を奪い取ったことに対する疑問。


 シャオランさんを殺したのが自分だと、憚ることなく口にしていること。


 半年前に現れた妖魔を倒すためシャオランさんとガントが向かい、ガントだけが帰ってきたという事実。


 ……そして、なぜ道場が綺麗な状態で保たれていたのか。


 一つ一つは大したことなくても、それぞれを糸で繋いでいくとある推論が浮かび上がってくる。


「『獣王レックス最後の戦い』という英雄譚は知っていますよね」


 ガントは答えない。不機嫌そうな顔でグラスを傾けるだけだ。


 だがそれを、俺は肯定の意として取った。


 獣王と呼ばれる男、レックスが主人公の英雄譚だ。この主人公は最後、妖魔との戦いにおいて自らの胸にナイフを突き立て、魔力暴走を引き起こすことで妖魔を打ち倒す。


 だからこそ、この英雄譚には『最後の戦い』という名が冠せられているのだ。


「妖魔に敵わないと見たあなた達は、魔力暴走を引き起こすことで倒そうと試みた。……ガントさんがシャオランさんの心臓を貫くことで」


「ふん。その場を見てないのに、なぜそうと言える」


 ここでようやくガントが口を開いた。図星を突かれたからに違いない。


 相変わらず表情は不機嫌そうなままだった。顔色一つ変えようとしない。


 だが次に放った俺の言葉に、彼の表情は一変する。


「なぜそうと言えるか、ですか? それはですね……すべてをノエルさんから聞いたから、ですよ」


「なっ……」


 ちびちびとウィスキーを飲んでいたグラスから顔を上げ、凄まじい形相でガントが俺のことを睨みつけてくる。


 常人ならば、その鋭い眼光に射抜かれるだけで萎縮しきって動けなくなるに違いない。そう思わせるほどの、凶眼。


 だが俺は、一切怯むことなくガントの視線を正面から受け止めた。


「任務の報告は冒険者の義務ですよね」


「……ああ」


「そして、妖魔討伐の依頼を出したのはギルド長であるノエルさんだった。となれば、報告する先も一つしかない」


 通常ならば、依頼人の依頼をギルドが仲介し、冒険者がそれを請け負う。


 そのため、依頼を仲介した担当者に任務の報告をするのが通例だ。


 だが、妖魔討伐の依頼はギルド長自ら出したものであり、任務の報告をする先はギルド長……つまりノエルさんということになる。


 となれば、あの日何があったのかノエルさんが知っていてもおかしくない。


「あのクソアマ……」


「全部教えてくれましたよ、ノエルさんは。俺達にも関係があることだから、とね」


「チッ。これだから女は」


 ガントが荒っぽく舌打ちをする。


 しかし、否定はしなかった。


「あと、アンナさんという娼婦に心当たりはありますよね?」


「……チッ。次から次へと、どこからそんな情報を仕入れてきやがる」


 これはミィルが仕入れてきてくれた情報だ。


 ガントと親交のある娼婦で、歓楽街に逃げ延びたメイファンの面倒を見るようガントから頼まれていたそうだ。


 ……ちなみに、胸で背中を洗うと男が喜ぶだのなんだのという知識を叩き込んだのも彼女である。


「念入りにそんなとこまで調べてきやがって、ご丁寧なことだぜまったく」


 苦みばしった表情で、ガントがグラスの中身を煽る。


 そしてその底をガンっと木製のカウンターに叩きつけ、愚痴るような調子で口を開いた。


「ったく。あのクソ野郎が」


「……ノエルさんもアンナさんも、悪くないですよ。俺が無理に聞き出しただけですから」


 フォローのつもりで口にした言葉は、しかし「ハッ」と鼻先で笑われる。


「ちげぇよ」


「違う?」


「ああ。……クソなのは、シャオランの野郎だよ」


 そう前置きをすると、ガントはゆっくりと語り出す。


 妖魔の出現。


 ギルドからの討伐依頼。


 戦友でありライバルでもあるシャオランさん――メイファンの父親と向かった先での死闘に、決着を分けたシャオランさんの自爆技。


「そうでもしなけりゃ倒せなかった」


 カウンターの上でゆらゆらと琥珀色に揺れる液体へ目を落としながら、ガントは後悔するようにそう語った。


「オレには魔導なんぞ使えねえ。剣を振るうことしかできねえ武辺者だ。シャオランだって、魔拳なんぞを極めちゃいるが妖魔みてえなでけえ敵じゃあ到底削り切ることもできねえ」


 おそらくシャオランさんは、メイファンよりも何倍、あるいは何十倍もの使い手だったはずだ。


 それでも、妖魔に決定的な打撃を与えることなどできようはずがない。


 だが、魔拳使いとして魔力の扱いに習熟したシャオランさんには、魔力暴走という絶体絶命にして最大級の破壊力を持つ自爆技が残されていた。


「そりゃ止めたさ」


 やけっぱち気味にガントが言い放つ。


「オレだってヤツを失うのはまっぴらごめんだ。だいたい、街一つ救うのになんであいつが死ななきゃならない? あの野郎が死ぬ代わりに、ゼト市もろとも滅んじまえばいい」


「それは……」


 俺は返す言葉を失う。


 街の人達全員の命と一人の命と。


 どちらが重いかなんて、決まってる。街の人達全員の命だ。


 でも、それが例えばミィルの命と比べたなら? メイファンや、シエラや、俺の家族とゼト市に住んでる人達全員の命となら、どっちが重い?


 そんなの、ミィルで、メイファンで、シエラで、父さんや母さんの命のほうが、何千何万って命よりも大切だ。


 それは、つまり、ガントにとってシャオランさんはそういう相手だったということだ。


「けどよ。あのバカは……オレの言葉じゃ止まんなかった。あのチビガキを頼むっつって、命を捨てる決意をしやがったんだ」


「ガントさん……」


 ギリ……と堅く握りしめられたガントの拳が鳴る。


「娘がいるから、妖魔を街へ行かせるわけにはいかねえっつわれたら、オレには何も言えねえじゃねえか。んなこと言われたら、あいつに望まれるがままにシャオランを殺すしかなかったぜ」


「……そうやって、街を救ったんですね」


「ちげぇ。オレはただ、あのバカに頼まれて仕方なくチビガキの面倒を見てやっただけだ」


 ひねくれた物言い。


 それは、街のために妖魔ち戦ったわけじゃないことを語っていた。


 ただ、シャオランさんと、彼が大切にしていたメイファンのためだけに、その身を張ったことを主張していた。


 ――でも。


「なら、なんでですか」


「ああ?」


「なんで……こんなに回りくどいやり方をしたんです。道場からメイファンを追い出して、試すようなマネなんてする必要があったんですか?」


「チッ……ガキは何でも知りたがるから困る」


 気づけばガントはグラスを傾けるのをやめていた。酒に手をつけようとはせずに、体ごとこちらに向き直っている。


「お前は人間が強くなる時を知ってるか?」


「…………」


「大切なものを守る時。大切なものを取り戻そうとする時。人間ってやつは強くなる……それまでよりも、何倍、何十倍もな」


「だから、メイファンから道場を奪った? 彼女を強くするために?」


「シャオランに頼まれちまったからな。あの犬っころを強くしてくれと」


「……他に方法はなかったんですか?」


 いくら見守っていた人間がいたとはいえ、十代前半の少女がそれまで暮らしていた家を追われ半年も生き延びるのは並大抵の苦労ではなかったはずだ。


 それを強いてまで、強引な手を使う理由はどこにあったのだろうか。


「直接の面識はなかったが、シャオランに娘の話はよく聞かされてたんだよ。優しくて、正しくて、正義感の強い子だってな。だがな……いい子すぎたんだよ」


「いい子すぎた?」


「ああ。優しすぎた。正しすぎた。そしてあの犬っころのそれを支えているのは、父という絶対的な存在だった。それを失ったら、ガキなんざまともに立ち続けることなんてできねえ……そうさせないためにはどうすればいいか、テメェならもう分かってんじゃねえか」


 ガントはすべてを語らない。


 だが、俺には彼の言いたいことが何となくだが伝わってきた。


 父を失ったメイファンが、完全に塞ぎこんで動けなくなるのを懸念した。それを防ぐために、ガントは敵を用意した。


 父を殺し、道場まで奪った打ち倒すべき()を。


 そうなれば、メイファンは父を失った悲しみに暮れる暇もない。ただ敵を……ガントを討ち倒し道場を取り戻すために、自分の足で立ち続けることができるから。


「それ以外の方法で、シャオランとの約束……娘を強くしてやるって約束を果たせる気がしなかった。ただ、それだけのことだ」


 ガントは悪役であり続けた。


 シャオランさんを殺したと吹聴し、かねてから粗暴に振舞っていたことがその言葉に真実味を与えた。


 道場を奪い、メイファンを家無き子へと貶め。


 彼女からの憎しみを買い、その恨みがより深いものとなるように根回しし。


 やがて強くなって自分を倒しに来るのを待っていた。


 友人(シャオランさん)との約束を守るためだけに。


「……シャオランさんは、あなたにとって大切な親友だったんですね」


「ハッ……んなもんじゃねえ。ヤツとは面倒くせえ因縁があるってだけだ」


「それでもあなたは約束を守った。メイファンがあなたを恨み続けるように仕向けたからこそ、彼女は絶望することもなかったし強さを手にすることもできた……」


 俺の言葉をガントは否定も肯定もしない。


 ただ、呆れた様子で「ハンッ」と鼻で笑い飛ばすだけだ。


「おい、テメェ。分かってるな? この話、他の連中にしやがったら……」


「損な選択だと思いますよ? メイファンが真実を知れば、あなたに対する評価もきっと改める」


「それじゃ意味ねえだろうが。シャオランの言う通り、あの娘は……メイファンは、優しくて正しい拳士だぜ。だが正義ってのは悪役がいねえと始まらねえ。そしてシャオランと約束した以上、オレはその悪役をやり抜くだけだ」


「……損な性格ですね」


「ハッ、言ってろよクソガキ。余計なお節介を焼くことに関しちゃ、明らかにテメェのが得意じゃねえか」


 そう言われれば、俺は何も言い返せない。図星だった。


 そんな俺を差し置いて、ガントは金貨の詰まった袋をカウンターに置き去りにして立ち上がった。


「あ、支払いは俺がする約束ですよ」


「ああ。だからそれで払っとけ。……そいつぁ妖魔討伐の報酬だよ。実質テメェ一人で倒したようなもんだからな。中身は全部くれてやる」


「でも――」


「あとは、まあ、テメェの話も酒のつまみぐらいにはなった。そのお代だよ」


 言い置いてガントはその場を立ち去っていく。金貨でずっしりと重い袋は、俺の手元に残された。


「じゃあなクソガキ。機会があったら殺り合おう」


 背中越しに片腕を上げて、ガントは扉の向こうへ消えていく。


 立ち去る背中に、俺は慌てて頭を下げた。


 今回の一件は、色々なことを俺に教えてくれた。


 目に見える優しさ以外にも、人を思いやる気持ちはあるということ。


 何かを討ち倒したり、守ったり、奪い返したりする以外にも『強さ』があるということ。


 それはきっと、シャオランの父や俺の父さんとはまた違った意味で『強い』ということになるだろう。


 俺は強くなる。今よりもっと……それこそどんなに強い敵からも、大切な人達を守ることができるようになるために。


 そして、そんな目標を掲げている俺に、今までは知らなかった強さの形を見せてくれた背中にかける言葉は、きっとひとつしかないだろう。


 最大限の感謝を込めて――、


「『ありがとうございます』」


 ――俺は、その言葉を口にするのだった。

冒険者編(道場破り編)のエピローグです。

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