妖魔襲来
俺が教えたのは、ちょっとした小手先の業だ。
ほんの僅かな、工夫。スープにひとつまみのスパイスを加えるようなアクセント。
だが、それがメイファンの力と合わされば、ガントを打ち倒すことも夢じゃないと思っている。
「たったこれだけのことで、本当に勝つことができるのでしょうか?」
周囲の地面が破砕された、平地だった場所の中心で。
俺とメイファンは腰を落ち着けて休憩していた。
「ああ、勝てるはずだ。魔術の練習を行ったことで今のメイファンは魔拳使いとして大きな成長を遂げているし、あとはメイファン自身の拳術の腕次第ってところだな」
「……それはそうかもしれませんけど」
実際のところ大したものだった。試験官としてメイファンの冒険者登録任務に付き合った時から、攻撃の時に魔力を放出すること自体は無意識だろうができていた。
だがその時はまだ、魔力を拡散させるようにして放出していたように思う。
しかし今では、魔力を集中させて拳から放つことができる。その跳ね上がった攻撃力を、荒れ果てた周囲の地面が証明している。
もっともこれだけじゃガントを倒すなんてことできないが……まあそのための策は授けてある。
「まあそう心配するな。少なくとも、剣で戦いを挑むほうが勝ち目は薄いって断言できるぜ」
「うっ……そ、その件については確かにボクの見通しが完全に甘かったですけどぉ」
メイファンが恥ずかしそうに犬耳を寝かせた、その時だ。
「大変大変、大変だよー! ってうわ!? ここもなんか凄い大変なことになってる!? なんなのこの地面!? 魔物の襲撃!?」
甲高い悲鳴じみた声を上げながらミィルが駆け寄ってきた。
「ああ。これはメイファンがやった」
「へえ~、メイちゃんが……って、ええ!? どうやってえ!?」
大げさにミィルが驚いている。
「……って今はそんなことどうでもいいんだった! あのねあのねジェラルド、大変、大変、大変なんだよ! 早く行かないと!」
「ったく、何がどうしたんだよ、そんなに慌てて」
ミィルが俺とメイファンの腕を引っ張ってくる。そのテンションの高さにうんざりしながらも俺はそう問いかけていた。
ちなみにメイファンは地味に落ち込んでいる。地形を変えるほどの攻撃力を身につけたってのに、『そんなことどうでもいい』なんて言われたら確かに努力を否定されたような気になってもおかしくないだろう。
ミィルの用事が終わったら少し慰めの言葉でもかけてやるか――などと俺が考えを巡らせていると。
「妖魔が出た!」
「先にそれを言えバカ!」
大変大変! だけじゃわけが分からんだろうが!
「ノエルさんが、ジェラルドとメイちゃんをギルドに呼べって!」
「すぐ行く!」
そう言って俺は走りだす。メイファンとミィルも一緒になって駆け出した。
併走しながらメイファンが話しかけてくる。
「ボクはちゃんと戦えるのでしょうか……」
「戦えるのか、じゃない。戦うんだよ。それに、魔拳使いの攻撃なら妖魔にも通じるはずだ」
「そうだよメイちゃん! 怖くても、不安でも、妖魔に好き勝手許すわけにはいかないじゃん!」
俺とミィルの言葉に元気づけられたのか、不安に揺らめいていたメイファンの瞳に光がやどる。
「そうですね。妖魔の好きになんてさせません!」
「その意気だよメイちゃん!」
走りながらミィルがメイファンの背中を平手で叩いた。
まだ冒険者登録を済ませていないメイファンをそれでもノエルさんが呼びつけたのは、妖魔に対して彼女が有効だと判断しているからだろう。
そしてメイファンにとっては、妖魔もまた父を失った象徴的な存在のはず。
この戦いはきっと重要なものになる……そんなことを考えながら、俺は駆ける足に力を込めた。
* * *
ギルドにたどり着くと、そこには紙束を脇に抱えたノエルさんと、そして装備をすでに整えた状態のガントがいた。
「お? ガキンチョに、あの獣親父のとこのチビじゃねえか」
ガントがこちらに向かって片腕を上げてみせてくる。
ガントは椅子に座ったまま、目の前にあるテーブルに行儀悪く両足を乗せていた。
泰然とした態度は、むしろ俺とメイファンに対する挑発のようにも見えてしまう。
「お前は……お前はあああッ」
「メイファン、やめろ!?」
メイファンが怒気も露わに気炎を上げる。
感情に任せるままに、彼女は俺の静止の声も聞かずにガントへ飛び掛かった。
「ハッ……相変わらず威勢だけはいいじゃねえか」
椅子に座ったままガントは軽く仰け反ってメイファンの攻撃をかわす。
彼女の拳は背後の壁に突き刺さる。
魔力による衝撃波を伴った突きである。壁は見事に粉々になり、この部屋と隣の部屋をつなぐ通路となった。
「……次はこれをあなたの体に叩き込んであげます」
「ほう? 良いのは威勢だけじゃねえってか」
「そこまでにしなさい」
ノエルさんが両手をパンパンと打ち鳴らしながら待ったをかけた。
「メイファンちゃんがシャオランさんのように力を使いこなせるようになったのは分かったけれど、だからといってあまり部屋を壊さないでちょうだい。ギルドだって無限にお金があるわけじゃないもの」
「そうだな。ノエルさんの言う通りでもあるし……今は冷静になって話をするときだ。気持ちは分かるが落ち着け、メイファン」
「っ、………………はい。確かにボクは、今自分を失っていました……」
しゅんとした様子でメイファンが怒りの矛を収める。先ほどの激しさとは裏腹に、一瞬にして借りてきた子犬のようになっていた。
メイファンの態度に、ガントはバカにするようにしてふんと鼻を鳴らす。ノエルさんはというと、困ったようにしてため息をついていた。
「ハッ。獣らしく随分と短気な嬢ちゃんだ。そういや、オレがあんたをあの薄汚い犬小屋から追い出した時も、牙を剥いて襲いかかってきたっけなあ?」
「ッ、あなたは!」
「あなたも意味なく挑発するのはやめなさい。そうでなくたって今はゼト市にとっても重大な局面を迎えているのだから。……これ以上諍い合うようなら、あなたにはギルドを通しての依頼を二度と回さないわ」
メイファンがキレる寸前でノエルさんが間に割って入った。なんとも見事なタイミングだった。
諌められたガントは人を食ったような薄笑いを浮かべて腕を組む。なんとも腹立たしい表情だが、いちいち相手をしていたら話も進まない。
「やれやれ……『修復せよ』」
とりあえず壁を元の状態に戻した俺は、ノエルさんを促すことにした。
「ノエルさん。妖魔が現れたって話ですけど……」
「ええ。その通り。ゼフィロスの森の中心部にほど近いエリアで妖魔が発生していたと、先ほど逃げ帰ってきた冒険者達から報告があったの。それをこれから、この三人で討伐してきてほしい……というのが今回のギルドからの依頼よ」
「依頼の内容は了解しました。でも、なぜこの三人なんですか? そもそもメイファンは冒険者としての登録を済ませていませんが……」
「メイファンちゃんの登録証なら心配ないわ。ここにあるもの」
そう言って、ノエルさんがメイファンに一枚のカードを手渡す。
「冒険者としての登録はできなかったけれどね。すべての制限エリアへの通行許可証を、私の一存で今回は発行したわ」
「そ、それって強権なんじゃ……」
「仕方ないじゃない。妖魔と戦える冒険者は、ここにいるガントとジェラルド君だけ。それ以外での心当たりは、魔拳使いシャオランの娘であるメイファンちゃんしかいないのよ」
「それは確かにそうですけど……」
「街を守るためならば、使える冒険者はいくらでも使う。冒険者以外でも戦力になるなら助力を求める。この日のために私はメイファンちゃんを鍛えあげるようジェラルド君に依頼したし、彼女がどれだけ成長したかはさっき壁を破壊した一撃を見れば分かることよね。……それで、何か文句や意見はあるかしら?」
俺は黙って首を振ると、確認するような視線をメイファンへ向ける。
彼女は力強く頷いた。
「やります……やらせてください! 妖魔と戦って父さんは死にました。ボクは、妖魔の存在を許すことなんてできない!」
「メイファンが戦うことを望むなら、俺だって引き止めはしない。でも、頼むから気をつけてくれ……君にはまだ、戦って取り戻さなければならないものがある」
「当然です!」
ぐっとメイファンが拳を握りしめる。
「ハッ。シャオランが妖魔と戦って死んだだと? あいつは無様にオレに斬り殺されただけの、哀れな男だぜ?」
「……この戦いが終わったら、あなたに決闘を申し込みます。その時になって許しを求めたとしても、ボクは決してあなたの罪と仕打ちを忘れないッ!」
「ほーう? そいつぁ楽しみな話だぜ。今度は前よりもブチのめし甲斐があるって期待していいんだろうな、子犬ちゃん?」
「だからいがみ合うのは後回しにしろと……まあいいわ」
ノエルさんが指先で眉間を抑える。地味に苦労性だよな、この人も。
「とりあえず、まずは最低限の打ち合わせをしましょう。封印跡地へ出発するのは、それからよ」
言いながら、ノエルさんは脇に抱えていた紙束をテーブルに広げた。
「作戦会議は大事だもんね! うん、あたしも気合入れて頑張るよ!」
それまで黙っていたミィルが、拳を握って身を乗り出す。
やる気十分といった様子だが――。
「ごめんなさい、ミィルちゃん……今回の作戦、あなたには外れてもらうわ?」
残念なことに、ノエルさんは妖魔の件に関しては戦力外通告をするしかないらしい。
「へ?」
「物理攻撃の通用しない妖魔に対して、攻撃手段も防御手段も持たないあなたを出すわけにはいかないわ」
今回、妖魔討伐のパーティとして選ばれているのは、俺とメイファンとガントの三人だけだ。
それ以外に他の冒険者は参加しない。理由はミィルが同行できないのと同じで、妖魔に対して有効な攻撃手段を持たないためだ。
「そんな……」
「私も悪いとは思うけれど、今日のところは我慢してちょうだい」
ノエルさんの言葉に、あんなに気合じゅうぶんだったミィルの肩が落ちる。戦力外通告されたのがよほどショックだったらしい。
「俺としてもミィルには今回街に残っていてほしいな。あのこともなるべく早めに調べてほしいしな」
「あ……うん。分かった。あたし、ジェラルドに頼まれたこと頑張るよ」
ミィルはまだショックを引きずっている。それでも彼女は、とある調べ物をするために部屋を後にした。
メイファンが首を傾げてこちらを見る。
「……? ミィルさんに何を調べてもらっているんですか?」
「気にするな。そんなことより、今は打ち合わせに集中しようぜ」
先日から新作の投稿を開始いたしました。
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