捨てた拳、新たな光
任務を終え、街に戻る。
それから俺は、メイファンとその日の訓練を行うことにした。
ミィルには少し頼みごとがあったため、今日は二人きりでの訓練だ。
メイファンの訓練はそろそろ仕上げの段階に入っている。俺の思惑通りなら、彼女はそろそろ自分の力を引き出せるようになっているはずなのだ。
……そのためには、メイファン次第の部分が実はまだ多分に残されていたりするけれど。
「さて、じゃあ今日も気合入れて訓練するか」
「はい!」
場所はゼト市の郊外。平地になっている場所で、あまり人が訪れない場所だ。
そこでメイファンと向き合い、俺は訓練の開始を告げる。メイファンのほうも十分な意欲があるらしく、胸元で両の拳を握りしめ引き締まった表情でうなずいていた。
「今日はどんな訓練をするんですか? ここ最近は、ずっと魔術の練習をするように言われてましたけど……わざわざ宿でも訓練場でもなくこんなところまで来たってことは、何か理由があるんですよね?」
「ああ、それはもちろん。だがその前に、簡単に復習だけしておくか。『炎よ』」
手を前に突き出して唱えると、手のひらの上でボゥっと炎が燃え上がった。意識的にかなりの魔力を込めたおかげで、その炎は柱のように太く、高い。
高さとしては、大人の身長二人分ほどだろうか。自分の体内に眠る魔力を掴んで引き出す能力がなければここまで大きな炎を作り出すことはできないだろう。
その炎柱はしばらくの間燃焼しつづけ、やがて消えた。
メイファンがきらきらとした瞳を俺に向けてくる。
「……凄い」
「まあ、ざっとこんなところだな。コツは呪文の発音と、自分の中にある魔力を意識的に注ぎ込むことだ」
「はい、やってみます。『ほのおよ』」
発音はまだたどたどしいがかなり良くなっている。
そして肝心の炎だが、その大きさは大人の頭ほどだろうか。最初は豆粒みたいだったのを考えると大した進歩である。
魔術は、魔法言語の『意味を理解』し、『正確な発音』で呪文を唱えれば、周囲に自然と漂う魔力を掻き集めてある程度自動で発動する。
今回の場合ならば、『炎よ』という言葉が火を意味していることを理解しつつ唱えればそれだけで呪文は成功する。
しかしそこに自分の魔力を込めることができるようになれば、炎を大きくしたり、逆に魔力を注ぐ量を絞って小さくしたりすることができる。
今のメイファンの発音はまだたどたどしかったから、本来なら拳大ほどの大きさの炎にもならない。
だがそれが大人の頭ほどの大きさにまでなっているということは、メイファンはきちんと自分の内側に眠る魔力を意識し、引き出すことができている何よりの証拠である。
「うん、かなりいい感じだな」
「ほんとですか!?」
「ああ。この調子なら、次の段階に進んでもいいだろう」
「やったぁ!」
俺が首を縦に振るとメイファンが珍しく無邪気な歓声を上げた。
ちょっと新鮮だな。
「メイファンもそういう喜び方するんだな」
「ふぇ!?」
ついそんな感想が口をつく。
「いや。今のはちょっと子どもっぽかったというか、なんていうかミィルがいかにもしそうなリアクションだったからさ」
「そ、そそその言い方はボクにもミィルさんに対してもそこはかとなく失礼ですよう!?」
「あれ? あ、いや。確かにそうだな。悪かった」
ミィルに対しては幼なじみの気安さからどうしても雑というか、砕けた扱いになってしまう。
他の人間であれば多少取り繕うところでも、ミィルに対してはそのまますべてをぶつけてしまうというか、ごまかしができないというか。はたから見れば邪険にしてるように見えたりするのかもしれない。
ミィルの良いところや悪いところに関しても、ずっと側で見てきたわけだから『ミィルらしいな』と受け取ってしまうし。だからいちいち指摘や注意をすることも互いにない。
まさか、メイファンからこういうことを言われるとは思っていなかったのでこれまたやっぱり新鮮だ。
これからは、もう少しミィルにも気配りすることを意識して接したほうがいいだろうか?
「うぅ……でも、それだけジェラルドさんはミィルさんに気を許しているわけで……で、でもボクだってまだまだこれから恋人になるチャンスだって……」
メイファンが呟く。結構大きなひとりごとだ。だが本人はそのことに気づいてる様子はなく、それだけに今の言葉が彼女の吐露する思わぬ本音であろうことは疑う余地がない。
もしもこれが実は計算で、ひとりごとに見せかけた俺に対する想いの告白だとするのなら、なかなかに巧妙な手口である。これだけで男の一人や二人ぐらい簡単に引っ掛けることができるかもしれない。
しかしながら、メイファンはそんな計算ができる性格ではないことぐらいはここ数日の付き合いだけでも分かること。
となれば、俺としては彼女の大きすぎるひとりごとには触れないという方針を積極的に採用したい。
「とりあえず、話の続きをするぞ」
「わう!? え、あ、はいっ」
ブツブツ呟いていたメイファンが弾かれるようにして顔を上げる。少しだけ頬が赤くなっていた。自分の言葉に自分で恥ずかしくなってしまったのだろうか。
「さて、と。んじゃ、次の段階に進むって話だがな。魔術の練習を重ねてきたおかげで、今のメイファンは自分の中にある魔力を掴む感覚が磨かれてきているはずだ。魔力を引き出すには、この掴むって感覚が重要でな。文字を知らねば本が読めないように、魔力を掴めなければこれからの訓練を行うことができないんだ。だからこそ、俺はまずメイファンに魔術の練習をさせた……ここまでは分かるな?」
「はい。一見遠回りに見える魔術の練習も、ボクが強くなるためには必ず必要な過程だったんですね」
「必ずってほどでもないかもしれんが、効率は段違いで良かったはずだ。実際、数日で掴めるようになっているからな」
これだけ効率が良かったのには、俺が魔法言語の正しい発音を教えることができたというのが大きいだろう。
発音が違えば、魔力を意識するだのしないだの以前に魔術が正しく発動しない。
しかし、前世を日本人として生きた俺には、魔法言語の意味と発音を正確に認識して口にすることができるという、この世界においては何よりも得難い能力がある。
まあもっとも、魔術を正しく発動させることができたとしても、数日で魔力を引き出す感覚を掴めたのはメイファンの努力と鍛錬、積み重ねの賜物であろうが。
「さてと。んじゃ、魔力を掴めるようになってきた上でもう一度確認するけれど……メイファンはなんで強くなりたいと思うんだ?」
「それは……力が、必要だからです。ボクの、父さんの道場を奪い取っていったガントを倒して、家を取り戻すためには強くならなければならないんです」
「その覚悟は、絶対なんだよな」
最後の確認とばかりに問いかけると、メイファンは力強い目をしたまま首を縦に振る。
「父さんなら、きっと戦うと思うんです。譲らないと思うんです。なら、父さんの背中を追うのなら、ガントとの戦いを避けて通ることはできません」
「うん。いい覚悟だ。なら、今日の訓練――組手を始めよう。だからメイファン、籠手をつけるんだ」
「はい! ……え?」
「どうしたメイファン? バレていないとでも思っていたのか。いつも服の下に持ち歩いていたはずだろう? 拳闘士用の籠手を」
メイファンが絶句する。
彼女が時折祈るようにして胸元へ両手を当てる姿はよく見かけていた。
最初は、その所作を彼女の癖のようなものだと思い気に留めていなかった。
「なんで……そのことを」
「この前湯屋で一緒に体を洗ったろ。そしたら、着替えの最中に偶然な」
「……もう、封印するつもりでした。あの男に届くことのなかった拳に意味なんてないと思いましたから」
「そんで、今までの自分の力を捨てて剣を取ったって辺りか」
「はい。あの男以上に剣を極めれば、いずれ道場を取り返せると思いましたから」
「……随分な迷走っぷりだな、そりゃ。自分も相手もまるで見えてないじゃねえか」
「かも、しれませんね」
メイファンは語る。
半年前。妖魔が現れ、父が討伐へ向かったこと。
だが父は帰らず、代わりに剣を血で濡らした男――ガントが道場を訪ったこと。
父の安否を問うたメイファンに、ガントは次のような言葉を返したという。
「シャオラン? ハッ、木偶の娘は目が節穴か? あんたの親父ならここにいるじゃねえか……この剣にこびりついて、真っ赤になあ!」
その瞬間から、メイファンの記憶は真っ白になって飛んでいるらしい。
なぜなら気づいた時には、全身に打撲や切り傷を負って道場の床に倒れ伏していたから。
おそらくはガントに挑みかかり、そしてさんざんに打ち破られたのだろう。道場破りの流儀に従い、ガントは籠手だけをかろうじて胸元に抱えたメイファンを介抱もせずに道端へ放り出したという。
「これは……父さんの籠手なんですよ。妖魔を退治しに行くと言って、ボクにこれだけ預けて道場を出て行きました。なあに、心配するな、なんて言って、その言葉を信じてずっとこれを抱き締めながら道場で待っていたけれど……結局、帰ってくることはなくて」
胸元から籠手を取り出しそう語るメイファンの過去は、けれども残念なことにこの街ではそう珍しいことではない。
道場破りは文化としてもはや定着し、冒険者街という性格上死者の話など日常茶飯事だ。
わざわざ噂するほどでもない、ありふれた日常の一コマであるとさえ言える。
でも当事者であるメイファンにとっては、ありふれた日常の一言で済ませるには重すぎる。そしてそれは、メイファンと親しくなってしまった俺にとっても同じこと。
ガントを許せる気には、そう簡単にはなれそうになかった。
「メイファンが習っていたのは、剣術ではなく拳闘術だったんだな」
「はい。父はとても優秀な拳術士で……魔拳使いだったんですよ」
「魔拳使いが主人公の英雄譚も、父さんがたくさん教えてくれたな。『獣王レックス最後の戦い』が一番のお気に入りだった」
俺の言葉に、メイファンが少し切なげに瞳を細める。
「ボクは『流浪拳士リーウィウス』でした」
魔拳使い。獣人という種族の中でも優秀な拳術士が到れる境地で、魔力を拳に乗せ物理的衝撃波として打ち出すことのできる獣人はそう呼ばれる。
いずれも、並の剣術家よりも遥かに高い戦闘力を誇る一騎当千の猛者ばかりらしい。
それが事実だとするのなら、シャオランさんを討ったガントは想像以上の実力かもしれない。メイファンが敵わぬのもうなずける話だった。
「……残念な話だけどな。メイファンがいくら頑張っても、剣ではガントを倒すことはできないよ」
「なら、どうすればいいんですか……剣も拳も届かないって言うのなら、どうやってボクはあの男を倒せばいいんですか」
――それは。
「無理だな。不可能だ。今のメイファンでは、まだガントを倒すには届かない」
「そんなっ」
「だから!」
悲鳴のようなメイファンの声よりもさらに大きな声で俺は叫ぶ。
「俺がこれから教えてやる! メイファンが、メイファンでもあの男を倒す方法を、お前に叩き込んでやる!」
ガントとの戦いはメイファンの戦いだ。俺に手出しする権利はない。
しかし、戦い方を教える分には俺の介入する余地はある。
「俺は魔法言語を使いこなす魔術師だ。だから魔術師らしく、奇跡一つや二つぐらい起こしてお前をガントに勝たせてやる。だからその手にはめるんだ、メイファンの父が残した遺志を」
「父の、遺志」
「そうだ。メイファンの憧れた、メイファンの尊敬する、メイファンの追いつきたい、背中だよ」
俺の言葉に、メイファンの瞳から美しい滴がぽろりとこぼれ落ちる。
「ボクは……そうだ、ボクは父さんの背中を追いかけたかったのに……」
その涙を拭うこともなくメイファンはポツリと呟くと、籠手をその手にはめて構えを取った。
「一度は捨てた拳です。諦めようとしていた道です。……それでもこの道こそがガントを倒す唯一の道ならば、ボクに光を示してください!」