ジェラルド先生による魔法言語講義
「今日の訓練はちょっと趣向を変えてみようか」
次の日。一日の任務を終えた俺は、街に戻るとメイファンにそんな風に切り出した。
場所は昨日と同じくギルドの訓練場。しかし今日は模擬戦をするわけではないので、隅のほうで寄り集まっていた。
「趣向を変える、ですか?」
「うん。昨日までは模擬戦で剣の扱いに慣れてもらったけれど、今日は別のことをやってみようかと思って」
「ど、どうしてですか!? ボク、自分で言うのもなんですが次第に剣の扱いにも慣れてきて、戦えるようになってきたと思うんですけど……」
メイファンの言葉にミィルもうなずく。
「なんで別のことする必要あるの? 剣の稽古、昨日までやってたじゃん。ここでいきなり別のことしようとしたって、中途半端になるだけじゃないかなー。ね、メイちゃん?」
「っ!? あ、いえ、はい。そう、ですよね」
ここでメイファンが気まずそうな顔をする。
そしてどこか自己嫌悪じみた表情を浮かべて、
「中途半端は、ダメなんです。一つのことを極めるなら極めるで、一貫しないといけないってボクも思います!」
そうやって強く主張してみせた。
「まあそう言うなって。メイファンの戦いぶりを見ていて、ちょっと思いついたことがあったんだよ」
俺はそうなだめながら、右手を前に突き出し手のひらを上へと向ける。
「『炎よ』」
そしてそう唱えると、手のひらの上に赤く輝く火の玉が現れた。
火はしばらくの間燃え続けると、やがて小さくなって消えてしまう。
それと同時に、訓練場のあちらこちらから「おおっ」というどよめきが起こった。
「あいつ今火の玉を出したぞ」「なんだってんだ。手品か?」「いや、あの新入り、魔術師らしいぞ。かなり凄い魔術を使うって話だ」「おいおい、嘘だろ。まだガキじゃねーか」「ガントといいシャオランといいあの子どもといい、化物は生まれるべくして生まれるんだろ」
ざわめきと共に、囁き合うそんな声が聞こえてきた。
その内容に少し耳を赤らめながらも、俺はメイファンを見つめたまま話を続ける。
「メイファンは今俺がやったことを真似してみてくれ。手のひらの上に火の玉があるところを思い浮かべながら、呪文を口にするだけだ」
「あ、はい。でも……これは、魔術ですよね? ボク、魔術師になるつもりは……」
「あー、うん。ちょっと信じがたいかもしれないけど、これそういう練習じゃないから今はとりあえず素直に真似してみて」
メイファンの言葉を遮りつつやってみるように促す。
するとメイファンは、戸惑いつつも従った。
「ほ、おほ、ほう、ほおうお!」
……そして滑り出しから暗礁に乗り上げた。
「メイちゃん全然ダメじゃん」
とミィルがそんなコメントを漏らす。
「う、うぅ……何がいけなかったんでしょうか」
発音だろうな。
「じゃあ今度はあたしがやってみせるね! 見ててよ! うぅぅぅぅぅ……ほにょにょ~!」
そんな妙な掛け声と共にミィルが右手を突き出し、眉間におもいっきりしわを寄せた。
全身に、ぎゅううっと力が入っている。魔力を振り絞っているつもりらしいが、どうやらその効果は発揮されていないようだ。
「ミィルさん、全然ダメじゃないですか」
「ぐぬぬぬぬ……何が悪いっていうのよ!」
発音だろうな。
ともあれこれは予想外……というわけでもなく、ほとんど予想通りの滑り出しである。
村でも、ちゃんと『炎よ』と発音することができたのは妹のシエラだけ。
おそらく幼少期から俺が魔法言語=日本語をしゃべっているのを見てきたのが良かったのだろう。村の中でも段違いで上達速度が高かった。
ちなみにそれ以外の人は『炎よ』と言おうとするとバリエーションは非常に豊かである。
ほにょにょ。ほうのの。のぉおおお。ほほをの。おのお。ほにょよお。ほの。ほー。おおおお。……以下微妙に前後を入れ替えたような擬音染みたものが続く。
最初はわけが分からず、村の人になぜ発音できないのかを聞いてみれば、「どれも同じような発音に聞こえてどう発声すればいいのか分からない」と言われた。
なるほど。考えてみれば、『ほのおよ』というのはすべて母音が『お』になるため唇の形はすべて同じである。
また、音節を『ほ・の・お・よ』で区切って教えたとしても、実際の発音は『ほ・のー・よ』となるためそこも発音しづらい理由らしい。この場合の音節は三つとなる。
この世界で日常的に使われる言語では、長音『ー』を一拍としてとらえることはない。英語で言うならば、Go! もGooooooooooooooo! も同じ意味であるのと同じである。
だから、おじさんとおじいさん、おばさんとおばあさん、お菓子とおかしい……これらの意味の違い、発音の違いを理解できない、ということらしい。
さらに、『ほ』を上手く発音できないらしく『お』となる人もかなりいた。これも言語体系としての発声法から異なることから生まれる戸惑いなのだろう。
よって、この世界の人間は『炎よ』と発音することができないし、理解することも無理なのである。
「うぅ……ジェラルドさん、いや、先生! ボク……ボクは一体何がいけなかったのですか!?」
「ああ、そんな本気で悔しがらなくても大丈夫だから。今のはできないの分かってて無茶振りしただけだし」
「……ジェラルド、それ、性格悪いと思う」
ミィルが冷たい目を向けてくる。
「確認も兼ねて、だよ。万一できれば超ラッキー、ぐらいの感覚だったしな」
「できたら超ラッキーなんですね……それだけ、ボクは見込みがないってことなんですね……」
見込みがないのはメイファンだけじゃなくてこの世界の人も同じなんだけどな。
けどまあ、メイファンはメイファンで別の『見込み』があるから、細かいことはどうでもいい。
「まあそう落ち込むな。お前らでもちゃんとこれが成功させられるように、俺は俺なりに考えてることがあるんだよ」
「な、なら、ボクにも今ジェラルドさんがやったようなことができるようになるというわけですか!?」
「俺の考えが上手にハマれば、だけどな。まあとりあえず、口で言うよりも実際にやってみたほうが早い、な」
「はい!」
胸元でギュッと拳を握り、気合十分といった様子でメイファンが俺にきらきらした視線を向けてくる。
その瞳はまるで、敬愛する師匠や先生でも見ているかのようで、少しばかり気恥ずかしかった。
「っし。じゃ、やるぞ」
そんな照れを振り切るようにして、俺はメイファンの両耳に手を伸ばす。
俺としては何気ない仕草であったが、俺の手がどこへ向かっているのか気づいたメイファンが「あっ」と短い悲鳴みたいな声を上げて自分の手で耳を抑えてその場にうずくまった。
「!? メイファン、一体どうしたんだ?」
突然の行動に、俺は理解が追いつかない。
そんな俺をメイファンは恨みがましい目つきで見上げると、
「……ぅぅぅ、こ、これは、あぅ……」
と可愛らしいうめき声をうずくまったままの状態で漏らすのであった。
「これは、どうした?」
「こ、これは、ですね。あの……」
「うん」
「ボク達の……獣人という種族の価値観では、家族でもない異性に耳を触らせるのは生涯をその相手に捧げる誓いの儀式……だとされているんです」
メイファンは、まるで重大なことでも告げるような重々しい口調でそう言った。
「だ、だから、捧げられる相手……つまり耳を触る側の相手にも、それ相応の覚悟が必要とされるんです。……ジェラルドさんは、ボクの一生を果たして受け止めてくれるのでしょうか!?」
いきなり重すぎる選択を突き付けられた俺は戸惑うしかない。
ともあれ話が進まないので、適当な言葉でお茶を濁すことにした。
「あー、今俺は耳に触ろうとしたんじゃないんだって。メイファンの耳に魔術をかけようとしただけで、触っちゃいけないなら絶対に触れないから」
「そ、そんな……」
どうしてそこで悲しそうな顔をする!?
「ボクはジェラルドさんにとってお荷物な存在だったんですね……」
「め、メイちゃん可哀想! ジェラルド、謝らないとダメだよ!」
ミィルが便乗して俺を責めてきた。
「ええい、話が進まん! つべこべ言わずに頭を差し出せ! 無理やりやるぞ!」
これ以上ここでぐだぐだやっていても時間をただ消費するだけである。
業を煮やした俺は無理やりメイファンの頭を引っ掴むと、耳に手のひらを向けて近づける。
「わんっ!? あ、や、そんな無理矢理は……」
「これもお前のためなんだメイファン! 文句なら後で聞いてやる! 『多言語理解』」
こういう時には強引さも必要とされるのである。多分。
ともあれ、これでメイファンの耳に魔術をかけることができた。あとは本当に効果があるのかどうかを試すだけだが。
「『どうだメイファン。ちゃんと俺の言ってることを理解することができるか?』」
「え、ジェラルドさん……あれ、言ってることが分かります。これって、大陸の共通語とは違いますよね?」
「ええ!? なになに、ジェラルド何わけの分からないこと言ってるの!?」
メイファンとミィルの反応を見るに、ちゃんと魔術のほうはかかったらしい。
そして分かったことがもうひとつ。魔術を使う意図ではなく、『会話』として話しかける意図で『魔法言語』を口にした場合、魔術のほうが自分勝手に発動するということもないらしい。
となれば考えていたよりも話は早いかもしれない。
「『それじゃ、魔術を使うぞ~って頭で念じながら、炎よって唱えてみてくれ。今はメイファンの耳に言語理解の魔術をかけてあるから、どういう発音だったのかも分かるはずだ』」
「え……あ、言われてみれば、分かるような。さっきよりも、なんだかちゃんと意味の通る言葉のように思えます!」
メイファンはハッとしたような顔でそう言うと、先ほどと同じように再び右腕を真っ直ぐ突き出した。
そして手のひらを上に向け、真剣な顔つきになると呪文を口にする。
「おのうよ……お、おー、ほ? ほのうお? あ、いや、ちょっと違いますね。えっと」
「『炎よ、だ』」
「あ、なるほどそっちですね。分かりました、多分」
そこでメイファンが、両目を瞑ると祈るようにして胸元に両手を当てる。
しかしそれも一瞬のことで、彼女はすぐに目を見開くと右腕を真っ直ぐ前へと伸ばした。
「……えーと、『ホノオヨ』」
メイファンの手のひらに豆粒みたいに小さな火が灯る。
発音は格段によくなったけど、それでもやっぱり外国の言葉を口にする時のような妙なイントネーションがある。
自分の魔力に対する意識についても、まだ甘い。
そのため、魔術の効果が小さいのも当然だ。
それでも成功は成功である。メイファンはとうとう、魔術を使うことができた。
この事実は、これからメイファンが強くなるための大きな足がかりとなるだろう。
「え? あ、これ、ボクが……?」
「ああ、そうだ。メイファンがやった」
「ほ、ほんとですか? やったあ、できました! できましたよジェラルドさん!」
「だーっ、今抱きついてくるな燃える!」
「あ、ごめんなさい……つい興奮して、我を忘れて、その」
抑えようとしているが、メイファンの尻尾は我慢しきれずにぶるんぶるんと回転しまくっているからその内心は簡単に推し量ることができる。
……そうか、そんなに嬉しいかー。
「もうちょっと練習すれば、もっと上手く使えるようになるかもな。これからはその練習をするといい。自分の内側にある魔力を汲み上げて、外に放つような感覚でやるのがいいんじゃないかな」
「魔力を汲み上げ、外に放つ……」
神妙な顔つきでメイファンが俺の言葉を繰り返す。
「ああ。武術風に言えば、気を練り上げて叩き込む感じって言えば分かるかな」
「……はい」
「できそうか?」
「……分かりません。父にも、同じようなことを教わってきたのですが、ボクにはなかなかできなくて」
申し訳無さそうな顔でメイファンが言う。
でも俺には分かってる。これぐらいのこと、メイファンならやってみせるってこと。
「大丈夫だよ。毎日この訓練を続ければ、そのうち感覚が掴めてくるから。そうすればメイファンは、今よりも何倍も、何十倍も強くなることができる」
「ほんと、ですか?」
「ああ。もしかすると、妖魔の一匹ぐらいは倒せるようになるかもな」
俺がそう言うと、メイファンの頬がふっと緩んだ。
「それ、なかなか面白い冗談ですね」
「そうだよジェラルド。だいたい妖魔って斬っても殴っても蹴っても効かないんでしょ? そんな相手を倒せるのなんて、それこそジェラルドぐらいしか……」
冗談ってわけでもないけどな。
なんせ、前回の妖魔を倒しているのはおそらくメイファンの父である。
そんな人間に教えを受けてきたメイファンが、師匠の教えを骨身に刻み込まれていないわけがない。
ただまあ、わざわざそんなことを口にするのは無粋というものだ。妖魔が現れても俺ならおそらく倒せるし、メイファンはゆっくり成長すればいい。
急いで強くなる必要なんてない。だから俺にできるのは、強くなるためのきっかけを与えることだけ。それに気づけるかどうかはメイファン次第だ。
「とりあえず今日の稽古はこれで終わりかな」
パンっと手を打ち鳴らして稽古の終わりを告げる。
「え、もうこれだけですか?」
「そうだよジェラルド。今日、全然動いてないじゃん!」
「動くのは今日の稽古の趣旨じゃないからな。それに、今までの訓練はメイファンの本来の戦い方に向いていなかった……そうじゃないか?」
「っ!? そ、それは……」
メイファンがあからさまに動揺する。
「……ま、その辺の事情は無理に聞き出そうとは思わないけどな。とりあえず今日はこれまでだ。そして宿題――メイファンは今日やったことを毎日続けること。いいな?」
「は、はい!」
「ジェラルドジェラルド。あたしはあたしは? あたしも魔術使えるようになりたいんだも~ん!」
「……まあ、またお前にもそのうちな。とりあえず今日はこれで終わりだ。さ、帰って飯でも食いに『森の憩い亭』にでも行こうぜ。一日中任務だとさすがに腹も減るわ」
「はい!」
「うん、あたしもお腹ペコペコ!」