訓練後の湯屋にて
精神的なゆとりを保ち続ける。
その見解は、メイファンにしても例外ではない。
俺達と暮らすようになった彼女はそれまでまとっていた切羽詰まったような雰囲気がだいぶ和らぎ、穏やかな顔を見せることも多くなっていた。
「おかえりなさい、ジェラルドさん。ミィルさん」
一日の任務を終えて宿に戻ると、にこやかに俺達を出迎えてくれる。
銀色の獸耳に銀色の尻尾を持つ彼女は、掃除用のエプロンと三角巾に身を包んで玄関の掃除に勤しんでいた。
冒険者登録をすることができなかったメイファンは今、この宿で手伝いをさせてもらっているのである。彼女の雰囲気が柔らかくなったのは、こうして働いていることも影響しているのかもしれない。
「メイちゃんたっだいまー!」
任務をこなしてきた後だというのに元気な声を返すのはミィルだ。
最初メイファンを受け入れるという話になった時、ミィルは意外にも快く彼女を受け入れた。
メイファンの生い立ちに対して同情心か何かがあったのかもしれない。それに互いに小さい村で生まれ育ったから、困っている人を放っておけないというのもあるだろう。
そうして共に暮らすようになってからは次第に女の子二人の仲も深まり、今ではミィルはメイファンを『その女』ではなく『メイちゃん』という愛称で呼ぶようになっていた。
「はい。ミィルさん、一日お疲れ様です」
……メイファンのほうは相変わらず『ミィルさん』だけどな。
まあ世話になっているという意識も強いのだろう。彼女が今よりも俺達に打ち解けるには、もう少し時間がかかるだろう。
「ただいま、メイファン。そっちもお仕事ご苦労様」
「いえ。ジェラルドさん達に比べれば、ボクなんて……」
「そんなことないさ。俺の父さんならきっとこう言う。『自分に今できることを探して、それをすることができるなら、ただそれだけで立派なことだ』ってな」
「良い、お父さんなんですね。でも、はい。ボクの父も、きっと同じことを言うと思います」
メイファンは少し懐かしそうにはにかんで、箒を持つ手をキュッと握った。今は亡き父の顔でも思い出しているのかもしれない。
「だから、メイファンは立派だよ。自分にできること、ちゃんと見つけてやってるんだから」
「あ……」
そんな声をかけながら彼女の頭をわしゃわしゃと撫でると、彼女はびっくりしたような声を上げ、頬を赤らめて俯いた。
そしてそっと上目遣いで俺を見上げると、
「はい。えと、ありがとうございます、ジェラルドさん」
と、恥ずかしそうな声で呟いた。
「うんうんっ。メイちゃん、一生懸命なの見てて分かるよ。あたしも負けてらんないなって思う!」
「ほ、ほんとですか、ミィルさん」
「ホントホント! あたしも頑張らないとなあ……ジェラルドにいっぱい頭撫で撫でしてほしいし!」
「そういうことを臆面もなく口にするやつの頭は撫でる気にならない」
「うぇぇぇぇぇ!? そ、それは冷たいんじゃないかなあ?」
「いつもテンションが高くて暑苦しいお前と掛けあわせればちょうどいい温度になるんじゃないか?」
「ならあたし達の相性は抜群ってことじゃん? これぞまさに運命的な巡り合わせってことだね!」
勝手に言ってろ。
まあこれでも、カリウスさんやメイファンに対する態度が丸くなっただけコイツも成長しているのである。
……などと、初任務早々にカリウスさんに説教された俺が言うのはなんだか偉そうだけどな。でもまあ、こうしてメイファンと仲良くしているのはミィルにとっていい傾向なんだろうなあとは思うわけで。
「メイファンはまだ仕事が残っているのか?」
「あ、もう少しでお掃除終わりますから、それが終われば今日はもう上がっていいそうです」
「そうか。じゃ、俺とミィルはもう少し待ってるよ。終わったら声かけてくれ」
「はい! 頑張って早く終わらせますね!」
そう言ってメイファンが駆け足で仕事に戻っていく。
「わんっ!?」
……あ、自分の足に蹴躓いて転んでる。
「……まあ、ゆっくりでいいから気をつけてな」
「はい、急ぎます!」
なんで俺の周りにいる女って時々話が通じないんだろう。
そうして仕事を終えて戻ってきたメイファンは、膝や肘の辺りが汚れていた。
「お待たせしました!」
と口にするメイファンの尻尾は嬉しげに左右にぶんぶんと振られていた。これから三人ですることがよほど楽しみなのだろう。
ま、せいぜい今日も足腰立たなくなるまで可愛がってやるとするか。
* * *
――そして。
「はぁっ、はぁっ……ぅく」
場所はギルドの訓練場。汗だくとなったメイファンは、地面にガクリと膝をついていた。
呼吸は乱れ、空気を求めて胸が忙しなく上下している。汗だくになった額には髪の毛が貼り付いており、それが運動の激しさを物語っていた。
「なんだ、メイファン。こんなもんか」
「そうだよメイちゃん! まだまだこれからだよ!」
「あぐ、負けません!」
ガクガクと震える膝でメイファンは立ち上がると、必死な様子で練習用の木剣の柄を両手で握る。
そして握った剣を正面に構えて、俺に向かって斬りかかっていた。
「甘いな」
カン、と音を立てて彼女の攻撃を受け止める。
そしてそのまま受け流しながら、俺は彼女の腹に向かって前蹴りを繰り出した。
「っ!」
その蹴りを、横にステップすることで避けるメイファン。
だが蹴りは牽制である。本命は、前蹴りという直線的な動きに気を取られている意識の隙を突いた剣での攻撃。
「あ……」
そしてその連携は見事にハマる。俺の蹴りに気を取られていたメイファンは、予想外のところから繰り出された剣戟をとっさに防ごうと自分の木剣を振り上げるが、所詮まともな体勢を取れない状態での防御。
あえなく俺に剣を弾かれたメイファンは、喉元にそのまま剣先を突き付けられ降参することしかできない。
「う、うぅぅ~」
「攻撃に対する読みがまだ甘いな。剣の扱いは上手くなってきたけど、蹴りや拳が飛んでくることだってある。様々な間合いに対応できるようになっておいたほうがいいだろうな」
突き付ける側の俺はメイファンの動きを論評する。
なかなか動きは良くなってきたが、やはり彼女の戦い方はまだまだ甘いところがある。まあ、だからこそこうして俺やミィルが稽古をつけているわけだけど。
「くっ。ボク、全然ダメダメなんですね」
「そんなことないさ。ダメダメではあるけれど、少しずつ成長はしてるからな」
「そうそう♪ 最初から強い人なんていない、そんなに気を落とすことなんてないと思うよ? まあジェラルドみたいな変態もいるけど」
変態ってなんだよ。もう少し表現の仕方に気をつけてくれ。
「ってことで次はあたしとね、メイちゃん。手加減なしだよ!」
「いや、少しはしろよ、お前」
俺よりもより本能に頼る形での戦い方をするミィルは手加減があまり上手くない。ある意味で獣人のメイファンよりもより動物的だ。
「大丈夫だって。怪我したらジェラルドが治してくれるしさ」
快活にそう言い切ると、ミィルが自分の木剣を構えた。
……ほんとに大丈夫だろうな、と俺は心配しながらも、対峙する二人の少女を眺める。
ここ数日、俺とミィルはメイファンの訓練相手となっているのだ。
と言っても、この訓練は俺達から言い出したわけでも、メイファンのほうから頼み込んできたわけでもない。
そもそもが冒険者でないメイファンがギルドの訓練場を利用できていることからして依頼主の意向……というよりも心遣いである。そうでなければ、冒険者登録証を持たないメイファンはここに入ることさえかなわないだろう。
メイファンの訓練依頼を俺にしてきた人物。それは――、
「あら。随分熱が入っているわね。いいことだわ」
「ノエルさん」
ゼト市冒険者ギルドのギルド長、ノエルさんその人である。
この人が、俺達にメイファンの訓練をつけるよう依頼してきた。ガントを打ち倒せるだけの力を手に入れ、道場を奪い返すという目標を掲げているメイファンにとっても、この話は渡りに船だったというわけだ。
「でも、あまり成果は上がってないようね」
「いや。剣の扱いも随分上手くなりましたし、飲み込みもいい。もしかすると、純粋な戦闘の才能なら俺よりもあるかもしれませんよ」
あくまで俺は魔術師だ。魔術を用いて身体能力を強化したり、相手の魔力を感知することで動きを読むことができるだけで、それ以外の才能で突出しているわけではない。
だがミィルやメイファンは、素の身体能力が非常に高い。そういう意味では、彼女達のほうが『純粋に強い』と言うことができるだろう。
「あなたは少し勘違いしているようね」
だが、ノエルさんは俺がメイファンをそう評したことに少しばかり不満気な様子を見せた。
「勘違い?」
「ええ。魔力を感知できるあなたなら彼女の才能を伸ばしてあげることができると思ったのだけれど」
「あー、メイファンの稽古をカリウスさんやガードナーさんでなく、俺に依頼してきたのはそういう理由だったんですか。ということは、メイファンが強くなることが本命ではないと」
「そうね。結果として強くなる、ならいいのだけれど……ただ強くなるだけでは全然足りないのよ」
言葉を交わし合いながら、俺とノエルさんはミィルとメイファンの戦いに目を向ける。
ガンガン動いてガンガン殴るスタイルのミィルにメイファンが振り回されているが、それでも守るだけならかなり堅実になってきた。翻弄されながらも、よくしのいでいると思う。
最初は一合や二合程度で剣を弾かれていたのを考えれば飛躍的な成長ではあるものの。
「……シャオランの領域には、やはりまだ届かないわよね」
「シャオラン?」
「メイファンの父親で、なかなかの使い手よ。前に妖魔が現れた時に討伐したのは彼だしね」
そうだったのか……。
ミィルの隙をついてメイファンが攻勢に転じる。剣を上から、横から、ミィルへと鋭く斬りかかる。
その剣戟を、ミィルが驚異的な反射神経でかわしていく。そんなミィルに向かって一気に距離を詰め、激しくメイファンが攻め立てようとして――。
そこで、メイファンの魔力が異質な流れ方をする。冒険者登録任務でも何度か見た、収縮してから一気に膨らんでいくような動き。
だがそれも尻すぼみに終わる。収縮も、そこから膨らむのも中途半端。途端にメイファンの動きが鈍り、そこへミィルが躍りかかる。
あとはもう、メイファンは一度か二度打ち交わしただけでミィルの攻撃を凌ぐことができなくなる。ガス欠だ。
先ほどの俺との戦いを焼きなおすようにして、メイファンの剣がカァンと音を立てて弾き飛ばされる。
「へっへぇ~、あたしの勝ちだね!」
高々とミィルが自分の勝利を宣言する。いや、でもな、お前、これ戦闘じゃなくて稽古だからな。
その辺りのことをミィルが理解しているのかどうか、少し心配になる俺であった。
「……ま、メイファンちゃんのことよろしく頼むわね。色々と」
「はい。引き受けたからにはちゃんとやってみせますよ」
「期待してるわ、ジェラルド君。それじゃ私、仕事に戻るから」
「お疲れ様です」
「ああ、それと、ごめんなさいね」
「はい? 何がですか」
「勘違いしているようだ、なんて言っちゃって。君に任せることにした私の判断はどうやら間違っていなかったみたいね」
「それ、自画自賛じゃないですか? それと、間違っていたかどうかについてはまだ結果も出ていないですし、断言するのは早過ぎる気が」
そう返すと、ノエルさんは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「依頼主がそう断言したのなら、引き受けたほうとしてはちゃんとやってみせるのが筋ではないかしら? 期待してるわよ」
最後にそんな言葉を残すと、ノエルさんは軽やかにこちらに背中を向けて訓練場から立ち去っていくのだった。
「……そうですね。努力させていただきます」
まったく、食えない人である。まあ、だからこそ冒険者ギルドのギルド長なんてものをこなすことができているのかもしれないが。
――
その日の訓練を終えた俺達は、汗だくになった体を洗い流すため、湯屋へ行くことにした。
湯屋といっても銭湯や温泉のような施設ではない。
訓練場からほど近いところにあるその湯屋では、銅貨一枚でたらい一杯の沸かしたお湯とタオル、そして仕切りで区切られた洗い場を貸し出してくれるのだ。
訓練のあとに、熱いお湯に浸したタオルで体を拭うのは意外と気持ちがいい。それは俺以外の冒険者も同じ気持ちなのか、湯屋は大抵任務や訓練後の冒険者達でこの時間は賑わっているのだ。
「そんじゃあたし、先にもらってくるね!」
相変わらず今日も混んでいたため、たらいとタオルだけ先にもらいしばらく待つ。
すると入っていた客が一人出てきたため、ミィルが先に入ることになった。
「おう、いってら」
「はい。ごゆっくり」
と、俺とメイファンが送り出す。
「ジェラルドもあたしと一緒にどうかな?」
「バカ言ってないでさっさと行け」
「えー、つれなーい。つまんなーい」
などとぶつくさ口にしながらも、ミィルは洗い場へと消えていった。
こういうところは、相変わらず成長のないやつなのだ。
「ったく。あいつはいつまで経っても……」
呆れてため息をひとつついていると、メイファンが話しかけてきた。
「お二人はとても仲がよろしいんですね」
「あー……まあ、幼なじみだからな。小さな村だったし、同い年の子どもは互いしかいなかったってのもあるからなあ」
「そういう相手がいるのって、なんだか少し羨ましいです」
「そうか?」
「はい。……ボクにはそういう相手、いませんでしたから」
そんなことを言うメイファンの様子は、なんだか少し寂しげに見えた。
「ボクの世界には父さんと、父さんとの稽古の日々しかありませんでしたから。友達とか、幼なじみとか……恋人なんてもの、ボクにはまったく……あっ」
うつむきがちにそんな後ろ向きなことを言うメイファンの頭をポンと叩く。
だってさ、しょんぼりとした顔をされると、なんかたまんないだろ。
元気にしてやらなくちゃって思っちゃうじゃないか。
「メイファンは父さんのことが大好きなんだよな。今も、昔も」
「っ、はい! はい、そうです。ボクは、だって、父さんはいつだってボクに優しくて……」
「そう。優しい父さん、だったんだろ。だからさ、俺やミィルって友達が今のメイファンにいること、喜んでくれると思うんだけどな」
「あ……」
メイファンが、気付かされた、みたいな顔をする。
……なんで、そんな単純なこと、言われないと気づかないのかな。こいつってやつは。
「だからさ。難しいかもしれないけど、嬉しい時や楽しい時はちゃんと笑ったほうがいいと思うぞ。心なんてもの、寂しさよりも喜びでいっぱいにしたほうがいいに決まってるから」
「ジェラルド、さん……」
「だから、そう寂しそうな顔すんなって。それに俺達だけじゃない。カリウスさんとか、ノエルさんとか、他にも面倒見てくれる人いっぱいいるだろ。一人じゃないんだって、メイファンはさ」
俺とミィルがメイファンを引き受けてからも、カリウスさんやノエルさんは気にかけてくれている。カリウスさんはよくお菓子や料理(趣味らしい)を無愛想なセリフとセットで差し入れをしてくれたりするし、仕事で忙しくメイファンを引き受ける余裕のなかったノエルさんも俺にメイファンがどうしているのかよく聞いてくる。
だからどうか、父しかいないなどと言わないでほしい。思わないでほしい。父を失った自分は孤独であらねばならないなどと、思い込まないでいてほしい。
どうやらそんな俺の願いはメイファンに正しく伝わってくれたようだ。
顔つきが、先ほどの寂しげなものから、嬉しそうなはにかみ笑いになっているから。
「ありがとうございます、ジェラルドさん」
そんな顔のままメイファンがお礼を口にする。
「ジェラルドさんのおかげで、ボク、少し元気になれました」
「それならよかったよ。……っと、次は俺かな」
先に入っていた客がまた一人洗い場から戻ってくる。
順番的に次は俺が入る番かと、タオルとたらいを腕に抱えて立ち上がった。
すると。
「ジェラルドさん。あの……その………………………………ボクも一緒に入っても、いいですか?」
立ち上がった俺の服を指先でつまむようにして引き止めたメイファンが、そんなとんでもないことを口にする。
「………………」
俺は言葉を失って、まじまじとメイファンの顔を見つめてしまった。
そしてようやくひねり出したのは次のような言葉だ。
「あの、今…………なんとおっしゃいました?」
なぜか俺の口調もものすごく丁寧になっていた。
「だから、えと、次はジェラルドさんが洗い場に入られる……んですよね?」
「あ、ああ、うん。そうだけど」
「だからあの、ボクもジェラルドさんと一緒に中に入りたいです! ジェラルドさんのお背中、ごしごしして、それで、あの、ボクの背中とかもごしごししてほしいですっ」
「いやでも、な、メイファン。ほら、俺は男で、メイファンは女で、それでえっと……あとは、分かるよな?」
「……? だ、ダメ、なんですか?」
じわぁ、とメイファンの瞳に涙が浮かんでくる。彼女は祈るように胸元に両手を当て、請い願うように俺の顔をじっと見上げてきた。
「でも、ジェラルドさんはさっき言いました。ボクは一人じゃないって。面倒、見てくれるって。なのに、一緒に体を洗い合うのはダメなんですか?」
「そ、それは……」
「ボク、洗いたいです。ジェラルドさんの色んなところごしごししたいです。ジェラルドさんにも、ボクの体全部、ごしごし綺麗にしてほしいです。……それは、いけないことなんですか?」
純真な瞳に見つめられ、俺はたじたじとなってしまう。
例えばこれがミィルなら下心が透けて見えるため、「バカなこと言ってるんじゃない」の一言で済む話である。
しかし、メイファンの場合はそのような下心を抱いているようにはとても見えない。だからこそ、ここで強く断るのもなんだか気が引けてしまうわけで。
「わ、分かったよ……そこまで言うなら、一緒に入ってやる」
「っ! わあ、ほんとですか!」
渋々うなずいてみせると、メイファンはぱあっと嬉しそうに顔を輝かせるのだった。
――
そして――。
「それではお背中、ごしごししますね!」
「う、うむ」
結局俺は、メイファンと一緒に洗い場に入ることになった。
お互い、当然のごとく全裸である。俺は一応腰に布を巻いているのだが、メイファンは恥じらうことなくすべてを惜しげなく晒していた。
そして、メイファンの身を守ってくれるはずだった布は今、彼女の手に握られている。
その布をメイファンはお湯に浸すと、床の上に直接腰を下ろしている俺の後ろにそっと膝をついた。
洗い場は一メートル四方ぐらいで布に仕切られた空間である。そんな狭い空間で体を洗い合おうとすれば、当然のように体同士の距離は密着するほどに近くなる。
「んしょ、と」
そんなわけで、俺の後ろに膝立ちになったメイファンの体温なんてものはほとんど直接伝わってくるかのようで……。
知らず知らずのうちに、俺の体は緊張でこわばっていた。あと股間の辺りにあるものも、ちょっと猛々しくなりつつある。
後生だから今だけはどうかこらえてほしい、我が息子よ。
「では、失礼して」
「……うっ」
背中に、温かく柔らかいものが押し付けられる。
しかし、想像した熱さとはまた違った。お湯の熱さというよりは、どちらかというと人肌の温もりのようでいて、柔らかさも布とはまた違った肌触り。
目の粗い造りの布よりも、もっと滑らかですべすべな、それでいて堅く尖ったところが二つもあって……?
って、まさかこれは。
「あ、あの、メイファン……いいかな?」
「ふっ、はぅ……あ、はい、なんですか?」
「今さ、その、どうやって俺の背中を洗ってる?」
「その、ボクの胸を使わせてもらってます」
メイファンの答えは、予想通りでありながらなんとも破壊力抜群なものだった。
さっきから熱くなっていた俺の頭がいよいよ沸騰しそうになる。
「いやあのええええ!? そ、それはなんでまたそうしようと思ったわけ!?」
「ここの洗い場、布でお背中を流すには少し狭かったもので……」
「そんな理由で!?」
「はい。あ、それにこうして洗ったほうが、ボクの胸やお腹も一緒に洗うことができると思ったので……その、ご迷惑でしたか?」
「そ、そそ、そんなわけないだろう!」
迷惑というよりは至福である。
しかしながら、こんな洗い方をどこで覚えたのだろうか。
「……こういうこと、メイファンはこれまでにもしたことがあったの? その、繁華街とか歓楽街辺りにいた頃とかに、さ」
「え? どうしてですか?」
「ほら、こういうことしてお金をもらったりとか……あるんだろ。こういう街だし、さ」
冒険者街の繁華街や歓楽街には、冒険者のお金目当てに春を売るお店も多いという。
だからつい、そんな想像を俺は巡らせてしまったのだが。
「あ、そんなことはないですよ。だいたいボクは獣人なので、人間とエルフばっかのこの街じゃお客がそもそもつきませんから」
「……? そうなの?」
「はい。ボク達獣人にとって耳や尻尾は誇りなんですが、どうも他の種族からしてみれば印象はあまりよくないらしいので。だからしばらくは路地裏とかで小銭を探して回ったり、そういうのが見つからなければゴミ箱に食べ物がないかあさったり、そういうことして暮らしてました」
またさらりと重たい過去を打ち明けられ、少しだけ俺の気分が沈む。
「でもそうして生きてる間も、男性に体を許そうと思ったことはありませんでした。父さんにもらったこの体を、どこの馬の骨とも知れない男の思うままにしようなんて思えませんでしたし。だからボク、男の人にこんなことをするのはジェラルドさんが初めてです」
「あ、そう。そう、なんだ。……にしてはよく、こんな洗い方知ってるね」
「時々面倒見てくれた水商売の女性がいたんです。その方がよく、そういうお話してくれましたから」
そう語るメイファンの口調は、少しだけ懐かしそうだった。
話をしているうちにも、メイファンが俺の背中(と自分の胸やお腹)を洗い終える。
「じゃあ今度は、ジェラルドさんがボクに同じことしてください」
「できるか!」
言いつつ俺は、メイファンが結局お湯に濡らしただけの布を手に取った。自分の腰は断固として守り切るつもりである。
布を少しぬるくなったたらいのお湯に浸し、ぎゅっと堅く絞る。そしてその布をメイファンの背中に当てて強くこすった。
「っ、あん」
「変な声、出すな!」
「や、だって、そんな強っ、くぅぅん」
犬の甘えるような声でメイファンが身悶える。こちらとしてはやりにくくて仕方ない。
思わず気持ちが昂ぶりそうになるのを、鉄の心で俺は耐えた。
「ああ。それとさ、メイファン。さっきの話聞いてて思ったんだけど――」
「ん、ふっ。あ、なんで、すか?」
「メイファンに客がつかないなんてこと、俺はないと思うけどな。だってこの耳は銀色の綺麗な毛並みをしてるし、銀色に輝く尻尾だってとてもかっこいいじゃないか。気高い感じがしてさ、少なくとも俺は大好きだよ。メイファンの耳も尻尾も」
「ほ、ほんとですか!? そういう風に思ってくれますか?」
「うん、思うよ。……まあ、だからなんだって話だけどな」
「そんなことないです! 嬉しいです!」
その言葉が嘘ではないことを示すように、メイファンの尻尾がぶるんぶるん左右に振られる。
「あ、こら、尻尾振り回すな! 背中洗いにくいだろ!」
「ふぇぇ……む、無理です、止まりません……」
とメイファンが情けない声を上げる。
結局俺は、最後まで振り回されるメイファンの尻尾に苦労しながら彼女の背中を洗う羽目となったのだった。
なお、俺とメイファンが一緒に洗い場に入ったことを知ったミィルは、「次はあたしと一緒に入ろう! 今すぐ」などと言い出して俺を大層困らせた。




