試験官
ユリアさんに頼まれ、俺は試験官を請け負うことにした。
冒険者登録任務に行けるのは、試験官である俺と、メイファンと名乗った獣耳の少女だけらしい。試験官でも登録任務を受けるわけでもないミィルは留守番である。
「ええー! その子だけ、ずるい、ずーるーいー!」
とミィルは駄々をこねていたが、そういう制度なら文句を言っても仕方ない。
ふくれっ面のミィルを置いて、俺とメイファンはゼフィロスの森へと向かうことにした。
「ジェラルドさんは、十三歳でもう中級冒険者なんですか?」
道中メイファンがたずねてきた。
「そうだよ。冒険者になったのは二週間ぐらい前で、中級に上がったのはついこの間」
「たった二週間で中級冒険者……? そ、それって、え、十三歳で、二週間でって、それほんとですか!?」
「うん。ほんと。ほら」
メイファンに冒険者登録証を見せる。発行日と階級が書かれているから、俺の言葉が事実だということが分かるだろう。
登録証を見たメイファンは目を丸くして驚いていた。
「……凄いなあ。天才って、ほんとにいるんですね……ボクみたいな凡人じゃこうは行かないです……」
銀毛に覆われた耳をやや伏せて、彼女はやや卑屈な笑みを浮かべた。
「いや、まあ俺なんかは運が良かっただけだよ。魔術が使えるし、比べたところで意味がないから」
「魔術……ボクと一歳しか違わないのに、もう魔術が使えるなんて……」
俺を見るメイファンの目に、一瞬翳りのようなものが見えた。
だがそれは、すぐに取り繕ったような笑みに掻き消される。注意して見ていなければただの勘違いにしか思えなかったかもしれない。
少し気になったが俺はそれについては特に何も言わず、別のことを口にした。
「俺と一歳違うってことは、十四歳?」
「はい、そうです。あ、でも獣人と人間だと歳の数え方は違ってて、獣人は生まれた時に一歳になったとするので、ボクは人間なら十三歳という計算になりますね」
「ということは俺と同い年みたいなもんか。じゃあ、話す時もこのままタメ口でも大丈夫かな?」
「はい、もちろんです!」
メイファンの口と目が、同時に笑顔の形を作る。
俺も軽く笑みを浮かべて言葉を返した。
「ああ。そっちも普通に話してくれ」
「あ、ボクはこのしゃべり方が癖で……あの、気になったりとかしますか?」
「いや。それが普通ならそのままでいいよ。無理に砕けた話し方にする必要もないだろうし」
そう返すと、メイファンは安堵の息をつく。
そして居住まいを正すと、俺に向かって礼儀正しく頭を下げてきた。
「改めて、今日はよろしくおねがいします、ジェラルドさん」
「うん。よろしくな、メイファン」
――
冒険者に寄せられる依頼には、素材の採集、魔物の討伐、|封印跡地〈ダンジョン〉の調査などといった内容のものが多くある。
冒険者登録任務では、そうした能力を持っているかどうかを見極めるのを目的としている。
そのため、定められた素材の採集と、最下級魔物の討伐が任務として課せられている。
「これで、ルコリスの根はそろいました」
メイファンが持ってきた袋の中身を検めて、俺はひとつうなずいた。
「うん。ちゃんと全部あるね」
袋の中に入っていたのは、ルコリスという草の根っこである。血のように赤い根は全部で十本、指定通りの数がそろっていた。
土もちゃんと落とされていて、綺麗な状態である。
俺はひとつうなずいてメイファンへと声をかけた。
「これで採集のほうは任務達成だね」
「ほ、ほんとですか?」
「うん。じゃあ、次行ってみようか」
「はいっ!」
「じゃあ、ちょっと失礼」
俺はレイファンの手首を握る。
「え? え?」
「特別だ。ちょっと見せてやる。『転移』」
頭に次に向かう場所を思い描きながら、俺は呪文を口にする。
すると一瞬で視界が切り替わり、俺達は別の場所に移動していた。
「い、今のは……」
「俺の魔術だよ。空間を転移して手っ取り早くエリアからエリアに移動したんだ。こっちのほうが、無駄な時間を使わないで済むだろ」
「は、はあ……」
びっくりした様子のまま、メイファンはしばらくの間呆けていた。
「さて。それじゃ採集任務は終わったから、今度は魔物の討伐任務だな」
このエリアではメイファンがどれだけ魔物と戦えるかをテストする。いくら素材収集ができたとしても、戦うことがやっぱり冒険者の本分だしな。
「ここから先には毛針虫がよく出没する。最下級の魔物だが、近づけば獲物と思って襲い掛かってくるし、全身を覆うトゲは触れたらその箇所がしびれるから気をつけろ」
「は、はい!」
メイファンは緊張した面持ちで剣を抜くと、ぎこちない様子で構えた。
ちなみに彼女の装備は、やはりギルドから支給された革鎧と細身の長剣である。剣の取り扱いに慣れないのか、構える様子は堅苦しい。
脇はガチガチに締めすぎで、肘を曲げて胸に抱きかかえるようにして持っている。足も左足を前に出しているが、本来なら右足を前にして構えるほうが一般的だ。
その構えを見るだけでなんとも先行き不安だった。
「……メイファン。剣の握りはこう。足もこうして、体は半身にする感じで。あと肘もそんなに曲げないほうがいい」
「ふぇぇ!? あ、ひゃ、はは、はいっ」
軽く見本を見せて注意すると、慌ただしくメイファンが構えを直した。
直してもまだ不格好だったが、それでもさっきよりはだいぶマシである。うなずくと、俺は毛針虫のいるほうへと彼女を誘導した。
すでにこの辺り一帯にいる魔物の位置は魔力を感知することで把握している。一番近いところにいる毛針虫は、その場から十歩と歩かない位置にある茂みの向こう側にいた。
横から見たら楕円形のようなぶよぶよとした体を、鋭い肌で覆った茶紫色の巨大イモムシだ。見た目ははっきりキモい。
それを指して、俺はメイファンに言葉をかける。
「あれが毛針虫だ。覚悟はいい?」
「は、はい」
緊張した面持ちながらも、しっかりと首を縦に振る。
頷き返してきたメイファンを俺はしばらくの間見守る。メイファンは茂みから首を伸ばして、毛針虫の様子をうかがっている。だが首を縦に振ったはいいものの、決意のほうは固まり切らないらしい。なかなか足を踏み出せないようだ。
だが俺からは何も言わない。背中を押してあげるようなことはしない。魔物を『殺す』という覚悟を自分で固めることができるようになるのも重要なのだ。そして、人に背中など押されずとも危険に身を晒す胆力も自分で手に入れないといけない。
メイファンは何度か剣の柄を握り直し、その場で足を踏み変えて、心の準備を整えようとしている。銀毛に覆われた耳がぴくぴくと動き、尻尾は落ち着きなく左右に揺れていた。
やがて、来たな、と感じる瞬間があった。片手を剣の柄から放し、メイファンが自分の胸元をそっと抑えた瞬間だった。眼に魔力を込めて『視』てみると、魔力の動きから彼女が次の瞬間には茂みから飛び出し毛針虫へ向かっていくことが分かった。
そして、その通りになった。メイファンはぐっと下肢に力を入れ、茂みからさっそうと飛び出していく。それに気づいた毛針虫が体を反転させてメイファンへ向き直る。
メイファンは勢いを殺さず毛針虫へ斬りかかる。だが間合いが近すぎる。ほとんど剣の根っこの辺りで殴りつけるようにして斬りつけていた。
毛針虫は倒れなかった。それもそのはず、斬ったというよりは殴ったようなものだった。剣の刀身ではなく、鍔の辺りがぶつかったのがこちらからも見えていた。
倒れなかった代わりに、毛針虫は吹き飛ばされた。突進の勢いも加わって、撥ねられたようにして宙を飛ぶ。ぐちゃ、っと奇妙な音を立てつつ落ちた毛針虫は、慌てた様子で逃げ去って行った。
メイファンはその後を追わない。追えない。見れば彼女は剣を取り落とし、苦しそうな顔で膝をついていた。
「おい、大丈夫か!?」
慌てて駆け寄ると、彼女の両手は手首から指先までが斑色に腫れ上がっていた。おそらく毛針虫の針に先ほど両手が触れてしまったのだろう。これでは剣を握ることもできない。
「『毒を浄化せよ』」
俺が魔術ですぐに治療するが、メイファンが下唇をぐっと噛み締め険しい顔つきを崩さなかった。
「どうした。まだ、どこか痛むか?」
「いえ……」
彼女はゆっくりと首を横に振る。
「あの、ボクは……やっぱり任務失敗、ということになるんですか?」
「ああ。まあ、そうだな。今のだと合格点はちょっとやることができない」
そう告げると、メイファンはすがるような目で俺の顔を見上げた。
必死な気持ちが、瞳の奥では揺れている。
「お願いです! どうか、ボクにまた挑戦させてください! まだ任務を続けさせてください!」
言いながら彼女は地面に伏せるようにして頭を下げてくる。嗚咽するような低い声さえも聞こえてきた。
「……冒険者にそこまでしてなりたいのか? ぶっちゃけキツいし、大変なばかりの仕事だぞ」
「それでも! それでもボクは、冒険者になってやらなければならないことがあるんです……!」
メイファンのその真剣な様子に、俺は諦めてため息をついた。
「いいよ、分かった。次は上手く仕留めてくれよ?」
「本当ですか!?」
がばあっとメイファンが顔を上げる。目元には涙のあとが残っていて、俺はさり気なく視線を逸らした。
「ああ。それに、ダメっつっても俺がいいって言うまでどうせ引くつもりなんてねえんだろ?」
「あ、えと、それは……」
メイファンが恥ずかしそうに頬を赤らめる。どうやら図星だったらしい。
「……やっぱりかよ。まあいいや。俺も個人的に気になることもあったしな、ちょうどいい」
「へ? 気になる、ですか?」
「いや、こっちの話だから気にするな。それよりも、次行くってんならさっさと行くぞ。日が高いうちに済ませたいからな」
「はい! お願いします、師匠!」
「いや弟子を取った覚えはねえから」
苦笑して俺が歩き出すと、メイファンが後ろからついてきた。尻尾をぶんぶん振っていて、まるで犬のようである。喜怒哀楽のわかりやすいやつだった。