宿屋の小規模な攻防
ガードナーに勝利した後――。
「さあさあ、ここにいるのがこのオレ、ガードナーを初めて倒した強者だ! 寄ってらっしゃいみてらっしゃい、コイツに一撃を加えられるやつなんざ、このオレだって想像つかねえ!」
ガードナーの口上に観衆が沸く。それを目にしながら、俺はため息をついていた。
「よかったねえ、稼ぎ口がこんな簡単に見つかってさ。これもほら、正妻様の手柄ってやつ?」
「どこの誰様の正妻だよ」
「ジェラルド様のミィルちゃんだよ」
「悪いがお前に用意できる席は幼なじみか親友のどちらかだけだ」
「少なくとも今のところは?」
「狼さんは未来永劫、狩人さんのことが苦手だと思う」
口の減らない幼なじみを適当にあしらいながら、俺は棒を片手に新たに歩み出てきた挑戦者と対峙する。
『始め!』の言葉に合わせて殴りかかってきたのをいなしつつ、ガードナーの言葉を思い出していた。
「オレに勝つたあすげえな、彼氏!」
「いや、だから彼氏違……」
「あんたは相当見込みがあると見た! どうだ、オレの代わりに、ここはいっちょあんたがやってみねえか?」
ガードナーは、自分に代わって俺が挑戦者の相手をしたらどうかという話を持ちかけてきた。それを最初は断ろうとしたものの。
「面白そう! やろうよ、ジェラルド。ジェラルドならきっと大儲けできるよ!」
というミィルの言葉により、半ば強制的にやることになってしまったのだ。
……この幼なじみ、俺ならなんでもできると思っている節がある。まあ、確かにさっきから結構儲けてたりするから文句を言うこともできないんだけどさ。
『ゼロ!』
なんてことを考えているうちに今の挑戦者の時間も終わる。ちょっと目に魔力を集中させ、相手の体を流れる魔力を『視』るだけでどこに攻撃が来るのか、次にどう動くのか分かる俺からしてみれば、こんなものは朝飯前だ。
挑戦者は肩で息をしながら、「こんな糞ガキに!」と悪態をつきつつ金を手渡してくる。ガキはともかくとして糞は余計だおっさん。
これで、三レゾと二十八レイス。ガードナーに聞いたところ、普通の宿屋が朝夕の食事込みで十五レイスかかるらしいため、とりあえず今夜の宿には困らなさそうだ。
冒険者登録料も一人あたり一レゾ、俺とミィルで合計二レゾかかる計算になるから、少し安めの宿に泊まれば明日も一レゾぐらいは残るだろうか。
簡単に頭の中で計算すると、今日明日はなんとかやっていけそうだった。
今日のところはひとまず切り上げ、俺とミィルは今晩の宿を探すことにした。
「じゃあガードナーさん。今日は俺達、もう宿探すんでこれぐらいで」
「おう、頑張れよ彼氏。なんかあったらいつでもオレに言ってくれ」
「だから彼氏違う……」
いや、ほんと、いい人そうな人と知り合えたのは良かったんだけどね。その勘違いはやめてほしいんだよなあ。
「ガードナーさん、まったねー!」
「ああ、またな彼女。彼氏がちょっとつれなくても、辛抱強く付き合ってやれよ」
「分かってるって。あたしもそのつもりだよ!」
ちなみにミィルはガードナーさんの勘違いを訂正するどころか、積極的に既成事実化しようとしていた。やめてくれよ……。
――
稼いだ金で、一晩十レイスという安宿に入る。
取った部屋は一つだけ。食事はついていないが、手持ちが多いとは言えない現状、安く泊まれるというだけで有りがたかった。
扉を開いて室内に入ると、中は薄暗く、お世辞にもきれいとは言えなかった。壁際の窓から差し込む月明かりに浮かび上がるのは、ヒビ割れた漆喰の壁やすすけた絨毯、変色しているベッドのシーツ……。
換気もしっかりなされていないのか、空気もどこかジメッとしている。壁の燭台にも、爪の先ほどしか火の灯らなさそうな、小さい蝋燭があるばかりだ。
そんな部屋の中へ、ミィルがさっそうとした様子で入り込む。
そのたわわに実りかけた胸を張り、片手を腰に当て、もう片方の腕は指先を伸ばして天井へ向ける。
自信に満ちたその振る舞いはどこか威厳に満ちていて、まるで一枚の絵画のようにも見えるのだったが、
「てぃぅ、てとゅ、てぃうん、とぅ、とぅぅぅ!」
その口から紡がれたのは世にも間抜けな魔法言語……の成れの果て。
「あ、あれ? えーと、てぃんとー? てぃうんてぃう? てぃう、てぃんう、てぃうんてぃうん!」
「……『点灯』」
天井付近に光がパッと灯る。薄暗かった室内が途端に明るくなった。
煌々と照る光の下、「むぅ」とミィルが頬を膨らませる。非難するような目をこちらに向けてきた。
「なんだよ」
「横取りした」
「は?」
「あたしが明かりつけようと思ったのに。ジェラルドに横取りされたあ!」
そう喚いてミィルが悔しそうに歯噛みし、地団駄を踏む。俺が魔術を使って部屋に明かりを灯したのが、よっぽど気に食わなかったらしい。
「今日こそはちゃんとつけられるって思ったのに! なんで、なんで、なんでえ!?」
「そりゃ、魔法言語をちゃんと発音できてないからだろ」
「ちゃんと『てぃんてぃう』って言ったもん!」
「……いや、だから言えてないからなそれ」
俺が魔術師だと村の人達に知られてから、魔法言語を教えてくれと言ってくる人は、まあそれなりにいた。それは主に俺と同年代の子ども達で、しかしどんなに頑張って教えてもまともに修得できた人間はそういなかった。
どうやらこの世界の人間にとっては発音がかなり複雑に思えるらしく、どう教えても口や舌が上手く回らないようなのだ。とりわけ、『ん』や『っ』、それに『ー』などという発音が難しいらしく、『点灯』のように『ん』が加わっている単語はまともに発音できない傾向がある。
まれに、偶然成功することもあるが、その成功は長続きしない。ちゃんと魔法言語を発音できるようになったのは、村の子ども達の中ではシエラだけだった。
おそらく、二歳という幼い時期から魔法言語を耳にしていたのが良かったのだろう。また、シエラ以外にも、母さんは日常的に使う簡単な単語だけならかなり正確に発音できるようになっていたが、父さんは全然ダメだった。やはり相性というか、適性みたいなのがあるのだろう。
日本人の感覚としては、英語のLやR、SとTHの発音がいまいち区別できないのに近いんじゃないだろうか。
「ずるいよぅ。ジェラルドだけ魔術が使えるなんて卑怯だぁ」
「卑怯って、お前なあ」
ミィルの物言いに思わず呆れる。まあ、こっちの魔法言語が前世では母国語だったのでチートなのは確かなんだけどさ。
「バカなこと言ってないで、明日に備えてそろそろ寝ようぜ。俺はもう眠い。さんざん誰かさんにこき使われたからな」
「狼さんのお嫁さんに?」
「その狼は多分未婚だぞ。『換気』」
窓を解放しつつ呪文を口にすると、室内に気流が生まれて部屋に新鮮な空気が満たされていくのが分かる。
だが、夜気は冷たくおそらく体に障るだろう。そう思った俺は『暖房』と唱え室内の空気を暖めると同時に、隙間風を防ぐためにひび割れた漆喰へと手のひらを向け『ひび割れを塞げ』と口にする。
それほど間を置かずに室内は快適な温度を取り戻し、漆喰のひび割れもみるみるうちに塞がっていった。
「こっちは任せて! せぅぅ、せみゅ、しぇみゅじょ!」
『洗浄』って言いたいのかな? ミィルはシーツのシミに手を向けて、なにやらうんうん唸っていたけど、まったく呪文を口にすることができてない。
ため息をついて、俺はミィルに代わってシーツに手を向け『染み抜き』と唱える。すると一瞬で、シーツに残っていた謎のシミは消え去った。
「きれいになったぞ」
「うがーっ」
犬が威嚇するみたいにミィルが唸る。やっぱりめちゃくちゃ悔しそうだった。
「あたしとジェラルドと、何が違うんだ! 性別!?」
発音だよ。
見当違いなことを口にするミィルはさておいて、俺は絨毯にも視線を向ける。ベッドが一つしかない以上、片方は絨毯で寝ることになるだろう。こっちもきれいにしておいたほうがいい。
「『絨毯の汚れよ、ここに集まれ』」
部屋の扉を開いて廊下の壁際を指差すと、集まるわ集まるわ煤だの埃だの細かいチリゴミがこぶし大ほどの山となる。
宿の主人からゴミ袋を借りてきて、集めてきたゴミをそこへ入れる。その後試しに絨毯を手でパンパンと叩いてみたが、埃の舞い上がる様子はなかった。
これなら絨毯でも快適に寝ることができることだろう。
そうやって部屋の状態を整えている俺に、悔しげな、しかしどこか尊敬するような視線をミィルが向けてくる。
「どうかしたのか?」
声をかけると、ミィルははあとため息をついた。
「ジェラルドは、なんていうか凄いよね」
言いながら、ミィルはベッドに座ると足をパタパタと動かした。
「そうか?」
「うん。お金もあっという間に稼いじゃうし。魔術だって使えるし。なんていうか、こっちが自信なくしちゃう」
「んな大げさな」
「全然大げさじゃないよ! ほら、ジェラルドを見てると、あたしって何があるんだろーとかそういうの思ったりしちゃうじゃん? 羨ましいやら、妬ましいやら、でもこの男があたし好きなんだよなーって思ったりとかするとまた微妙な気持ちになっちゃったりして」
「……まあ、それは分からんでもないけどさ」
自分にない才能を持っている人間を見ると、俺だって羨ましいと思ったりすることはある。自分が持っていないものを手にしている人はそれだけで憧れと嫉妬の対象となり得るのだ。
とはいえ、そんなことを言い出したところでキリがない。考えすぎて動けなくなるよりは、自分自身を受け入れて何ができるかというのを考えたほうが建設的だ。
俺はたまたま、日本語ができた。魔法言語が使えた。だから魔術師になることができた。それは本当にそれだけの話であって、ミィルにはまたミィルの美点――持っているものだってある。
「俺からしてみれば、ミィルも凄いと思うけどな」
「そーかなー?」
「そうだよ。お前って物怖じしないだろ。考えるよりも先に行動することができる。今日の昼間みたいにな。おかげで金を稼ぐこともできたし、冒険者登録料を払うこともできるじゃないか。……あの法外な値段はちょっとびっくりしたけどな」
もしあの時ミィルがガードナーさんのやっている賭け試合に興味を持ち、見ていこうなどと言い出さなければ、俺達は今でも途方に暮れていたかもしれない。
このように、俺もまたミィルに助けられたりしているのだ、確実に。結局のところ、魔術が使えようが使えまいが一人では生きていくことができないというのは変わらないのだ。
「とにかくさ。俺達は一人じゃないわけで、できないことは互いに補い合っていけばいいっていうかさ。ミィルにできなくて俺にできることがあったら、その時は頼ってくれたほうが嬉しいし、安心だってするし、さ」
人は誰しもいびつな形をしていると思う。それは欠けてる部分があるからで、でもだからこそ、欠けている部分と部分を埋め合うようにできている。
一人では存在できないようになっている。孤独では耐えられないように作られている。少なくとも俺はそう思う。
俺の告げた、少し……いや、結構クサいセリフに、ミィルは少しホッとしたように頬を緩める。
しかしそれはすぐに嬉しそうな笑顔に変じ、しかし次には悔しそうに歪みかけ、その途中に考えこむような神妙な顔つきになる、という複雑で多彩な表情の変化を見せたかと思うと、最後にはようやくいつもの、いたずらっ子が浮かべるような笑顔に落ち着いた。
「なんていうか、ジェラルドって、ほんと、ジェラルドだよね」
どこか納得した風にうなずくミィルに、俺は「どういうことだよ」と唇を尖らせる。
するとミィルは、
「おじさんにそっくりってことだよ」
と言って声を上げ笑う。
「似た者親子だなって。そう思っただけ」
「お前、時々意味不明だな」
何が面白いんだか。
ミィルの反応は何となく思ったものと違ったけれど、彼女の雰囲気がいつもの明るいものに戻ったので、まあよしとしよう。
俺がそう納得していると。
「ねえ、ところでジェラルド」
「あん?」
「さっきのジェラルドの言葉……嬉しかったよ。心がすっと軽くなったっていうかさ。ああ、あたしにはジェラルドがいるんだあって思ったら、なんか凄い安心した」
「……そうか。それなら、よかったよ」
「ジェラルドにもさ、あたしがいるって考えていいんだよね?」
「まあ、そういうことになるんじゃないか」
「だったらさ……ジェラルドが言ってくれたことって、まるで結婚の時に夫婦が交わす誓いの言葉みたいだよね!」
「はあ!?」
どうしてそうなる!?
驚愕を隠せない俺を無視して、ミィルが熱く語りかけてくる。
「だって言ってくれたじゃない。俺達は一人じゃない、補いあっていけばいいって。つまりそれはあたしにある空洞部分をジェラルドの突起物で埋める行為も含むってことよね? なら善は急げ、早くあたしの『足りない部分』を『ジェラルドのモノ』で埋めてほしいなっ。都合よく、今はあたし達二人きりなんだし!」
なんだその超絶理論展開は。
おっさんのセクハラでもまだ慎みがあるぞ。
でも……狙い通り『いつものミィル』に戻ったという証でもあるわけで。
だから俺は『いつも通りの言葉』をミィルに返す。
「寝言は寝て言えっての。っていうか明日に備えてとっとと眠ってしまえ」
「え~ジェラルドの体温感じてないとあたし眠れないなあ~具体的には直接肌と肌を重ね合ったり手足を絡めながら粘膜と粘膜の接触でもって愛を伝え合う激しい運動をしたりしてぐったり疲れ果て身も心も満たされてからでないと」
「今のあられもない発言は聞かなかったことにしてやるから、寝込みだけは襲うんじゃないぞ。絶対だぞ?」
「世の中には、ダメと言われれば言われるほど、逆にそのダメな行為に走りたくなっちゃう習性を持つ人間もいたりするわけで」
そう言いながらミィルはベッドから立ち上がると、指をワキワキさせながら俺へと迫ってくる。
「大丈夫、安心なさい。あたしだって初めてだけど、男のほうは天井のシミを数えているうちに終わるもんだってうちの母さんが言ってたから」
「お前の家の養育環境どうなってんだよ!?」
「適齢期になると母親から『そういうこと』を教わるのは普通のことでしょ?」
仰る通りで。
しかし……こうも積極的に迫られると面倒くさいなー。いや、男として悪い気はしないんだけど、やっぱり女の子って慎みや恥じらいがあるからこそ淫らな一面が映える部分もあると思うわけで、だからこそミィルのこうした言動を前にするとまるでそそらないというか。
とはいえ、ミィルの様子を見ていると本格的に夜這いをかけられそうだ。明日のために、今夜はゆっくり休みたいのが正直なところ。
仕方ないよね?
「『朝までぐっすり眠れ』」
「あにゃ!? ふぇ、じぇ、りゃるど、ひきょ――」
『睡眠』の魔術をミィルにかけると、抗いがたい睡魔に襲われたのだろう。彼女の体からぐったりと力が抜け、前のめりに倒れかける。
それを俺は腰に腕を回して支えると、
「よっ、と」
横抱きに抱えて、すやすやと深い眠りにすでに落ちているミィルの体をベッドへ横たえた。
前髪を撫でて整えてやり、上から布団をかけてやる。俺は男だし床で十分だろう。
それにしても。こうして眠っているミィルの寝顔は本当に可愛くて歳相応だ。普段のセクハラ発言だって、この顔を見るとまるで想像できない。
微笑ましい気持ちになって、ベッドを離れようとすると、
「んぅぅ、じぇらるどぉ……」
ミィルが寝言を口にして、俺の袖口を指先できゅっと摘んでくる。「にへへ……」と嬉しげな笑みが口元に浮かんだのを見ると、楽しい夢でも見ているのかもしれない。
「おやすみ、ミィル。『消灯』」
明かりを消して床に横になる。
部屋が暗くなる直前に見たミィルの寝顔は、まるで母の腕に抱かれる赤子のように安心しきっているように見えた。




