賭け試合
冒険者街ゼト。その中心部に、冒険者ギルドのゼト本部がある。
外観は石造りで、村で見慣れた木組みの家とは比べ物にならないほどに立派な見た目である。三角屋根に煙突まで生えていて、その佇まいは田舎者を威圧するには十二分すぎる迫力があった。
基本的に冒険者街を取り仕切っているのは、その成り立ちの経緯から冒険者ギルドであるとされる。ギルド長が市長も兼ねているというだけあって、ギルド本部の大きさは周囲の建物と比べると図抜けて大きい。三階建てぐらいはありそうだ。
そんな立派な建物の一階部分、木製の扉を抜けた先で受付となっているカウンターで、俺は素っ頓狂な声を上げていた。
「冒険者登録料!?」
「はい。各種手続きの際に発生する手数料や、封印跡地探索に必要となる初期装備品の支度金、冒険者証明書の発行料、登録された冒険者の管理費等々……合計で一レゾとなりますね」
申し訳無さそうな顔で受付のお姉さんが説明してくれる。
「一レゾって……ジェラルド、あたし達もうお金ないよぅ」
ミィルもまた、俺の隣でそんな声を上げていた。
レゾとはダナディーン大陸に共通する銀貨の単位である。地方の、特に名前のない村で生まれ育った俺達にとっては、貨幣というものは縁遠い。そもそも村内では物々交換がほとんどだった。
それでも父が商売をやっていた都合上、他の村人よりもある程度お金に縁のある生活を俺はしていたのだが、旅の支度金として受け取ったお金はゼトに来るまでの旅費で消えてしまっていた。
ちなみに一レゾとは貨幣の単位で、銀貨一枚分。
他には銅貨一枚を一レイス、金貨一枚を一ガレスと呼称し、銅貨八十レイスで銀貨一レゾ分、銀貨三十レゾで金貨一ガレス分となる
現在の所持金が三レイス、つまり銅貨三枚しか持っていない俺達からしてみれば、一レゾというのは手の届きそうにない大金だった。
「……ツケとかってできませんか? ほら、あの、出世ばら――」
「当方ではそのような制度がありませんので」
「少しは融通してくれるとか」
「ルールは守られることに意味があります」
「もう村に帰るお金もないんですよ! ダンジョンにもぐらないで、どうやってお金を稼げっていうんですか!」
俺がそう訴えても、お姉さんは「私にそんなこと言われても」と言わんばかりの困った顔をする。お金を貸してくれるとか、そういう発想はどうやらないらしい。
……なんてことを思ったところで仕方ないのだが。
「……出直してきます」
そう言って、とりあえず俺達は建物の外に出ることにした。せめて日が暮れるまでには、今晩の宿代ぐらいは稼がないといけないのだ。
ギルドの扉から外に出ると、通称ギルド広場と呼ばれている冒険者街の中央広場に出る。そこからは東西南北に石畳が敷かれており、それぞれ別の区域へと繋がっていた。
そのうちの一つ、冒険者通りと呼ばれる道へと足を進める。この通りには冒険者の利用する施設や商店が立ち並んでおり、また真っ直ぐ北へ通り抜ければゼトの街近郊にある封印跡地・ゼフィロスの森へと続いているらしい。
まだ太陽も中天に位置しているためか、冒険者通りは活気に溢れていた。鎧を着込み武器を背負った戦士や、軽装に弓を担いでいる狩人らしき人々が、喧騒の中を行き交っている。
武具や防具を取り扱っている鍛冶屋、生薬や毒消し等を調合し販売する薬屋、その他冒険に役立つ雑貨類を店頭に並べている道具屋と思しき店が通りのそこかしこに見える。
少し角を曲がれば、武術や剣術道場と思しき看板を掲げた建物も現れ、威勢のいい掛け声が中からは聞こえてきていた。
そうした光景を眺めながら、俺がぼんやりと歩いていると。
「ねえねえ、ジェラルド! あれ、なんだろ?」
「え?」
ミィルが俺の服の裾をつまんで引っ張りながら声をかけてきた。
彼女が指し示す方に目を向けてみると、そこには人だかりができている。どうやら何かを囲んで輪になっているらしい。
中で何が行われているかは、人垣が壁になって見ることはできない。だが輪の中からは何かがぶつかり合うような硬質な音が聞こえてきていた。
「何かやってるのかな? ちょっと見てみたくない?」
ミィルの言葉に、俺は思わず眉を寄せる。興味がないといえば嘘になるけれど、今は何かを見物しているような余裕はない。それよりも金だ。金がいるのだ。
「あのなあ。遊んだり観光してたりする余裕とか俺達にはねえだろ、どう考えても。夜までに宿代だけでも稼がないと、泊まるところだって確保できないんだぞ」
「それは多分大丈夫だよ~。あたしはジェラルドさえいればどこで寝たって一緒だし」
「多分ってなんだよ多分って。あとそれは俺のほうが大丈夫じゃない」
「欲情しちゃって眠れなくなっちゃう?」
「寝込みを襲ってくる狩人に対する警戒でなら眠れなくなるな」
「性別的に言えば、ジェラルドが狼であたしが羊のほうだと思うんだけどな~」
「とんだ肉食羊もいたものだな」
「毎晩健気に股を開いて狼さんを待ち受けているのに、なぜだか食べに来てくれないのよねえ……」
臆面もなくそういうことを口にする羊さんに、多分狼さんはドン引きしているんじゃないだろうか。
なんつーか、もう少し慎みを持ってくれたら狼さんも牙を剥かないでもないと思うんだけどなあ……。
「ねえねえ、ジェラルドぉ~! やっぱりちょっと見てってみようよ! 面白そうじゃん!」
俺がそんな、ちょっと失礼なことを考えていると、ミィルが甘えた声を作って俺の腕にしがみついてくる。肉感的に育ちつつある胸元が、おそらくは意図的に俺の二の腕に押し付けられ、思わずたじたじとしてしまう。
「あのな、お前。いい加減に……」
しろ、と俺が言いかけた言葉は、ちょうどその時に人垣から上がった「おおおおっ!」という歓声に掻き消された。
「ね、いいでしょジェラルド? それに、ほら、もしかしたらお金を稼ぐヒントになるかもしれないしさ!」
……確かに、ミィルの言う通り、何かのヒントぐらいにはなるかもしれない。ちょっと見るだけなら金もかからないだろうし、何より人垣の向こうで何が行われているか俺の好奇心まで刺激されていた。
「じゃあ、ちょっとだけな」
「うんっ」
頷き合い、二人して人垣に近づき背伸びする。すると、人の間から見えたのは、木の棒を手にした二人の人間が、輪の中心で向い合って対峙している様子だった。
どちらも男で、片方は軽装で背が低い。もう一方は大柄で、鎧兜を着込んでいた。
観衆が声を揃えて『始め!』と叫ぶ。鎧のほうがすぐさま打ち込むが、重装備な分動きが鈍い。それを背が低いほうは軽々と避けていく。あるいは時折弾くか、受け流す。ところが、打ち返そうとする様子は一度もなかった。
観衆達はというと、声を揃えて数を数え上げていた。『百! 九十九! 九八!』。だんだん数字が小さくなっていく。
鎧のほうはすぐに息が上がってきているようだったが、背の低いほうはまるで息を乱さない。おそらくは装備の差なのだろう。鎧兜のほうが圧倒的に重く、体に倍以上の負荷がかかるはずだ。
やがて観衆が『ゼロ!』と叫ぶと同時に、鎧のほうが手に持っていた木の棒を地面に叩きつける。人垣は再びどよめき、歓声を上げた。
隣でミィルが、
「あの人凄い! でかい人の攻撃、ひとつも当たってない!」
と興奮した声を上げていた。
「クソッ!」
鎧が叫んだ。
「また負けかよ!」
「まあ、簡単に食らっちゃあこっちも商売上がったりですからねえ」
背の低いほうはからからと笑いながら、鎧のほうに手のひらを差し出した。悔しそうな顔つきで、鎧は男に銅貨を手渡している。
「まいどあり」
と背の低いほうが口元に笑みを浮かべる傍ら、鎧は背中を丸めてとぼとぼと輪の中から立ち去って行った。
鎧と打ち合っていた男は人垣のほうへと向き直ると、口上を上げる。
「このガードナーこそゼトでもっとも護りを得意とする冒険者! これから行う戦いのルールは簡単。互いに棒を持って向かい合い、百を数える間に挑戦者がオレに一撃を入れれば挑戦者の勝ちでさあ! 掛け金は一レイスから始まっていくらでも。さあ、冒険者通りを行き交う者ども! ここには腰抜け、腑抜けしかいないのか? オレに初めて一撃を入れるのは誰だ!? 我こそはと思う者は片っ端からかかってきやがれ!」
隣でミィルがとっさに手を上げていた。
「いいじゃない、やってやるわよ!」
「おい、ミィル!?」
思わず俺は手を下げさせたが、ガードナーと名乗りを上げた男の目はしっかりとこちらを捉えていた。
「お、いいねえ嬢ちゃん。でもいいのかい? 言っちゃ悪いが、オレはこの商売を始めてから一度も負けたことがねえ」
「大丈夫だもんっ。ジェラルドは負けたりなんかしないからねっ」
「しかも俺かよ!?」
ミィルがバシンと背中を叩いてくる。凄い無茶を押し付けてきやがった……。
しかし、名前を出されたからにはここで逃げるのも情けない。しぶしぶ俺が足を踏み出すと、人垣が割れて道を作る。
そこを通る道すがら、見知らぬ他人からバシバシ背中を叩かれ、また声をかけられた。
「頑張れよ坊主! 期待はしてねえけどな!」「あのガードナーに一発決めてやれよ、小僧!」「そりゃあ無謀ってもんだろうよ。そもそも、ガードナーがこれで負けてるとこを見たことある奴ぁいるのか?」「ねえな」「ねーわ」「俺もない」「ゼトで奴に一撃食らわせられる奴なんざ、それこそ片手の指ほどもいねえって噂だからなあ」
やかましいなこいつら。近くで大声出すんじゃねえよ……うっとうしい。
輪の中心に進み出ると、ガードナーが棒を手渡してくる。俺はそれをしぶしぶ受け取った。
近くで見ても、ガードナーはやはりどちらかというと小柄なほうらしい。身長だって十三歳の俺と比べても少し高いぐらいだし、肉付きも筋肉隆々という言葉からは程遠い。
だが、バランスよく全身を鍛え上げていることは一目で分かる。立ち居振る舞いに隙はなく、人懐っこく見える瞳はそれ以上に注意深い。
ゼトでもっとも護りを得意としているという看板も、先の戦いを見る限り決して伊達ではなさそうだ。
「ほらよ、彼氏。ルールはいいか? 百を数える間にあんたがオレに一撃でも入れることができたら彼氏の勝ち。できなかったら彼氏の負け。制限時間は客が百を数える間だ」
「分かってる。……あと彼氏じゃない」
「へへっ。まあそう照れるなって彼氏。掛け金は?」
ガードナーの言葉に、
「三レイス!」
いつの間にか最前列までやってきていたミィルが叫び返す。それ俺達の全財産じゃん……。
……これで余計に負けるわけにはいかなくなってしまった。
「頑張って、ジェラルド!」
胸元でグーを作ってミィルが俺に声援を飛ばす。お前、この戦いが終わったら覚えてろよ?
ため息をひとつつく。そう簡単に負けるつもりはないけれど、一応保険をかけておいたほうが良さそうだ。
賭けの条件が成立し、ガードナーと向き合う。するとすぐに観衆達による『始め!』という声が響き渡った。
その声に紛れ込ませるように呪文を唱える。
「『反射神経強化』」
反射能力を強化し、凄まじい瞬発力を発揮することが可能になる、身体強化系の魔術を自分にかける。小さな声で呟いたため、ガードナーは俺が魔術を使ったことに気づいてないはずだ。
たとえ聞こえていたとしても、魔法言語を理解していない人間ではその呪文の意味を知ることはないのだが。
『百! 九十九! 九十八!』
観衆達の声が鼓膜を殴りつけてくる。それを置き去りにして、俺は前に出る。まずは小手試しとばかりの右の横薙ぎ。これをガードナーは受け止めるが、それは当然のことだろう。
続いて連撃。顔だろうが腹だろうが足だろうがところ構わず棒で殴りつける。だがそれもガードナーは驚異的な反射能力で受け止め、あるいは受け流していく。俺より動き自体は遅いが、動作のすべてに無駄がない。芸術的なほどに『護る』ことに特化されている。
戦いの最中、目に意識を集中してガードナーを『視』てみると、魔力はムラなくその全身を覆っている。こちらが攻撃を繰り出してもこゆるぎもしない。一つの攻撃に意識を奪われることなく、こちらの次の動作にまで注意を払っているのがガードナーを覆う魔力を見て分かった。
事実、先ほどからこちらの初動で攻撃の軌道を読みきっているかのようにことごとく対応される。不意打ち狙いに足を狙った一撃も、つい先程軽く体を捻るだけで避けられた。
だがそれも関係ない。手数をいくら繰り出しても対応されるなら、見えていても反応できないぐらい速い連撃を与えればいい。
一旦ガードナーから距離を取る。
「どうした彼氏。もう手詰まりか?」
ニィ、とガードナーが口端を釣り上げる。まだまだ余裕の表情だった。
「……だから俺は、そんなんじゃないんだってば」
ミィルはそういうのじゃない。少なくとも今のところは俺の彼女じゃない。
観衆が吠える。『四十七! 四十六! 四十五!』うるさいお前ら黙ってろ。
『四十四!』
「『加速』」
声に呪文を紛れ込ませ、俺は再び地面を蹴った。
音が、景色が、風となり混濁した色となる。その世界の中で、俺はガードナーだけを見ていた。
連撃を加える。同時に相手の体を覆う魔力を『視』る。どっしりとした鉛色の魔力は揺らがない。今はまだ、ほころびが見えない。
右上腕、左前腕、顎、左の眉間を狙うと見せかけてサイドステップからの右胴。ガードナーはそれでも崩せない。コイツの、ゼトで一番の護り上手という看板は見せかけではない。
だがそれでも、ただの人間の対応速度には限界がある。俺は一つの疾風となり、休む間もなくさらに苛烈に攻め立てる。
それに伴い、ガードナーを覆う魔力に揺らぎが、綻びが見え始める。最初は小さな、本当に針の穴を通すような綻びだが、そこを狙い打てば一度開いた穴はすぐさま大きくなる。
それからはもう、簡単だった。
「む、くっ、はあっ!」
ガードナーの息が上がってくる。それを俺は『視』逃さない。
鉄壁攻略の手順はもう見えていた。あと三手。二手。一手――。
「あっ」
その声を誰が発したのかは分からなかった。ガードナーかもしれないし観衆の誰かかもしれない。少なくともミィルでないことだけは間違いない。
「やった、やったあ! やっぱり、ジェラルドの、勝ちだあ!」
ミィルはこっちだ。
そのミィルの歓声と同時、カランカランと地面に木の棒が転がる音がする。ガードナーの手にしていた棒を俺が弾き飛ばしたのだ。
そしてそのまま、俺の棒の先端はガードナーの喉に食い込む直前で動きを止めており。
「参り……ました」
石畳に尻もちをつき、呆然とガードナーがそう呟くと、わあっと上がった歓声に俺は包み込まれたのだった。
それにしても、だ。
魔術を使える、使えないってだけで、びっくりするぐらいの差がやはり出るものだ。
俺よりも年上で、なおかつはるかに経験を積んでいるであろうガードナーを相手にして俺が勝つことができたのも、魔術という強い味方があるからこそだろう。
魔術の腕を磨けば、俺は今よりももっとずっと強くなれる。そんな確信を俺は強めたのだった。