未来へ向けた戦いの狼煙
フィリミナの笛襲来から二週間が過ぎていた。
破壊された家などは俺が魔術で修復して回り、深刻な怪我を負った村人も結果的にはいなかったため復興するのはすぐだった。
あれだけの規模の襲撃でほとんど被害がなかったのは奇跡的だと思う。魔術師である俺の活躍も理由の一つだが、後で聞いた話によれば父さんによる指揮も大きかったという。
ただ襲ってきた魔物を倒すだけでは、逃げ遅れた人を助けることができない。そうした人達を助けるため、迅速に防衛班と避難誘導班とに班分けをして事態への対応を効率化した父さんの手腕は目を瞠るほどだったという。
そう、実際に危ういところを父さん達に助けられた人が嬉しそうに語っていた。
やっぱり俺の父さんは凄い。魔物と戦うには弱すぎる父さんだけど、きっと世界で一番かっこいい人だと思う。
一方で俺はというと、特に変わりのない日々を過ごしていた。シエラを可愛がり、父さんと母さんに可愛がられ、魔術の修行をしたりミィル達と遊んだり……要するに、本当に今まで通りだったんだ。
村の人達による俺の扱いもそう変わらない。魔術師だとしても、今までと同じように接してくれる。
怖がりもしなければ、特別扱いだってしない。ラッセルとセシルの間に生まれたただの子どもとして可愛がってくれている。
恐怖されること、迫害されることも恐れていたが、魔術師だからといって過剰に持ち上げられることも俺は望んでいなかった。だからこれまでは自分が魔術師だということも村の人達には隠し続けてきた。
この国では、魔術師は特別な存在だとされる。強い力を持ち、富や権力を集中にし、その叡智にて国を守り、強大な魔物を相手取る。
数は少ないが冒険者の中にも魔術師は存在し、やはり特別視され、尊敬され、誰もが共に行動したがる。そうやって、自分の安全を保証したがる。
だがそれは、逆に言えば集団の中での孤独であることに他ならない。同格の者が存在しない、誰といても親しみを感じられない、利用するか恐れられるか見上げられるかしかない世界。
そんな生き方は、どこか寒々しいものに俺は思えて仕方ないとずっと思っていた。
でも、俺が魔術師だと明かされた今になっても、俺の世界は守られていた。これまでとそう変わることなく日々を過ごせているのは、ひとえに父さんと母さんの人徳だと思う。
「まあ、ラッセルとセシルの子だからねえ。別に今さら、あんたがどんな力を持っていようと関係ないのさ」
ある日ミィルの家に行くと、ミィルの母さんがパイを焼きながら思い出したように言っていたのを聞いて俺は嬉しくなった。
「あの二人の子が悪いことなんてするわけないじゃないの。この村には、あんたを怖がったり煙たがったりする人間なんて一人もいやしないさ」
……やっぱり、父さんと母さんは最強だと思う。どんなに俺が魔術師として強くなっても、あの二人には敵わないんだろう。
だってこんなに、俺のことを守ってくれているんだから。
それならせめて、俺は俺にできるやり方であの二人を守らなきゃいけないと強く思うのだ。
――
ある夜。
「父さん。母さん。俺……村を出ようと思ってる」
母さんがシエラを寝かしつけた後。俺は両親にそんな話をしていた。
フィリミナの笛襲来の後から、ずっと考えていたことだった。
フィリミナの笛は、いつか必ず復活することだろう。それもそう遠くない将来だ。そして復活したやつは、まず俺から喰らおうと考え真っ直ぐに襲ってくるはずだ。
その時に、対抗するだけの力を俺が蓄えていなければどうなる? 今回は勝つことができたけど、次の戦いで俺が負けたら何が起こる?
それは正直分からない。誰かがフィリミナの笛を封印するかもしれなければ、どこかの都市があの化物によって壊滅させられるかもしれない。
だがフィリミナの笛が、俺を喰らった後に満足して再び眠ることだけはありえない。あいつは間違いなく人間の世界を蹂躙し、自由奔放に破壊の限りを尽くすことだろう。
その時犠牲になるのが、俺の家族じゃないと誰が断言できる? 父さんや母さんがあいつに殺される可能性は、ゼロではないのだ。
そうした事態を確実に防ぐ方法は……フィリミナの笛を俺が撃破する以外にないだろう。
だがそのためには、俺が十分に強くならなければならない。そしてそれだけの力をこの村で手に入れることができないであろうことは、想像に難くなかった。
なぜならあの時戦ったフィリミナの笛は完全体などではなかった。復活した本体が全力で戦った時、どれほどの強さになるかなんてこと分からない。
少なくとも、今の俺よりは強いと思う。伝説の中にしかこれまで存在しなかった封印指定個体の実力が、あの程度だなんてことありえないのだ。
「村を出て、どうするつもりだ」
リビングの天井近くで揺れる、俺の作り出した光の下、さっきまで瞑目していた父さんが口を開く。賛成どころか反対さえする素振りも見せず、ただ確認だけを目的にしているような口調で質問を投げかけてくる。
だが、その声には切れそうなぐらいに研ぎ澄まされた真剣味が含まれていた。そう強くないはずの父さんに思わず気圧されそうになった俺は、深呼吸することで気を落ち着かせる。
そして肚が決まったところで、問いに対する答えを口にした。
「村を出て、強くなる」
「強く、か」
「うん。まずは冒険者になる。冒険者になって、稼いで、それから学院へ行って魔術の勉強をする。やがては最強の魔術師……宮廷筆頭魔術師となるために」
宮廷筆頭魔術師。最強にして、国中の魔術師を束ねる、魔術師の中の最高位。
それを目指す目的は二つ。一つはその地位を奪い取れるぐらいに強くなること。もう一つは、自分の使える手駒を増やしフィリミナの笛襲来の際の兵隊として従えること。
また、あえて学院に入学する前に冒険者になるのは戦いそのものに慣れるためだ。学院へ入学するための資金を稼ぐにもちょうどいい。
学院では魔術全般の知識や封印指定個体についての情報を手に入れる。フィリミナの笛を打倒するため、その知識は絶対に必要なものだ。
知識と経験――今の俺に足りないものを、冒険者となり、学院で勉学に励むことで手にするつもりだ。
「父さん。母さん。魔物を指揮して村を襲った魔族は近い将来にまた復活すると思うんだ。その時奴は、俺を襲いに来ると言っていた。だから俺は、あいつを打ち倒せるぐらいの力をそれまでに手に入れないといけない」
「……」
「この村は好きだよ。父さんのことも、母さんのことも、シエラだって大切な家族だって思ってる。だけど……ここに居続けていたら俺はいつまでも強くなれない。みんなみんな大好きだけど、でもだからこそここを俺は立たなくちゃならない。一番大切なものを、大切なままにしておくため」
今の俺は五歳の子どもで。
父さんと母さんからしてみたら被保護者で、だから今俺が口にしている言葉も幼すぎて拙すぎて軽く思われるかもしれないけれど。
それでも、俺としては必死に紡いだ決意を、その言葉に乗せていたわけで。
だから父さんが難しい顔をして黙り込んでいても、これだけは絶対に譲れない。
家族の料理の温かさを教えてくれた母さんには、十年後や二十年後にもおいしいご飯を作って欲しいから。
背中はそれほど広くないくせに、もしかするとこの大陸よりも広くて大きな心を持つ父さんは、情けなくてもかっこよくなれることを教えてくれたから。
それにシエラ。あんなにかわいいいきものに、悲しい顔なんてさせることはできないから。
他にもミィル、レイドさん……俺を受け入れてくれた村のみんな。全部を守れる力が俺はほしい。
「しかしな、ジェラルド」
難しい顔をして腕を組む父さんが、重々しい様子で口を開いた。
「そんな大事なことを決めるには、お前はまだ若すぎる。幼いといってもいい。それなのに、いきなりそんなことを言われても私には賛成することが……」
「あら、いいじゃないラッセル」
横から挟まれた母さんの言葉に、父さんどころか俺まで驚きで目を見開いた。
いや、そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、まさかこんなにあっさりうなずくなんて思ってもいなかった。
「セシル!? いや、だがしかしだね君。この子はまだ五歳の子どもなんだぞ!? 村を出ようなんて早すぎる!」
「でもねえ、ラッセル」
母さんは呆れたような、困ったような、だけどその中に複雑な感じで絡む嬉しさとか喜びとか愛しそうな色を表情に織り交ぜていた。
少しだけ泣き笑いにも見えるけど、それよりももっとずっと吹っ切れた感じの笑顔を浮かべ、
「今のジェラルドちゃんったら……ラッセルが無茶する時にそっくりな目をしてるのよ。あなたが誰かを守ろうとする時、そしてこうと決めたら絶対に譲らない時にする目を……」
なんてことを口にした。
「セシル……」
「だから大丈夫。ジェラルドちゃんは、きっとうんといい男になるわ。だってわたしが惚れた男にそっくりな目をすることができるんだもの」
そして母さんは照れくさそうな表情を浮かべて、父さんの手に指を絡ませる。
「確かに村を出るには、今はまだ少し早いかもしれないわ。けど、今はこの子の成長を喜んであげなくっちゃ」
「セシル……そうだな。君の言うとおりかもしれない」
父さんは神妙な顔をして頷くと、絡められた母さんの手に、自分のもう片方の手を重ねた。
そうやって互いに見つめ合う二人は、まったくもってどこからどう見ても仲睦まじい男女の空気を醸し出しまくってくれていて……真剣な話をしているのに若干居心地が悪いというか、肚の据わりが悪いというか、俺がなんかいたたまれなくなってくるというか……。
さっきから母さんもクサい言葉の連発で、ほんとこういうところが似た者夫婦だなあとか思ったりするわけで。
ほんと、お似合いだよね。
微妙に頬を熱くさせつつ俺が二人の様子を見守っていると、父さんが居住まいを正してこちらへ向き直る。
「ジェラルド。村を出るのは認めよう。でも、三つ条件がある」
「はい」
「一つ、十三歳になるまではこの村にいること。一つ、必ず生きて私達のところへ戻ること。そして最後の一つ……お前が私達二人の子だということを決して忘れないこと」
三本指を突き出して、一本ずつ折り曲げながら、父さんが『条件』を口にする。
一つ目の条件は、冒険者登録が可能となるのは十三歳からであるため。
二つ目の条件は、純粋に俺の身を案じてのものだろう。
そして三つ目……それは。
「いいか、ジェラルド。この三つの条件を守れるというのなら、私は村を出ることを認めよう。その代わりお前は何があっても、一つとして条件を破ることは許されない。必ずいつか、私とセシルの息子としてこの村に戻ってこなければならない」
「……父さん、それは」
「いいか、絶対だぞ、ジェラルド。男同士の約束だけは、何があっても破ってはならないんだ」
それは、俺が村に戻ってきた時、たとえどんなことがあろうとも親として迎え入れてくれるという宣言だった。
父さんと母さんの息子として、いついかなる時でも俺の戻ってくる場所で在り続けてくれるという意味の言葉だった。
「うん……守る、守れるよ、父さん」
涙声になりそうなのをこらえて俺は頷く。
父さんの提示してくれた、あまりに優しすぎて、温かい条件を……絶対に守りぬいてみせると誓いながら。
「よし、分かった。それなら私は、お前の旅立ちを祝福しよう。そして何があっても強くなれ。何者にも負けない男となってからここへ帰って来い」
「うん!」
父さんが手を伸ばしてくる。俺もまた、父さんへと手を伸ばす。
五歳の、小さな手。父さんの、男の割には無骨という言葉からかけ離れたしなやかな手。
だけどその大きさの差は歴然で、父の手が息子の手を包み込むようにして握手は交わされ。
「ふふっ。でも無茶はしちゃダメよ、ジェラルドちゃん」
「こ、子ども扱いはやめてってばぁ!」
母は横からからかうような言葉をかけながらも、父と息子の約束を見届けてくれていた。
――
それから八年が経った。
俺は十三歳になっていた。
魔術師としての修行をあれから続けながらも、ちょうど限界を覚えていた時期でもある。
旅立ちの時は、すぐそこにまで迫っていた――。
………
……
…
今日、俺は村を出る。村と街とをつなぐ馬車に乗り、その街から今度は冒険者街へと旅立っていく。
「じゃあ、行ってくるよ。父さん、母さん……それに、シエラ」
玄関先で振り返り、そして家族にみんなに、今ひとときの別れを告げる。視界に入る三人の家族は、俺に優しい目を向けて見送ってくれている。
……シエラだけは、母さんの胸に顔を埋めてまだ泣いているけれど。
「ああ。行って来い、ジェラルド。でっかい男になって帰ってくるんだ」
「頑張ってね、ジェラルドちゃん。ミィルちゃんにもよろしくね」
「……うん。ありがとう」
嬉しいことに、同じく十三歳になったミィルも俺の旅に同行してくれることになった。
『襲撃』以来、魔術や戦いの修行にたびたび付き合ってくれていた彼女は、『せっかく惚れた男を追い回さないでいたら女が廃るだろ』などという理由で一緒に来ると言い出したのだ。
最初は俺も、危険だと言って断ろうとしたのだが、『うちの娘と末永くお付き合いしてちょうだいね』というミィルの母によるかなり誤解を招く言い回しによってかなり強引に首を縦に振らされた。
あの母にして、あの娘あり……ってところかな、うん。
それからしばらく、父さん達と見つめ合う。……シエラはやっぱり、母さんの胸に顔を埋めたままだったけど。
そして。
「それじゃ、行ってくる」
とうとう俺は、背中を向ける。
そうして一歩足を踏み出して、さっそうと家を、
「……っ、どうしてぇ」
家を。
「どうして、兄さんが行っちゃうのぉ……」
家を、出ることができなかった。
今年十歳になったばかりの、俺にすっかり懐いてくれている妹様が、背中に張り付き引き止めてきたせいで。
「やだ、やだ、やだよぉ……兄さん、行っちゃいやぁ……」
「シエラ……」
「行ってらっしゃいなんて、頑張ってなんて、そんなのシエラ言えないもん……だから兄さん、行っちゃやだぁ」
そんな、我が家の愛しきわがまま姫は、涙をこぼしながら俺の背中に額を押し付けてきた。見えなくたって分かってしまう、もう十年も連れ添った妹が悲しい時にやる仕草。
そしてそれを理解している俺も、彼女が本気で寂しがってくれてるって、悲しんでくれてるって分かっているからこそ、喉が詰まって、言葉が出てこなくて。
それでも、俺は旅立たねばならないから。『父さんの宝石箱』を守るため。大事なもの全部を守る力を手に入れるため。
「なあ、シエラ」
「ふぇ……」
「俺はさ。父さんと母さんの息子なんだ」
「ぅん……」
「そして、シエラも父さんと母さんの娘なんだ」
「……」
あの日、父さんが俺にくれた条件。
俺が、ラッセルとセシルの子であることを、どこにいても決して忘れてはいけない。村を出るために下された、男と男の約束の、ひとつ。
「父さんの母さんの息子と、父さんと母さんの娘は、兄で、そして妹なんだ」
「そうだけどぉ……」
「だから俺達は同じ父さんと母さんを持つっていう、絶対に切れることのない関係で結ばれてる。この先、どんなことがあってもこの関係が崩れることはないって言い切れるぐらい、強くて硬い絆だから」
「………………うん」
あえて、振り返らない。あえて、シエラの顔を見ない。あえて……後ろを気にしない。
腰の辺りにしがみつく感触も、涙を拭うようにして目頭をこすりつけてくるような仕草も、そしてシエラの震える声も、全部頭にも耳にも入っているけれど。だけど気づいてない振りをして言葉を続ける。
そうしないと、俺もこのかわいいいきものを手放せなくなりそうだから。
「シエラは行ってらっしゃいなんて言わなくていい。頑張れなんて言わなくていい。それは父さんと母さんのくれる言葉だから……だからシエラには、別の言葉を言ってほしい」
「別の、言葉……?」
「ああ。おかえりってさ。俺に、言ってくれないか?」
「でも……」
戸惑うようなシエラの声は、やっぱりまだ湿っていて。
だからその湿気を吹き飛ばせるような、だけどちょっと卑怯な言葉を俺は彼女に告げた。
「言ってくれないなら、兄ちゃんはもう帰ってこないぞ」
「え、ええ!? や、やだ、兄さん、帰ってこないのいやだぁ!」
「でも、帰ってきてもおかえりって言ってくれないんだろ?」
片方を選ぶしかない、二者択一。俺のことを慕ってくれる彼女なら、どっちを選ぶか明白な選択肢だけを俺は突き付ける。
「い、言う! おかえりって言う! だからちゃんと帰ってきて!」
そしてわがまま姫は、やっぱり俺の狙い通りの選択肢に一も二もなく飛びついてくる。そこにあるずるい思惑に、それこそ気づく間もないぐらいの条件反射で。
おかえりと言うなら帰ってくる。おかえりと言わないなら帰ってこない。決まりきった選択肢を、ほとんど無理やり押し付けているようなものだった。
だから俺は、俺の望む答えを選んでくれたシエラに、シエラの望まぬ答えを返す。
「……分かってる。ちゃんと帰ってくるよ、シエラ。だから、約束だぞ。おかえりって、俺に言うんだぞ。だから…………………………行ってきます」
家族の望まぬ未来を回避するために。
「あ……」
今度こそ俺は一歩踏み出した。シエラはまだ、俺の腰にしがみついていて。だけど俺との間に交わされた『約束』のために、強く拘束し続けることはできなくて。
ちょっと騙すようで引け目はあるけど、こうしなければうちのわがまま姫は俺がちょっと長い間いなくなることを認めてくれそうにもないから。
振り返ることなど、できない。今後ろを向いたら、きっとそのまま動けなくなってしまう。
だから今は、一時のあいだ家族と離れ離れになる寂しさを飲み込んで、前に進む。この日のためにあつらえた、長旅に耐えうる頑丈なブーツが、地面と擦れてざりざりと乾いた足音を立てる。
それは、旅立ちの足音だった……。
「ジェラルド!」
家を出た俺にミィルが追いついてくる。彼女の格好は俺によく似た旅装束だ。
いつも通り元気な声を上げ、俺の下へと駆け寄ってくる。
「ミィル……。家族との別れは、済ませたのか?」
隣に並んだ彼女にたずねると、ミィルは笑顔を浮かべて元気よくうなずいた。
「うんっ。行ってきますって、言ったよ」
「腹壊すなよって言われたか?」
「それ、一字一句間違えることなく父さんが言ってた」
失礼しちゃうよねー、とミィルが唇を尖らせる。
まあコイツ、変なもんとか平気で口にしそうだしな。親父さんの気持ちも分からないでもなかったりする。
「寝坊するな、もか」
「そっちは母さんに。ってかよく分かるね?」
「長い付き合いだからな、お前の家族とも」
具体的には、かれこれ十三年間お隣さんぐらいの、な。
それも、同い年の子どもまでいるんだ。これで付き合いが深くならないわけがない。
おまけに、ミィルにはこの八年間、俺の修行にたびたび付き合ってもらっていた。そのせいもあってか、うちとミィル家の家族仲は非常に良かった……ミィルとシエラはなぜだか犬猿の仲だけど。
「ジェラルドは……行って来いって?」
そんなことを考えていると、今度はミィルのほうが言葉をかけてくる。世間話のようなノリで、家族とどうやって別れを済ませたかを聞いてくる。
……いつも通りに見えるけど、やっぱりミィルだって十三年間この村で暮らしていたんだ。だから多分、こうやって少しだけ感傷的な話をして、心のぽっかり隙間があくような寂しさを埋めたがってるのかもしれない。
「まあ、な」
そしてその気持ちは、俺も正直分からなくもなかったりするわけで。
「じゃあセシルは頑張れって言ったのか」
「……よく分かるな」
「長い付き合いだからね、ジェラルドの家とも」
そう言って、ニッと笑って、ミィルが俺の肩をバシンと叩いてくる。その勢いに軽くよろめいた俺は、しかしすぐに体勢を立て直し「やったな」と言いながら今度はこちらからミィルの肩をどついてやる。
そうやって、叩いて、叩かれて、よろめいて、よろめかせてをしばらく繰り返しながら村の外れへと向かっているうちに、ミィルは、
「そして、わがまま姫に泣かされた、と」
と、俺にとって一番痛いところを突いてきた。
「……俺は泣いてないけどな」
そう言ってはぐらかそうとするけれど、長い付き合いの相手にはそうも行かず。
「必死で我慢したもんね。男の子だから?」
そしてやっぱり、結構コイツは俺のことを分かっているわけで、だからごまかすこともはぐらかすこともできなくて。
「……知らね」
結局は、そんな風にふてくされるのは俺のほうで。
「あはは。図星かな?」
「うるさいなあ……」
「大丈夫」
「え……?」
「言ってくれるって。『おかえり』ってさ」
「…………」
なんだかんだで、最後の最後でやっぱりコイツは俺のことをよく分かっているわけで。
だから、たったこれだけのことで俺も安心させられてしまうのだ。
本当に、ミィルってやつは、ここまで俺のことを理解してくれてるよなあ。
「ま、あんたとも長い付き合いだしね?」
「俺、まだ何も言ってねえよ」
「あははっ。ま、いいじゃん気にしない気にしない。……っと、着いたね」
「ああ。着いたな」
やってきた、村の外れ。そこには月に一度、朝と夜に村と街を往復する馬車が訪れる。
そして、今日この朝に、俺達はその馬車に乗って村を出て街へ出る。冒険者街へと旅立つために。
「ミィル。ほんとに良かったのか?」
停留所には、もう馬車が停まっていた。それを見上げながら、俺は隣に立つ彼女に問いかける。
「良かったって?」
「俺と、旅に出る覚悟、決まったのかよ。多分、危険がいっぱいで、大変なことだってたくさんあって……後悔したりすることも、絶対にたくさんあるはずで」
馬車に乗ることさえ初めてで。だから当然不安なんかいくらでも湧いて出て。慣れないことばかりこの先山積みで。
「そういう、たくさん待ち受けてる大変なことにぶつかってく、覚悟、できたかよ、ミィル」
問いかけながらも、それが全部俺の抱えてる不安だって、分かった。それを自分で背負い込むのが怖くなって、彼女の答えを求めていることだって、分かってた。
でも、ミィルは。俺の幼なじみは、笑ってうなずく。
「そだね。いっぱい大変なことあるよね」
「ああ」
「でもさでもさ。あたし達、これから二人っきりなんだよ?」
そしてその口から放たれたのは、少々意表を突く言葉。
「いっぱいいっぱい、二人でいろんなことできるんだよ。惚れた男と四六時中二人きりなんだよ?」
「お前、旅の目的勘違いしてねえ?」
「ドキドキして、ワクワクして、きっといっぱい大変なことがあるけど、慣れないことは万倍もあるけど、でもその何倍も面白くて楽しいことがあるんだよ」
「……まだそんな旅になるって決まったわけじゃねえだろ」
「そうだね。まだ、分かんない。どうなるかなんて、誰も知らない。楽しくやっていけるかどうかなんて、全部全部あたし達次第。……だからさ、思いっきり楽しくて面白い旅に、絶対絶対してやるんだ~! って覚悟なら、決まったよ」
「お前……」
多分、危険はいっぱいで。
慣れないことはクソほどあって、大変なことは山積みで。
でも今、そんなのは気にならないぐらいの勇気を、俺はミィルから受け取った。いや、押し付けられた、強引に。
前向きすぎる彼女の言葉は、俺の不安を背負い込むどころか全力で空の彼方まで投げ飛ばすぐらいの勢いだった。
「じゃあさ、行こ。ジェラルド」
ミィルが俺の手を強く引く。そのまま馬車へと駆け出していく。
俺ももう、迷いなんてものはなくなっていた。
「ああ。俺も、覚悟、できたから」
手を引かれながらも、俺は力強く頷いていた。
「覚悟、するよ。お前にめちゃくちゃ振り回されること、お前にめちゃくちゃ疲れさせられること」
「え、あたしそんな風に見られてんの!?」
「そして……お前に、めちゃくちゃ、笑わせられる覚悟」
「っ!」
「これからしばらく、よろしく頼むぜ。ミィル?」
「っ、うん! こちらこそ頼むね、ジェラルド!」
馬車に、乗る。
背負った荷物を、担ぎ直す。
顔を上げて前を見る。今よりずっと先を見つめる。
未来に向けた戦いの狼煙は、今この瞬間から上がっていた。
これにて幼年期編は終了となります。
今回の話もかなり長くなってしまいましたが、やはり分割するよりはまとめて投下したほうがすっきりまとまっていると判断しまとめて投下させていただきました。
次回より冒険者編(少年編)になる予定ですが、こちらはまだプロットが出来上がっていないので次の更新まで少々お時間いただくことになると思います。筆が遅くて申し訳ございません。




