悪寒。
メイソンさんが退出し、とりあえず座れという殿下の指示に従って彼の対面に腰を降ろそうとした時でした。
バタバタと、廊下から騒がしい足音が響いてきました。しかも複数。嫌な予感がビシバシします。思わずドアの方を睨みつける私に、彩香さんが不安そうに左腕に縋りついてきました。
「アーサー、もしかして…」
「大丈夫ですよ」
そうは言ったものの私も同種の不安を抱いています。もしもここであのクソ馬鹿が乱入してきたとしたら、多分とっても面倒な事態が起こるに決まっています。せめて生活の基盤を整えて落ち着くまでは、対面は避けたいところです。
ちらりと殿下に視線を投げると、彼の方はなにかを諦めたようにソファーに身を沈めてらっしゃいました。
そして。
「ちょっとウィル!例の子が来たってホント!?」
壊れたドアをぶっ飛ばしながら入ってきたのは見覚えのあるプリーステス。あの日勇者様御一行で紅一点だったおねーさまです。嫌な予感はど真ん中。膨らむ嫌悪感にさらに剣呑になった視線が、彼女とばちっとかち合いました。あ、やべ。
「っきゃあああああ!本当にいる!久しぶりー」
「っぶ」
こちらを見た彼女は目を輝かせて抱きついてきました。その勢いに押されて体が傾ぐも、さり気なく腰に回された手に支えられて事無きを得ます。ゼロ距離になって初めて分かりましたが彼女、私よりも背が高いです。目の前にふわふわした薄桃色の髪の毛が揺れています。
いきなりの展開に彩香さんはぽかんです。私もですけど。
「わぁ、本当に瞳も黒いのねー。すごく綺麗。大丈夫?ここまでの道のりでそこのクソ王子にいじめられたりしてない?もしそうなら言ってね?女神の名のもとに私が罰を下してあげるわ!」
だったら早速お願いしますという言葉は他でもない彼女自身のマシンガントークに遮られました。ひたすらに口を差し挟む隙がありません。おかしいですね、村で会った時はもっと落ち着いて慈愛に満ちた女神様的印象だった気がするんですけど。もしかしてこっちが素ですか?
「おいこらグレース。てめぇドア壊してんじゃねぇよ」
「あらやだホント。ごめんなさい、ウィル」
そんな彼女の独壇場に斬り込んできたのは殿下でした。しかし内容がとんでもありません。なにさらっと人のせいにしてるんですか。その扉壊したの貴方ですよねっ!?
「ごめんで済んだら騎士団も司法院もいらねぇんだよ。とっとと直せ」
「もう、しょうがないわねぇ。ちょっとアーヴィス、直しといて」
「…自分でやれ」
突っ込みどころ満載な殿下と彼女の会話に、聞き覚えのある声が加わりました。抱きつかれたままの姿勢でちょいっと彼女の後ろを見やると、そこには見た事のある顔が二つに初めて見る顔が一つ。そこに勇者様は含まれません。その事にとりあえずホッとしました。
「なによ、別にいいでしょ。減るもんじゃないし」
「そういう問題じゃない。自分の始末は自分でつけろ」
「えー、ひっどーい。女の頼みは断らないのが男の甲斐性でしょー?」
ぷぅ、っと頬を膨らませる彼女に心底嫌そうな視線をぶん投げていたエルフのにーちゃんが、不意にこちらに目を向けました。その澄んだ翠色の瞳が鋭く細められ、どう控えめに言い繕っても睨みつけられています。
え、なになになんですかちょう怖い。そういえば前回も私の事こんな目で見てましたよね。なにがそんなに気に入らないんでしょうか。あ、「彼女にべたべたしてんじゃねぇ」とかそんな感じなんですか?ラブなんですか?
「…いつまでそうやって時間を無駄にするつもりだ。これ以上下らん真似を続けるなら、我は帰るぞ」
「なによラド。別に付いてこいなんて言った覚えはないわよ」
「貴様が緊急事態だと喚きたてたんだろうが。これのどこが緊急だ。馬鹿が」
「相っ変わらず可愛げのないクソガキね。すっごく楽しみにしてたんだから少しくらい再会を喜び合ったっていいでしょ!?」
「喜んでるのは貴様だけだ。気付け」
初めて聞く高い声と尊大な口調に視線を降ろせば、そこにはオレンジ髪の少年が歳に似合わぬ憮然とした表情で立っていました。見るからに機嫌最悪です。この子はクソ勇者を担ぎあげてた子ですね。じっと見つめていたらちらりとこちらに視線を寄こして、さもつまらなそうに逸らされました。あ、そうですか興味のカケラもありませんかすみませんでした。
そのまま彼女と少年の睨み合いに発展するかと思いきや、落ち着いた声が一瞬にしてその火種を消し去りました。
「内輪の喧嘩はそこまでにして、自己紹介をすませませんか。私達は慣れているから構いませんが、お二人が困惑してらっしゃるでしょう?」
柔らかな口調でそう促したのは、初めて見る顔でした。長い黒髪―――こちらでは初めて見る黒髪仲間です―――を後ろに流したその人は、想像する魔法使いそのままの格好をしています。足首まで隠れる青灰色のローブに、右手には錫杖のような長い杖。その先端にある薄い水色の宝玉と同じ色の瞳がこちらを向いて、視線が交わった瞬間―――警鐘。
なんぞ嫌な予感がします。にこにこと人好きのする笑顔を浮かべてらっしゃいますが、どうもこの人に関わるとドエライ事に巻き込まれそうな気が…。
「ああそうね。私はグレース・フォレスターっていうの。職業は見ての通りよ。よろしくね?」
「渡り人、アーサーと申します。よろしくお願いしま、す?」
思いっきり思考を引きもどされ、友好的なそれにほとんど反射で自己紹介を返しかけましたが、最後に疑問符がくっつきました。………うん?
いまだ抱きしめられたままの体に、改めて意識を向けます。自分に密着している体には、女性特有の柔らかさがありません。むしろ硬い。そして、細い割に意外とがっしりしています。
…えーっと。
違和感を無視できずに思わずじっと目の前の首筋を見つめたら、彼女?が笑みを零しました。
「やぁだ、気付いちゃった?」
うん。分かりにくいですがそこには確かに喉仏さんがいらっしゃいました。これでこの女性的な声を出してるっていうのはある意味驚きです。もしかしてあのキザな泥棒さん並みに変幻自在に声が出せたりするんでしょうか。非常に興味をそそられます。
「うふ、本名はグレンっていうんだけど、グレースって呼んでね?」
「よろしくお願いします、プリーステス」
「もう、グレースって言ってるでしょ?」
「いえ、そういうわけには…」
「ちゃんと名前で呼んでくれないと、このままちゅーしちゃうわよ?」
へ?
気がつくと綺麗なお顔が目の前いっぱいに広がっていました。少したれ気味の目に、その下にある泣きぼくろまではっきり見えるってどんだけ。楽しそうに細められた紫の瞳は、よく見るとほんのり赤味を帯びていて―――。
「…ちょっと、人の婚約者になにしてくれてるんですか」
ぐいっと後ろに引き寄せられて、ついでに柔らかな感触に包まれた私はぱちくりと目を瞬かせました。普段あまり聞く事の無い不機嫌な声音に、ギュウッと腰のあたりを締め付けられる感触。視線を斜め下に落とせば、そこには頬を膨らませる彩香さん。
「ま、焼きもち?」
「当たり前です。アーサーは私のなんですから、気安く触らないで下さい」
「あらあらあら、美しいって罪ねー」
きゃあ、と頬を押さえて笑う彼女はどこからどう見ても女の人です。私もこのくらい男装を徹底しないといけませんね。見習いましょう。心の中でひっそり師匠認定をしていたら、続く三人からも紹介を受けました。
エルフのにーちゃんはアーヴィス・レイン。横からプリーステスがエルフなのに短髪な理由を暴露しようとして頭蓋骨固めをかまされていました。外見女性なのに容赦ありませんね。
オレンジ髪の少年はラド。本名は教えてもらえませんでした。というか、渾名以外は一切不明です。金色の瞳でこちらをねめつけながら「人間ごときに教える事など何もない」と吐き捨てたので人外なのは確定ですが。
そして、魔道士様。彼の方は穏やかな微笑をその口元に浮かべ、なんとも如才のない挨拶をして下さいました。
「初めまして、私はユーリと申します。この城で魔法関連の責任者を務めさせて頂いています。長旅にお疲れのところ押しかけてしまい申し訳ありません。突然の王宮勤めでお二人からすれば戸惑う事も多いかと思いますが、なにか困った事があればなんでも仰って下さい。魔法関連に限らず、私に出来る事があれば喜んで協力しますよ」
…うん。これは、駄目ですね。ものすごく背中がざわざわします。思わず見えないところで彩香さんの服を握りしめてしまいました。どうしようちょうこわい。
それでもきちんと挨拶をしてもらったからには、こちらも返さないわけにはいきません。頑張れ私。燃えろ俺のコス…げふん。
「改めまして、私はアーサーです。本日より王太子殿下付き書記官見習いに任命されました。そしてこちらは…」
「知ってるわよー。アーヤさんでしょ?」
「ああ、そういえばそうですね。彼女は私の婚約者で、同じく本日から第三王子殿下の教育係を務めさせて頂きます。以後お見知りおきを」
「よろしくお願いします」
プリーステスの合いの手に、確かに勇者の想い人の名前を知らないはずが無いと思い至りました。想い人。自分で言ってて胸くそ悪いです。って、そうだ。忘れてましたが勇者様です。この場にいないのは一体どういう事なんでしょう。彩香さんがいると知ったらなにを差し置いてでも飛んでくると思ってたんですけど。もちろん来たら来たで張っ倒したくなるくらい腹は立ちますが、彩香さん以上に大切な事があるって事ですか許し難い。
そう思って所在を尋ねたら、プリーステスが意外な説明をして下さいました。
なんと、勇者様は私達が王都に来ている事を知らないそうです。何故かというと…。
「だって、あの馬鹿に知らせたら面倒な事になるのが目に見えてるじゃない」
けろっと言い放つプリーステス、素敵です。残りのメンバーも目を逸らす・鼻で嗤う・にっこり微笑…あ、もう結構ですごめんなさい。
「どーせ『自分に会うために遥々王都に!』とかアホな勘違いするだろ。あいつは」
ばっさり切り捨てる殿下に全面同意です。あの馬鹿ならやりかねません。というか、国王陛下もグルなんですね。国ぐるみでハブにされるなんて、どんだけー。
と、そこで殿下が魔道士様に向かってうるさそうに手を振りました。
「おい、ユーリ。そいつら連れてけ。もう用は済んだだろ」
「おや、我らが殿下は冷たいですね。それともお気に入りを取られてご立腹ですか?」
「分かってんなら行け」
取りつく島もない殿下に魔道士様は苦笑を零しながら、文句を言うプリーステスを宥めて部屋の外に押し出しました。そして壊れたドアを一瞥すると、軽く杖を一振りしました。
ぱたん。
淡い光とともにドアが在るべき場所に収まり、何事も無かったかのように閉じられました。魔道士様の姿はすでにありません。鮮やかな手並みにお見事、と呟いたところで殿下からお声がかかりました。
「とんだ邪魔が入ったが、本題に入るぞ。座れ」
すでにHPはゼロに近いんですがまだまだこれからですか。…もう疲れたよパトラッシュ。




