謁見の裏側。
難産でした。
無事にアーサーとアーヤ嬢を殿下の元に置き去…ごほん。送り届け、王の執務室に向かう。ノックをしても返事の無いその部屋に遠慮なく入る。長い付き合いだ。文句が無い事は知っている。何故なら。
目の前に広がる予想通りの光景に軽くため息を吐いた。そこには立派な椅子に膝を抱えて座り込む中年男の姿があった。哀愁が漂う。はっきり言って鬱陶しい。
「――…陛下。いつまでうじうじやってらっしゃるつもりです。とっとと政務を片付けて下さい」
「私は、最低最悪の暴君だ」
挨拶のつもりで投げた言葉に、ぽつりと返された声。それには罪悪感が満ち満ちている。
「あの子は全て分かっていた。その上でなにも言わずに受け入れたんだ」
あの子、というのに該当者は一人しかいない。先ほどの光景を思い出し、カールはもう一つため息を落とした。
あの時―――陛下がアーヤ嬢に配属先を告げた時だ。傍目から見ていた己にさえ、アーサーが全てを見抜いたのが見て取れた。
けれどそれでも、あの子はなんの不満も、疑問すら洩らさなかった。静かな瞳はほんの僅かも揺らぐ事無く、凪いだ湖面のようなそれは、王が瞳の奥に隠したはずの苦悩までも映していた。
知りたくないと、思ったのも事実だろう。あの子の性格上事情を知れば手を貸さずにはいられまい。けれど、それ以上に聞いても答えが無い事を知っていたように思う。
あまりの察しの良さに薄ら寒さすら覚えたが、そういえばあの子は最初からそうだったと思い直した。出頭命令書を突き付けた時でさえ、冷静に、罪状はなにかと問うてきたのだから。
王命を振りかざしたのは、有無を言わさず頷かせるためだ。そしてその根底にあるのは他でもない国の安定。しかしそれだけでは決してない事を、カールは知っている。それがこの、目の前でぐしぐしと鼻をすする情けない男のやり方だった。
なにも知らないという事は、責任を問われないという事だ。
目的を達成する代わりに、命令者として己が全ての責任を被る。例え悪役になってでも対象者を守るために全力を尽くす。それが今までの王の方針だった。間違えた事など無かったし、全てが終わった後には憎まれた相手にこそ感謝され称賛された。
けれど今回はそれを―――打ちのめされた。
『王命である以上背く事は出来ませんが、私が納得して従う上で一つ条件があります』
分不相応に持ちかけられた取引。その意味する事に気付いたカールは今度こそ絶句した。
あの子は、王の裏の思惑にまで気付いた上で、それを突っぱねたのだ。責任を被せる事などしない。全ては自分が選ぶ事だと、そう言外に告げる声は、強く気高く―――そして、残酷だった。
「……思いあがるなと、言われたような気がしたよ」
カールの黙考の間もずっとブツブツと言っていた王が、観念したように天を仰いだ。
「全てを守ったつもりでいた。全てを守れるつもりでいた。民とは須らく私に守られる存在であると、そう思っていた。…私はいつから、こんなに傲慢になっていたのだろうな」
守られる方にも意地も誇りもあっただろうに。そう呟く王はどこか弱弱しい。普段のふてぶてしさは何処に行った。心の中で茶化してみるも、当たり前だが王の表情は変わらない。
それはきっと、あの子が引きずり出した王の内面だ。それも、今までずっと王が自分自身からすら隠してきた。
(…恐ろしいな)
初対面の日を思い出す。あの子は、普段誤解されてばかりの部下の本質をいとも容易く言い当てた。その時はまだ驚いただけで、それ以上の感情は無かった。けれど。それが誰かれ構わず発動されるとなると、少しばかり困った事になる気がする。なにせ、彼女はこれから城で働くのだ。面倒な事が起こらなければいいが。
そんな事を思っていたら、目の前のおっさんが膝に顔を埋めて震えだした。その理由に薄っすら察しがついたカールは隠す事なくため息を吐いた。
「…陛下。死ぬほど恥ずかしいのは分かりますが、人間恥ずかしさで死ぬ事はありませんから。念のため」
「うるさい!死ぬ!傲慢を引っぱたいたのと同じ手で助けられたんだぞ!?うっかり肩の荷が下りてほっとするとか最低じゃないか!王としても人としても私は、っ…」
そのままさらに深く顔をうずめて、吐き捨てる。
「どれほど、惨めで情けなかった事か…!」
「実際惨めで情けないので仕方ないんじゃないですか」
「貴様…相変わらず容赦が無いな!?」
客観的かつ冷静に見たままを告げたカールに半泣きの王が噛みつく。ああ全くこの幼馴染は本当に世話が焼ける。自己嫌悪で潰れそうになるくらいには、あれもこれも抱え込んでこうして膝を抱えている。
「あの子はそんな事気にしませんよ。ただ目の前の人間が困ってるから手を出した。その程度の認識でしょう」
謁見の間から出た後も、アーサーの態度は変わらなかった。そこには王を助けてやったという優越感も驕りもなく、こっちが「ちょっとマテ!」と言いたくなるほどのあっさり具合でそれを流して今後の身の振り方を心配していた。主にアーヤ嬢と共に在れるかどうかについて。ブレない。むしろブレてくれ。
「…そんなにあの子が差し出してくれた手が嬉しかったならちょっとあの子の望みを叶えてあげてくれませんか」
「なんだ?」
即行で顔を上げた王に事の顛末を話せば、王はびみょーな視線をカールに注いだ。やめろ。言ったのは私じゃない。
「城の外で、か。魔石の手配をすれば問題ないが…すぐに用意させよう」
「激甘ですね」
「黙れ。あの二人を引き離したら逆に危ないだろう」
「…まぁ、それは確かに」
旅の道中での諸々を思い出し、疲れた表情で頷いたカールを尻目に、王はようやくきちんと椅子に座り直して、彼女らの身分証についての書類を引き寄せた。そこに新たな文字を書き込んでいく。その頃にはもうすっかり王の顔をしていて、カールは無意識に息を吐いた。
「それで。あのバカ息子はどうしてる」
「今まで見た事もないくらい上機嫌です」
「そうか。危険だな」
「ですね。主にアーサーが」
「あいつに気に入られ過ぎるとロクな事が無い」
「実の親が言う台詞ですか」
カールの遠慮ない突っ込みにも、王はさして動じる事なくペンを走らせる。
「実の親だからこそだ。あいつほど厄介な奴は…一人、いるが」
「ああ、彼ですか」
「彼だ。…出来たぞ。これをその彼に届けてくれ」
最後に署名した王は、ぺらりとそれをカールに差し出した。
「御意。…アイザック」
久方ぶりに名前で呼んだ幼馴染はびっくりした目でこちらを見ている。カールはその頭を鷲掴んだ。「ぅお!?」という声が聞こえようと無視だ。そのまま下に押し下げる。
「お前だって人間だ。たまには助けられたっていい。最低な事なんてなにもない。恩を忘れなければな」
それだけ言って手を離す。けれどその顔が上がる事は無く、ただ小さな声で頷いた。
「それでは陛下、御前失礼致します」
礼をとり、踵を返す。行き先はついさっきこの国で一番厄介と認定された人物のところだ。気を引き締めてかからねば。そう思ったカールの背筋は自然と真っ直ぐ伸びていた。
フラグがちらほら。




