雇い主。
話がついたところで私達は謁見の間を後にしました。付き添ってくれるのは強面さんです。扉が閉まった瞬間、彼は大きくため息を吐きました。
「…全く、君達の言動には驚くばかりだ。この短時間で胃に穴が開くかと思ったぞ」
「強面さんだって人の事言えないと思うんですけど」
「………強面?」
「あ。」
反論する事に焦点を置いていた私はうっかりマイ・シークレットニックネームを暴露してしまいました。慌てて口を押さえても遅すぎます。強面さんはぱちくりと目を瞬かせて、そして苦虫を噛み潰しました。マジで怒られる二秒前です。と思いきや。
「…自己紹介がまだだったな。私はカール・メイソンだ。なにか困った事があったら言え。力になろう」
予想に反して強面さん…改めメイソンさんは手を差し出してきました。そういえばもう罪人予備軍ではなくなったわけですから普通に自己紹介をしても問題ないですね。
「渡り人・アーサーです。改めてよろしくお願いします」
「同じく、アーヤ・ホンゴウです。あの、さっそくで申し訳ないんですけど…」
「なにかね?」
「私達、ここで働くのはいいんですけど、あの、住む所とかは…?」
「もちろん王宮内に用意するつもりだが…」
「えぇ!?」
すぐに衣食住の内の住居の心配に思い至る彩香さんはとっても頼りになる聡明なお姉さんです。しかし告げられた内容には問題がありすぎました。私も若干眉間にしわが寄った気がします。あくまで脳内でですが。
「…外で暮らす事は出来ないんでしょうか」
「何故だ?」
不思議そうに首を傾げるメイソンさん。まぁ、普通王宮に住まわせてもらえるなんてとっても名誉な事ですからね。しかしそんな名誉なんて私達には必要ありません。何故なら。
「まず第一に、王宮内では勇者様に遭遇する可能性が高すぎます」
「…とことん嫌なんだな」
「当然です。次に食事。私達は自分で調理したものを食べたいです」
「………毒の心配かね?」
「なんでいきなり物騒なんですか。違います。食文化の違いが主な理由です」
「ああ、そういえば君の作る食事は少々変わった物が混じっていたな。美味かったが」
「ありがとうございます。最後に、これが一番重要なんですが」
一段声を低くした私に、メイソンさんも真剣な顔を返してきました。
「王宮に部屋を用意してもらった場合、いくら婚約者といえど男の私と女性のアーヤは別室ですよね?むしろ別棟ですよね?そんなの耐えられないので外で暮らしたいです」
「ああ、それは問題ね」
なんの疑問も挟む事無く頷いた彩香さんとは反対に、メイソンさんはふるふると震え出しました。どうしました?素直に首を傾げた私に、彼は真摯に叫びました。
「き・み・た・ち・は・!いい加減二人の世界にどっぷりなのをやめてくれ!」
「無理です」
心の底からのそれをばっさりと切り捨てた私に、彩香さんがちょいっと眉尻を下げて困った顔をしました。しかし私は知っています。これは彩香さんが爆笑を堪えている時の顔です。そうですかツボにはまりましたか。楽しそうでなによりです。メイソンさん、グッジョブ。
その後もいろいろなんやかやと言われましたが私が断固として譲らないので、ひとまず住居については保留というか「あとで陛下にごり押ししてみよう」というメイソンさんの疲れた声で締めくくりました。健闘を祈ります。
そして現在私達は長い廊下を歩いています。目的は私の雇い主―――もとい、王子殿下に会う事です。なんでも王子殿下は私に会う事を大変楽しみにしてらっしゃるという事で、陛下との謁見が終わり次第連れて来いと命令されているそうです。
その間もメイソンさんはお城の配置について説明してくれたり、私が配属される予定の中央書記室についての注意事項を並べ立てたりと大変忙しく口を動かしてらっしゃいます。本当にありがとうございます。でも多分きっと絶対覚えきれないのでまた後で一から教えて下さいね。
ちなみに彩香さんはすでに聞く事すら放棄して、歩きながら窓の外を眺めています。お城の中で迷わないように道を覚えようとしてるんですよね。多分ですけど!
そんな事をこっそり思いながら足を進めていると、一枚の扉の前でメイソンさんは足を止めました。そこにはでっかく王家の紋章が刻まれて―――って、逆さなんですけど。もしかしなくてもこれってまずいんじゃないですか。え、堂々と反逆宣言ですかなにやってんの?
戸惑ってメイソンさんを見上げると、ものすごく微妙な顔でこちらを見ています。不安しか煽られませんので止めて頂きたい。
「…メイソンさん、もしかしなくてもここですか?」
「ああ」
「私の雇い主って王子殿下なんですよね?」
言外になにかの間違いじゃないですかと込めてみたんですが、彼は非常に遠くを見つめながら言いました。
「我らが殿下は少々変わり者でな…」
「そりゃ、私みたいな馬の骨を雇おうなんて思われるくらいですから承知してますが」
「…君はもう少し歯に衣着せて喋ろうとは思わないのか」
「十分着せてます。結構な厚着です」
「アーサーにしてはそうよねぇ」
そんな感じで扉の前でうだうだしていたら、いきなりそれが大音量を奏でながら鼻先を掠めました。
え、ここの扉って内開きじゃなかったでしたっけ?
とかなんとか疑問を差し挟む間もなく、中にいた人物を視界に入れた私は信じてもいない国外の神様に向かって十字を切りたくなりました。
こんな事ってあるでしょうか。
「さっきぶりだな。アーサー?」
片足を上げ、部屋の中でにんまりと笑ったその人は。
―――チャラ男改め、ウィリアム・ヴァン・グラシス殿下。今日から私の雇い主です。




