困っている人。
とんでもない爆弾発言は直前の微妙な空気を余すところなくふっ飛ばしながら炸裂しました。
今、陛下はなんと言いましたか。
王宮で働いてもらう?渡り人である以外はなんの特徴も無いただの一般人の私が、見習いとはいえ、中央書記室で王子の書記官?
一体何の冗談でしょうか。
ちなみに中央書記室というのはこの絶対王政の国で王の真下にある組織です。つまりは臣民のトップ。宰相殿を頂点として、この国では院と呼ばれる各機関を統括する役割を持ちます。
その中でも王子の書記官というポジションはつまりは次期国王の側近候補の集まりで、ぶっちゃけエリート中のエリートしかなれないという噂だったはずですが。
そこに、この国の常識すら満足に知らない私を放りこむと?
…壮絶ないじめの予感がします。国のトップがまさかそんな低レベルな真似しないと思いたいですがそういう人種ほどつまらないプライドが高かったりするんです。ああ、きっと多分絶対机に花を供えられたり資料や私物を隠されたり靴に画鋲を仕込まれたり、ありとあらゆるくだらない嫌がらせが待ってるんですねくだらない。
とかなんとか現実逃避はこのくらいにして。今のはマジで言ってるんでしょうか。私が呼ばれた目的はまさかのヘッドハンティング?
筆記や面接の代わりが護送中のあれやこれで、今のが最終面談だったとか、そんな流れですか。
そして全ての試験に合格したから王宮で働けと?
…いかん、人として当然の事をしたはずなのにものすごく後悔してます。どれか一つ命に関わりなさそうなやつ落ちときゃよかった。主に勇者様の醜聞とかその辺りです。
「…あの、」
小さく声を発したのは彩香さんでした。彼女はここに来てからほとんど言葉を発していません。まぁ、発言を許されていないので当然ですが。その彼女が、意を決したように声を上げました。
「なにかね?」
「あの、アーサーの不敬罪は、不問なんです、よね?だったら、私達、村に帰りたい…です」
極度の緊張からか言葉が途切れがちではありますが、彩香さんの主張ははっきりしていました。私達。当たり前のように二人セットでカウントされた事が嬉しくて私のほっぺたが緩みそうなんですけどどうしましょう彩香さん激らぶ。
「ああ、心配しなくても君の配属先も決まっている」
「はぃい!?」
あ、彩香さんの声がひっくり返りました。私もびっくりです。どっちに?両方にです。
「聞けば君は村でとてもいい教師だったそうだな。是非とも私の末の息子の教育係になってもらいたい」
「え、ちょ、いきなり王子様の教育係って…なにを」
勝手にずんどこ話を進める陛下に困惑する彩香さんを余所に、私は冷静に考えていました。
確かに彩香さんは村で子供達相手に簡易教室を開いていました。文字の読み書きから簡単な計算、書物を読んで得た知識にプラスして、私達の世界で常識とされている基礎科学をこそっと教えたりしてました。しかしそれは、王宮で最上級の教育を受けているはずの王子殿下に必要なものでしょうか。答えは間違いなくノーです。
つまり、彩香さんを留め置く理由というか目的は他にあるという事。それを踏まえるならば、私を書記官に、という話もなにか裏があるに違いありません。今回のやり口を見てもそれは明らかです。
今度は一体なにを企んでいるんでしょうかねぇ?
すでに決定事項になりつつあるそれを、けれど口に出す事はしませんでした。口に出したらもう逃げられない予感がひしひしとします。いや、王命である以上逃げられない事に変わりはないんですけど。それ以上に、うごめく事情に絡め取られたら身動き取れなくなりそうです。なにせ―――。
じっと陛下を見つめていたら、当たり前ですが視線がかち合いました。鷹揚な瞳の奥に見えるのは葛藤と切実さ。予想通りとはいえなんともいえない気分になりました。権力振りかざした理不尽を強いられているのはこちらのはずなのに、言った本人が一番理不尽だという顔をしてます。
…まぁ、無理もないですね。道理を知るという事は、道理を外れた行いにも敏感だという事です。陛下はきっと私以上に現状の理不尽をきっちり認識してらっしゃるに違いありません。それでも私達にそれを強いる理由。そんな物はたった一つです。
先ほど私が認めた正しく国を導くと言う事。それを行うためには犠牲が必要だというだけです。今回たまたまそれが私だっただけで、なにも特別な事ではありません。
それでもピンポイントで理不尽を叩きつけられた以上、私はそれに文句をつける事が許されるでしょう。ですが許されるのを前提にそう振る舞うのはただの甘えです。お祖母ちゃんにしばかれます。ひぃ。
…心臓に悪い冗談はこのくらいにして。今までそうした犠牲の上に築かれた平和を受け取ってきたくせに、いざ自分の番になったら文句をつけるなんて真似は出来ません。もしそれをするならば、私は今後この国の安寧を享受する資格がない。それに。
私は心の中ででっかいため息を零しました。
困った事に、私は陛下の命令を断れません。それは王命だからというだけではなく、個人的な信条が原因です。頭の中で響くのは、柔らかで優しい母の声。
『ねぇ、透。困ってる時に助けて欲しいのは、みんな一緒なのよ?』
王様であっても隣人であっても、例えばすれ違うだけのただの他人だったとしても。困っている時はみんな平等に頭を抱え、助けを必要としているのだという母。そうした時、なるべく手を差し出してあげられる人になりなさいというのが母の教えです。
あの祖母に育てられたにしてはのほほんすぎる母でした。よく宗教やらセールスやらに捕まって、しかし騙される事は無く逆に相手に『こんな簡単な手に騙されるなよ!?』と突っ込まれ心配されるお人好しです。むしろ母に会う詐欺師は須らく改心して真人間になるためにその道の人達からは『詐欺師潰し』と恐れられています。ちょっと冷静に考えたらそれもどうかと思えてきました。ウチの家族はどうしてみんな妙な二つ名を付けられてるんでしょうか。
それはともかく、本当に困っている王様が目の前に現れるだなんてこれっぽっちも思ってなかったんですけど現実は無情です。います。アンビリーバボー。しっかりきっちり王の仮面を被ってはいますが、そこから覗く瞳の色だけは誤魔化せません。誤魔化して欲しい。
本音を言うなら今すぐ彩香さんと一緒に村に帰りたいです。きっとみんな心配してる事でしょうし、このままここにいればあのへっぽこ勇者に遭遇する確率100パーセントです。話の本題であったはずが途中からどっか遠くにすっ飛ばされて意識の端にも上らなかったどうでもいい人の事が頭をよぎります。
いまだにあわあわと陛下と押し問答を繰り返している彩香さんにも聞こえるように、私はリアルでため息をつきました。
「一応確認させて頂きますが、拒否権はありませんね?」
「ちょっとアーサー!?」
「話が早くて助かるな」
鷹揚に頷いた陛下に向かって、私はトアル取引を持ちかけました。身の程知らず?ええ、その通りです。
「王命である以上背く事は出来ませんが、私が納得して従う上で一つ条件があります」
「…なんだね?」
「私の事はこのまま男として扱って下さい。アーヤ嬢の婚約者という立場もそのままに。それを呑んで頂けるなら、陛下の御為に力を尽くすと誓いましょう」
その言葉に、またも室内の空気が停滞しました。
「……それは、構わんが。その、いいのかね?」
先ほどの私のへこみっぷりを思い出しているのか、恐る恐る聞いてくる陛下に私は頷きました。
「その方があのポンコ…いえ。勇者様を追っ払うのに都合がいいので」
「本音がダダ漏れたな!?」
しれっと織り交ぜた悪口に面白いほどに反応する陛下は大変ノリがよろしいようです。それを放ったらかしにして、私は隣で不安そうにこちらを見ている彩香さんに向き直りました。
「なにがあっても私がアーヤを護ります。あの誓いもそのままに。今度は、私に巻き込まれて下さいますか?」
その言葉に、彩香さんは一度だけ目を瞬いて―――そして、ふわりと微笑みました。
「いいわ。貴女と一緒なら、なにも怖くなんてないもの」
「私もですよ」
彼女の言葉に、私の顔面筋が残らず崩壊した瞬間。
「…っ、だから、君達は現状を分かっているのかと!」
「なぁ、私は夢でも見てたんじゃないのか?主に『私は女です』の件辺りなんだが。アレで本当に女同士なのか?思っくそ二人の世界だぞ」
「お気持ちは分かりますが陛下。護送中もずっとあの調子でした」
「………よく我慢したな」
「大変でした」
おっさん二人のせいで軽く台無しです。空気読んで下さい。




