さよなら、王子様
彼は、権力も財産も手中に収めている王子様で、対する私は、戦火に巻き込まれ壊滅した小国のお嬢様だった。
両親を亡くし、何も持たない私を助けてくれたのが彼で、5歳の頃から仲良く暮らしていた。勉強も遊びも、常に一緒だった。誕生日プレゼントには髪飾りの赤いリボンを貰い、私は青い蝶ネクタイを渡した。そう、まるで恋人の様にずっと寄り添っていた。
6歳の頃、木登りをして、降りれなくなった私に手を差し伸ばし助けてくれたことが切っ掛けで、恋情が芽生えた。それが恋だと認識できる年でもなく、私は彼と一緒に居れれば良いという思いだけで、思春期までを過ごした。
彼を男として好きだと自覚したときは、昔の様に彼に近づけなくなっていた。誰より好きだという自信はあるのに、顔が熱くなって、妙に緊張して、体がついてこない。
幼馴染の関係を越えたくても、想いを伝えることはできない。でも、時間はある。そう思っていた私の耳に入って来たのは、森に住む美しい姫の噂話だった。
彼女に関する噂は、この国では有名になっていた。雪のように白い肌、鳥も囀る心地よい美声、小さな家で小人7人と暮らし、素直で優しく花のような人。
所詮、噂でしかない。そう思っていたけれど、男たちは一目見てみたいと浮足立っていた。それは、彼も同じだった。そして、ついにその日が来る。
「気を付けて」
「ありがとう、行ってくる」
彼は、白馬のスタリオンに乗り、国を発った。何日もかかると言われている遠い森へ、彼女を迎えに行くために。
私の心は、複雑な気持ちが混じり、螺旋を描く。無事に帰ってきてほしい、でも彼女を連れてこないでほしい、彼女がいなければいい、彼女が人魚姫のように泡になって消えてほしいと。
嫉妬心剥き出しの女の願いが叶うはずもなく、数日後、彼は帰って来た。白馬に、お姫様を乗せて。
彼女は白雪姫と呼ばれ、国民たちに愛し慕われる。彼女も笑顔と愛を振りまき、王子様の腕を組んで、国民たちに手を振っている。二人は、幸せそうだった。互いに見つめ合い、微笑む様は、私の心を幾度となく抉る。
神様は、残酷だ。小さい頃から彼を想っていた私の気持ちなど無視して、21年の月日を容易く引き裂いた。幾ら涙を流しても、事実は変わらない。想いを伝えれば、関係は変わっていただろうか。私に勇気があれば、今頃彼は、私を愛してくれただろうか。
今さら後悔をしても、もう遅い。
「貴女が、彼の幼馴染なのね。こんにちは」
「こんにちは、白雪姫」
資料を取りに城に行き、応接室で彼女と会った。女の私でも心を奪われそうな、誰もが守ってあげたくなるような可憐で美しいお姫様だった。純粋で優しく、初対面であるにも関わらず、心を開いて森に住んでいたときの話をしてくれる。終始笑顔を向けられ、心の中に殺人衝動が芽生える。この鞄には、護身用のナイフが入っている。私と彼の仲を引き裂いた女が今、目の前にいる。
彼女が、憎い程嫌な女だったらいいのに。嫌な女なら、私が二人の関係を終わらせるのに。
「ここだけの話なんだけど、私、彼に結婚を申し込まれたの」
「そ、そうなんだ。おめでとう」
二人の仲に割って入る隙間さえないと思い知らされる。左手の薬指に光る指輪が、心に修復不可能な大きく深い穴を開ける。
そして、家のポストに放り込まれていたのは、溶かした蝋で綴じられた、結婚式の招待状だった。
身なりを整え、式場に向かった。幼馴染だからと、前の席に座らせられる。挙式会場の大聖堂には国民も交えた大勢の人々が押し寄せ、皆が着席すると、始まりを告げる鐘が鳴る。
彼の白いタキシードを見て、涙が出そうになる。感情が相まって、緩みそうになる涙腺を堪えたかと思いきや、新婦の入場で、呑みきれなかった涙が頬を伝った。
「それでは、誓いのキスを」
逃げることも許されない場で、私は目を瞑った。盛大な拍手の中、祝福を受ける二人の姿が脳裏を過り、もう終わっただろうと思い瞼を上げれば、二人は手を取り合い、愛しみを含んだ視線を絡ませ、額を寄せていた。
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何度読んだかわからない。乾いた涙の痕が残った、結婚式の招待状に添えられていた手紙をゴミ箱に捨てる。
『今までありがとう。これからもずっと、最高の友達だ』
彼にとって私は、ずっと友達だった。それ以上でも以下でもない。あのときから今まで、ずっと私の片想いだった。
伝えられなかった想いに、別れを告げる。この国に居ても、彼を想い続けるだけだ。人目を憚らず愛し合う姿を見せつけられても、まだ残っているこの想いを忘れる為、私は国を出る。
「さよなら、王子様」
手放した赤いリボンは、風に乗って遠くへと舞う。