ヒトプログラム
まあ、僕は下らない科学者だったよ。
試験管がまた、僕をみている。
ホルマリン溶液に漬かる元生命体は気持ち良さそうに浮いている。
薬品の匂いが頭をみたし、けたたましい機械音が規則的に鳴り響く。
「――ここが、僕の居場所だ。」
小さい頃から知ることが大好きだった。
知識が頭に入ってくるのが
未知の世界が理解されていくのが
謎を食いつぶすのが
大好きだった。
知を求め、無知を嫌う――生後24ヶ月頃から今まで一貫して、それが僕の座右の銘だった。
そんな僕が科学者になることは当然の運命だった。
そして家族を放って研究に没頭するのも…当然だ。
そもそも
家族なんてものは、知りたかったから作っただけだ。
娘も見てみたかったか作った。
恋だって知らなかったから、やっただけだ。
ただ最近、もっと愛せば良かったと…思うことがある。
「ディエトス教授。…準備、できました。」
僕を呼びに学生が、僕の部屋の外に立ち呼びかける。
この部屋には絶対に入らないように言い付けてあるから、まあ当然のことだ。
「……ああ、わかった。今行くよ。」
こんなことを回想してたのは、
今日、僕の研究が完成するからだ。
もちろん成功確率が高いってだけで、失敗するかもしれない。
それでも失敗するビジョンは見えない。
「……それじゃあ、行ってくるよ。」
僕が、半々世紀かけて実験を重ねてきた実験は
簡単に言えば人を作ろう…。
そういう内容だ。
何度思考錯誤したことか。
モルモット達には悪い事をした。
ただ、今日という日が訪れたことは、君達の御蔭なんだ。
実験室中央にある大きなフラスコに、
横たわる炭素人形。
構成元素は人のそれと同じ。
通説では、生き物の身体は生命体でないものから構築される。
だが生命体でないものをいくら混ぜ合わせても、
たとえそれが人間の構成物質を完璧な比率で寸分違わず混ぜ合わせても、
生き物にはならない。
現に目の前の炭素人形は、ひとの形こそしているが…あれには自我がない。
人形だ。
生命を作り出す。
この矛盾を、人々は神の偉業と呼ぶが…さて、これを成功させたとしたら…僕は神になるのだろうか。
まあ、科学者だからといって神様を信じないわけじゃないさ。
「さて……始めよう。」
数人の学生に指示を出して、僕は最期の実験を始める。
カタカタと学生たちがパソコンを弄る。
自我をつくる……いわば心をつくることができて、あの人形にそれを埋め込めば…あるいは人間と同等になると思わないだろうか?
まあ心なんて曖昧なもの、作り出せるわけないじゃないかと…普通なら思うだろう。
ただそれは僕の研究によって造り出すことに成功した。
簡単だった。
昔の人は、心をつくるのにおよそ数千兆ある人間の思考パターン、人格プログラム、感情ユニットプログラムを作ろうと…躍起になっていたらしい。
本当に下らない発想だよ。
一方、僕の取った手段は至って簡単。
複数の矛盾する欲望のパターンプログラムを、最低限の人格プログラムを一定の波長でリンクするようにチューニングするだけ。
さらに簡単に言い換えれば
特定の人格
例えば
性格:穏やか
ストレス耐性:中
思考手段:受動的
などのように、造りたい人格をプログラムとして作ってゆく。
それと欲望パターンプログラム。
例えば
自分顕示欲のプログラムや
共存欲のプログラム
向上心のプログラム……
といったように各々の欲望を傾向プログラムとして作成。
数千兆の思考パターン、感情ユニットプログラムなどいらない。
相反する欲望達が反発することで生まれた自然な感情と人格プログラムによって星の数程の思考パターンが生まれる。
他人を出し抜いてでも向上しようという欲と
他人と共存したいという欲がぶつかれば…なんとももどかしい感情が生まれるわけだ。
終りにそうやって出来たプログラムを脳波の波長と合成し、人形内の記憶媒体に転送。
あとは記憶媒体に言語を記憶させれば、それで完成だ。
「……脳波とリンクしました。記憶媒体に転送します。」
学生がそういって、人形に感情を転送すべくEnterキーを押す。
数秒で50MBもの安いプログラムが転送され、
先に言語を記憶させて置いた記憶媒体内でプログラムが自働稼動する。
「指が………動いた…?」
念願の事態に、実験室内に僕の高い声が響く。
人形は呼吸を始めた。
水素を取り込み、エネルギーとして内臓機を充電している。
「まだ…眠っているようですね……。」
しかし、研究の成果は出ていた。
今までは呼吸はこちらで指示しないとしなかったが、今回はちゃんと…自律で呼吸を行っていた。
生存本能と一般的に言われる欲望パターンプログラムがちゃんと起動しているのがわかった。
「……成功…だ…。」
深く頷くように、それでも僕の顔からは笑みがとまらない。
今や僕は精子と卵子を用いずに生命体を作り出した…神以来の存在だ。
『…コ…こ……わ………どこ?……あなた達……誰…?……私は……』
目を開けた彼女は言う。
「しゃ…喋りました!!」
「やった……凄い……、私達…やりましたね教授!!」
実験室室内で飛び交う歓喜の声。
フラスコの中の彼女にはとどかない。
『生まれてきてくれて…ありがとう。……君は僕の娘だ。』
僕は彼女に届くようにマイクで告げる。
『…………あなたが私を…作ったの?』
ピロンッ
突然、パソコンの方にエラーメッセージが表示される。
ピロンッ
ピロンッ
ピロンッ
機械的なかわいらしい音を立て続けに立ててエラーメッセージが流れだす。
ERROR“HeartSysTem4.09.exe"は拒否されました
ERROR“nature.ini"は予期せぬエラーによって取消されました。
ERROR“nature.dll”は予期せぬエラーによって取消されました。
ERROR“nature.dat”は予期せぬエラーによって取消されました。
ERROR“DesiRe.ini”は予期せぬエラーによって取消されました。
ERROR“DesiRe.dll”は予期せぬエラーによって取消されましたました。
ERROR“DesiRe.dat”は予期せぬエラーによって取消されました。
「…なっ?…どういうことだ…!!…プログラムにミスかっ…!!?」
幸福の頂点にいたはずだったのに、僕はいつのまにか焦燥した。
だが、一度起動した。
僕の理論は正しかった。
『アなたが…オトウさん?』
たった数分でもあの人形が人間になって……
「…なッ…え??」
自我プログラム(HeartSysTem4.09.exe)はエラーで機能停止した。
…はずだ。なのに何故あの人形は…まだ人間でいられる?
ただまあ…理由はあとで調べるにして、今は成功を喜ぼう。
「……な…、なんにせよ…成功ですね。…仮説ですが、HeartSysTem4.09.exeが起点となり自我が芽生えたという風には考えられないでしょうか?教じゅ………?」
そう興奮気味に言った学生は舌を噛んだのか、一瞬大人しくなった。
…一瞬、そう思った。
その学生の胸を貫通した一本の腕。
それが何者の手なのか…僕にはすぐに理解できなかった。
腕が引き抜かれ、大量の血を噴射したあとに学生が前のめりに倒れた。
その時だ。
やっと…その手が…、あの人形の物だと理解できたのは。
『…オトウ……サン…??』
そう言われて僕の視界はやっと暗闇に閉ざされた。
――モスクワ大学の精神科学科の研究室で教授一人と生徒36人が惨殺された事件で…、教授の部屋から教授の妻と娘のホルマリン漬けの遺体が発見されました。