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その一

「……49の組、897956。こいつも外れか。ま、当たり前っちゃあ当たり前、だわな」

 その日おれは、駅の構内でベンチにどっしりと腰を据えて、数枚の宝くじを札束のようにして並べ、新聞と手元のくじを目を皿のようにして眺めていた。

 努力の甲斐なく、結果は全て外れ。一等の二億円、二等の一億円はおろか、四等の五万円すら掠りもしない有様だ。

 別に金に困っているわけじゃないし、職だってある。目が霞む程の大金さえあれば、今の物の見方が変わるかもしれないと思っただけだ。

 今月半ばで二十七を数えるこのおれ、生田(いくた)成志(なるし)。親族は数年前に他界し天涯孤独の身となったが、情報系の四年制大学を卒業し、システム・エンジニアとして毎日ディスプレイの画面とにらめっこをしている。

 別にやりたくてなった仕事じゃない。夢もやりたい仕事もいくらだってあった。それら全てから見放され、今の会社に拾われただけだ。

 友達と呼べる人間は一人もおらず、おはようございますとお疲れ様でしたの二言しか喋らない日だって珍しくない。やりがいはないが、他の職に就く手立ても資格を取る暇もない。生きていくには嫌でも続けていくしかない。

 給料は保険や家賃その他を差し引いて、手取りで二十五万。ボーナスは年二回。会社から社宅を借りて生活している。こうやって連ねると聞こえは良いが、労働時間は日平均十八時間で、サービス残業は当たり前。三、四日会社で寝泊まりすることもザラだ。

 五連勤開けでボロっちい社宅に戻って来ても、やることなんざ何もありゃしない。折角の休みも一日寝て過ごして、何もせずに終えてしまうことだろう。おれは一体、何の為に生きているのか。おれが一番知りたいくらいだ。さっぱり分からない。

 まあ、それも今となってはどうでもいいことだ。何せこれから、このくだらない世の中に見切りを付け、違う世界へと旅立つのだからな。


 重い腰を上げ、黄色い線を越えてホームと線路との境界に足を掛ける。

 ――人身事故。器具も何も必要とせず、何より手軽に行える。自殺の定番と言えばこれだろう。三番ホームの左端、注意書の綴られた白い柱の陰。宝くじを見る前に何度か歩いて見つけ出した、駅員たちから死角になっている場所だ。

 後少しで日付が変わろうというこの時間、これから帰宅する人や運転士たちには悪いが、間が悪かったと諦めてもらいたい。尤も、今から死ぬおれが気に留める必要はないのだが。

 電車到着を告げる飾り気のないアナウンスが流れ、けたたましいブザーの音が鳴り響く。いよいよその時だ。運転席のライトに照らされないよう、ぎりぎりまで柱の陰に一旦隠れて様子を伺う。

 警笛が鳴り、線路の先から電車が顔を出す。ここまで引き付ければ咄嗟に急ブレーキをかけても轢かれ損ねることはないだろう。

 誰もが到着する電車に気を取られる中、おれは意を決し、線路の中に飛び込まんと足を踏み出す。

 覚悟して踏み出したまではよかったのだが、床に走った小さな亀裂に足を取られ、突っ込む一歩手前で踏み留まってしまった。その代わりに携帯していた液体ミルメークの『イチゴ味』が、電車の運転席のガラスに飛び散ってしまう。

 飛び散ったミルメークを血か何かと勘違いした運転士は、すぐさま急ブレーキをかけて電車を止め、乗り合わせていた乗客たちは勢いよく前方の車両に引っ張られ、慣性の法則に従って皆一様に押しつぶされて行った。

 それによって電車が横転したわけでも、死人が出たわけでもない。しかし車内は押し潰された人たち同士で大混乱となり、阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 構内に待機していた駅員たちもこの異様な事態に気付いたらしく、続々と電車の方へと集まって行く。

 まずい、非常にまずいぞ。この状況じゃ誰がどう見ても悪いのはおれじゃないか。どれだけかかるかは知らないが、個々人が電車を止めると相当な賠償金を請求されると聞いた。四百万ぽっちで足りるとは到底思えない。

 駅員たちが皆運転席に行ったのを見たおれは、急いで体を起こし、脇目も振らず全速力で駅から逃げ出した。


◆◆◆


「なんとか……逃げ遂せたか。あっぶねぇ」

 駅員の追及を逃れ、なんとか家の近所まで戻ってきたおれは、弾ませた息を整えつつ周囲に目をやり耳を澄ます。ここまで来て誰かに尾けられていました、だなんて洒落にならない。おれの頑張りは一体何だったんだ。

 幸い誰にも尾けられていない。日付変更間近の住宅街は静かなものだ。尾けられていないのならそれで良い。これでようやく『二つ目の計画』に着手できるのだから。

 何? 一つ目で終わらせる予定だったのに二つ目が出てくるのはおかしい? そう思っているのはおれも同じだ。どうか気にしないでもらいたい。


 1LDKの古臭い社宅に戻ったおれは、ベッドと兼用になっている三人掛けのソファの上で、掛け布団に包まって丸まっている愛猫のパンチョを抱きかかえ、ただいまと声をかけて台所の方へ向かわせる。相当腹が減っているらしく、おれを見るなり爪を立ててにゃあにゃあと鳴き喚く。おれがいない時の飯の世話は管理人の婆に任せているはずなのだが、こんなになるまで放っておくとはどういうことだ。

 婆に言いたいことは色々とあるが、そいつはちょっと後回しだ。脱ぎ散らかした服を畳み直して、窓辺に置かれた木製洋服タンスにしまい、押し入れの中に潜り込む。引っ越し以来一度も開けていない段ボール箱を掻き分け、奥にしまわれていた小箱を取り出す。

 以前近所のホームセンターで買っておいたレジャー用の徳用練炭と七輪。部屋の中でこいつを燃やして、発せられた一酸化炭素で死んでやろうというのが二つ目の計画。俗に言う練炭(れんたん)自殺だ。

 首吊りに手首を切って湯に漬けるリストカット。家で行う自殺方法は多々あれど、家の中に器具があったことを思い出し、かつ苦しまずに死ねるということでこの方法を選んだ。どうせ死ぬなら苦痛なんか感じない方が良いに決まってる。

 壺の中に練炭をくべ、金網で蓋をした後、マッチに火を点けて壺の中に放り込む。炭はぱちぱちと音を立てて赤く燃え始めた。

 後は中毒にやられ、自然に気を失うのを待つばかり。煙が部屋中に広がる前に、おれは『遺書』を書こう筆を執る。

 残そうが残すまいが死ぬことに変わりはないが、何も告げずに命を絶って、後々”孤独死”だ何だと騒ぎたてられたくはないし、そのことで会社の同僚たちに迷惑をかけるのも忍びない。


「死ぬ理由、おれの略歴、伝えたいこと……良し。あとは、”財産”のことだけだな」

 財産、と言っていいのかどうかは分からないが、通帳には四百五十万円程度の貯金が残っている。貯めるだけ貯めて、使わずに残った給料だ。

 放っておけばおれの遠い親戚の元で分配されるのだろうが、一度も会ったことのない親戚に、おれが汗水垂らして稼いできた金を差し出すのは癪だな。はてさて、どうするべきか。

 そうだ。大好きなミルメークの製造会社に全額寄付する、とでも書いておこう。名前すら知らない親戚に寄付するよりも、好きだったものの発展の為に投資する方がずっと良い。

 折角だ、『製造を中止したピーチ味を復活させてください』とでも書き添えておくべきか。いや、やめておこう。それが目的の自殺だと世間に思われるのは嫌だしな。

 これで良し。丁度良く体に悪そうな黒い煙が、七輪の中からもうもうと立ち上り始めた。面倒を起こさず死ねるよう、七輪に顔を近づけ目を見開き、その時を待つことにする。


 段々と気分が悪くなってきた。苦しまずに死ねるという触書は嘘だったのか? まぁ、このくらいの苦しみは許容して然るべきなのだろうが。

 煙を吸って咳き込んだ所で腹の虫が唸りを上げた。そういえば昼ごろから何も食べていなかったっけか。どうせもう死ぬんだ。それまで我慢してやろうと思ったが、体の方はどうにも正直でいけない。

 それと同時に、金網だけを載せ、もうもうと煙を上げる七輪が目に留まる。もう我慢できない、冷蔵庫の中に何かあったはずだ。膝に乗せたパンチョを離し、冷蔵庫の中を探る。

 あまり家に帰らないし、帰っても冷凍食品や出来合いのもので済ますからか、冷蔵庫の中に使えそうなものは見受けられない。いや、サンマが一パック残っていた。いつ買ったものか、何に使ったものかは分からないが、焼いて食うのだから問題はないだろう。

 サンマに塩を振り、七輪の上に乗せて団扇で扇ぐ。芳しい香りを漂わせ、徐々に焼けて行くサンマを見、小学生の頃のサマーキャンプで焼いた鮎や岩魚のことを思い出して、自然と笑みがこぼれる。あの時は生焼けに砂利だらけで味なんか分かりゃしなかったなあ。

 しかしサンマの焼ける匂いというのは卑怯だ。おれの中にある食欲をこれでもか、と言うくらい引き出して来やがる。サンマだけじゃ味気がない。他に何かなかったろうかと冷蔵庫の中を再び漁る。買置きの液体ミルメークと牛乳瓶が並んでいるだけで、食べ物になりそうなものは全く残っていなかった。

 せめて大根下ろしと醤油があれば違っただろうにと肩を落とし、七輪の元へ戻る。


「おい、おいおいおいおい! 何やってんだパンチョ! どけ、七輪から離れろよッ」

 迂闊だった。美味そうな匂いを上げて焼けるサンマを、おれと同じく空腹の猫が放って置くわけがない。

 パンチョは後足だけで立ち、熱された金網を触らないようにして、爪を立ててまだ生焼けのサンマに前足を伸ばしている。

 父母のいないおれにとって奴は家族同然だが、あのサンマは文字通りおれの最後の晩餐だ。パンチョにだって譲るわけには行かない。

 そこをどけ、やめろなどと叫びつつ、パンチョを七輪から引き剥がさんと手を伸ばす。だが伸ばした手がパンチョの体を捉えるどころか、奴の代わりに七輪を掴んで思い切り転んでしまう。

 部屋に充満した一酸化炭素は、おれが気付かないうちに相当脳を蝕んでいたらしく、視界が霞み意識がぼやけ、まともに動くことすらできなくなっているようだ。

 七輪の中にくべられた練炭は放物線を描いて部屋中に散り、カーテンの裾や万年床になった敷き布団、読まずにたまった古雑誌などに触れて火を吹き始める。

 パンチョへのお叱りもそこそこに、薄汚れた座布団を手に取って鎮火に当たる。

 部屋中に散ったとはいえ、まだ燃え始めの小さな炎。揉み消すのに大した時間はかからない。尤も、直接練炭がぶちまけられた畳は無事では済まず、あちこちに焦げの染みが残ってしまった。

 管理人の婆からこっぴどく叱られるだろうが、どうせこれから死ぬわけだし、気にすることはないだろう。

 窓を開けて七輪の煙を部屋から逃がす。練炭自殺は一次中断。きちんと腹を膨らませてからにしよう。

 清涼感溢れる新鮮な空気が部屋の中、及びおれの肺を包み込む。気持ちが良い。悪くない感覚だ。

 だが同時におれは、自身の背後に何かが焼き焦げ熱く燃える感覚と、鼻につく嫌な臭いを感じた。今まで獰猛(どうもう)機敏に動き回っていたパンチョも、そちらを見て産まれたての子猫のように震えている。

 程無くして臭いの正体に気付く。六段の木造洋服タンスが練炭と接触して燃えていたのだ。

 見ると、タンスの一番上の段から順々に燃え広がっている。見つけやすいようにとはみ出させておいた遺書が、先の飛び散った練炭と接触して燃え始めてしまったのだろう。中の衣類に次々と飛び火し、勢いを助長させている。

「火は全部揉み消した筈だぞ、どうなってやがんだ、あぁもう!」

 死にたい気持ちに嘘はないが、他人を巻き込んで焼け死ぬなんざ御免被る。おれは再び座布団を手にし、タンスの火を消火せんと何度も叩くが、座布団程度では炎の勢いを御し切れず、逆に貰い火で燃え上がってしまった。


「やべぇ……やべぇやべぇやべぇ! どうすりゃいいんだよ、こんなの……」

 火の手はタンスを越えてその下の畳にまで達し、益々勢いを強めて行く。ここにいては危険だ。おれはパンチョを抱き抱えて風下である玄関へと向かう。

 リビングから玄関まで5mもないのだが、練炭の煙を吸った影響が強く残っているようで、転んだまま立ち上がれず、上手く歩けない。それでも尚、体を引きずって前に進むが、今度はドアノブを握ることができない。火はますます燃え上がり、おれの靴下を焦がして行く。


「待ってくれ、待ってくれよ! おれは確かに死にたいって言った。けど、こんな……七輪倒して焼死体なんて、そんな間抜けな死に方なんて望んじゃいないんだよ! 誰か助けて……助けてくれェ」

 叫べども戸を叩けども、誰も助けに来やしない。お隣同士だというのに何と酷い奴らだ。

 やはり人の力など当てには出来ない。自分の力でこの部屋を脱出しなくては。そう思って力を振り絞り、ようやくドアノブに手が届いたその瞬間、玄関はおれが開けようとしていたのとは逆の方向に開き、伸ばした右手は扉と壁でサンドイッチにされてしまった。

 挟まれた右手を引き寄せるよりも早く、おれの背中を踏み付けて、何者かが強引に部屋の中に押し入った。

 部屋の中に押し入った何者かは、慣れた手つきで消火器を操作し、燃え盛る炎をあっという間に掻き消していく。白と黒の煙が晴れ切った時、その場所に立っていたのは、予想だにもしない人物であった。


「あんた、夜遅くに家ん中で何やってんだい! 部屋の中で七輪焼いて……近所の人がどれだけ迷惑するか、分かってんの!?」

「婆――あぁいや、管理人さん……。申し訳、ありません」

 仏像のような茶髪のパンチパーマに、目元口元に刻まれた深い皺に、酒樽みたいな体つきの婆。こいつがうちの社宅の管理人だ。

 顔を合わせりゃ、やれ態度が悪いだの不摂生だのと文句を言い、おれに友達や家族がいないことを知りながら、休みの日に戻って来た時には「浮いた話の一つや二つないの」と問い、答えを返すよりも先に、「あんたには無理だったかしら。ごめんなさいね」と皮肉たっぷりに言いやがる嫌なやつ。

「苦手な奴ほど信用できる」とは言うが、まさかこのクソ婆に救われるとは……。

「あぁ、あぁ、あぁ、あぁ。居間の半分も燃やしちゃって……馬鹿じゃないの? ちゃんと修理代払いなさいよ。給料の前借りとかじゃなく、あんたの自費よ自費! 困るのはあんただけじゃないのよ、この寮に住む人も近隣住民も、何よりあたしが困るの。ちょっと、聞いてるの!?」

 俺を起き上がらせもせず、畳みかけるような早口で文句ばかり。うんざりするにも程がある。

 さっき死にたくないと言ったが、あれは却下だ。こんな奴に恩を売られたまま生きていけるものか。死んでやる、なんとしても死んでやるぞ!


 ……そのためにはまず、こいつを何とかしないといけないのだが。何と言えば追い払えるだろう。

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