ザ・ブザービーター
低い西日が、路面の水たまりに白く焼きついている。
駅へと続く、緩やかな上り坂。マキは青いジャージ姿で、一定の歩調を崩さずにそこを歩いていた。ふくらはぎの奥で、今日の試合の疲労が微かに脈を打っている。
右肩の巨大なダッフルバッグが鎖骨を深く圧迫している。中身は汗を吸ったタオルと、完全に溶けてぬるくなった保冷剤だ。左手には、表面の削れたバスケットボール。汗と埃で汚れたテーピングの巻かれた指先が、無意識にその丸みをなぞっていた。
赤信号で足を止めたとき、ポケットのスマホが連続して震えた。キャプテンのサエからだ。
『今日のマキやば!』
『スリー8本全部成功とか』
『バケモン笑』
『明日の決勝も頼む!』
『朝6時半駅ね!』
濡れた路面を通り過ぎる車の水飛沫の音を聞きながら、マキは右手だけでフリックする。
『了解』
『明日も全部決める』
『サエ寝坊すんなよ』
敬礼するウサギのスタンプ。画面を暗くし、再びポケットへ滑り込ませた。
信号が青に変わる。
賑わう改札口から背を向けるように、マキは人影の途絶えた高架下のコンクリート壁の前で足を止めた。
壁の高い位置に、丸く黒い染みがある。何万回とぶつけ続けたことで沈着した、手垢と汚れの標本だった。
肩の力を抜く。右肩のバッグが重力に従って落ち、コンクリートの上で鈍い音を立てた。
左手のボールを両手で持ち直す。
足幅を決める。膝を深く沈めると、胸とハーフパンツの白い「7」が夕光の中で沈み込み、さらに滑らかに跳ね上がった。
足首、ふくらはぎ、太もも、腰、背中、肩、肘、指先。
積み上げてきた筋肉が、一分のロスもなく力を上へと伝播させる。
放たれたボールは、一瞬で黒い染みの中心を叩いた。
パーン、という乾いた破裂音。
跳ね返ったボールは、放物線を逆再生するように、構えた両手の中へ吸い込まれた。
あまりにも完璧な、見慣れた物理法則の反復。
マキは手の中のボールを見つめ、もう一度、自分が作り上げた黒い染みを見上げた。
次の一投へ向け、深く息を吸い込む。
吸い込んだ空気を、ただ細く、長く吐き出した。
彼女はゆっくりと腕を下ろし、ボールをバッグの横に転がした。
ダッフルバッグのジッパーを走らせる。
中から制服のプリーツスカートを引っ張り出した。ハーフパンツの上から穿き、ジャージのフロントジッパーを引き下げる。
両腕を抜き、汗ばんだ無地の白いTシャツ姿になる。そのまま、下穿きのハーフパンツも躊躇いなく脱ぎ捨てた。
足元に重なる、二つの青い抜け殻。
彼女はそれを拾い上げ、転がっていたボールを掴み、足元の重いバッグをひったくるように持つと、そのすべてを抱えて駅舎の陰へ歩き出した。
大型コインロッカーの前に立つ。
一番下の扉を開け、ダッフルバッグを押し込む。
その上にボールを置き、抜け殻を隙間にねじ込む寸前、そのポケットからスマホだけを抜き取った。代わりに、指先に触れた百円玉五枚をスロットへ滑り込ませる。
扉を閉め、鍵を回す。
引き抜く。
歩く。
ロータリーの端。雨水を集める、薄汚れた鉄格子の側溝。
彼女は指先の小さな鍵を、格子の隙間から手放した。
カツン。
錆びた鉄に弾かれ、泥水に呑まれる濁った音がした。
スマホ一つを右手に提げ、彼女は駅の白い蛍光灯の下へと歩いていった。




