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嘘つき花嫁は王宮で真実を暴く ~捨てられた研究者が最強の魔法陣で成り上がるまで~  作者: 渚月(なづき)


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第5話 再現不能の証明

王宮図書館は、静謐そのものだった。


高窓から差し込む光の柱が、浮遊する埃を金色に変えている。

この図書館は王宮の中でも最も古い建物の一つだという。石壁には何百年もの記録を守ってきた誇りが染みついているように見えた。


受付で名前を告げると、奥から小柄な女性が姿を現した。


灰色の髪をきっちり上げた、姿勢の良い女性。

エルザ・ノイマン。王宮図書館司書長。


小柄だが、その存在感は不思議と大きい。

背筋の伸び方が、この人の性格を全て語っていた。


「グランディーア副局長からの紹介状は確認しました。それで——何をお調べに?」


無駄のない口調だった。

好意も敵意もない。ただ、職務として対応している。

この態度は——信頼できる、と直感した。感情で動かない人は、事実を歪めない。


「三年前に魔法局から提出された研究論文の原本記録を閲覧したいのですが」


エルザの目が、ほんの一瞬だけ鋭くなった。

だが、すぐに元の無表情に戻る。


「どの論文ですか」


「フェルゼン式魔法陣理論。提出者名義はヴィクトル・フェルゼン」


沈黙が、数秒。


エルザは何も言わず、書架の奥へ消えた。

その背中を見送りながら、心の中で仮説を立てた。


もし彼女が何の反応も示さなければ、この記録に特別な意味はない。

だが、あの一瞬の目の鋭さ——何かを知っている目だった。


戻ってきたとき、彼女の手には古い台帳があった。


「提出記録です。閲覧のみ、持ち出し不可。このテーブルでどうぞ」


台帳を開いた。


提出日、受理番号、論文タイトル、提出者名。

すべてヴィクトル・フェルゼンの名義になっている。


だが——私が探していたのは、そこではなかった。


前の世界で学んだことがある。

正規の記録は改竄できても、修正履歴まで消す人間は少ない。

なぜなら、修正履歴の存在自体を知らない場合が多いからだ。


「ノイマンさん。この台帳に、修正履歴はありますか」


「修正履歴?」


「提出後に名義や内容が変更された場合、図書館では記録を残す決まりがあると聞きました」


エルザの表情が、ほんの僅かに変わった。

それは——驚きではなく、確認の表情だった。

「ようやく、聞く人が来た」とでも言いたげな。


「……お待ちください」


再び書架の奥に消え、今度は少し時間がかかった。

待つ間、心臓が高鳴っていた。拳を膝の上で握り、呼吸を整える。


戻ってきたエルザの手には、もう一冊の台帳。

表紙に「修正記録簿」と書かれている。


「当館では、提出後の一切の変更を別台帳に記録します。これは規則であり、例外はありません」


その言葉の最後に、微かな力が籠っていた。

例外はない——それは、誰にも改竄させなかったという意味だ。


この人は三年間、この記録を守り続けていたのだ。

誰に頼まれたわけでもなく。ただ、記録は正確であるべきだという信念のために。


修正記録を開いた。


そこには、一行の記述があった。


「提出日の前日付で、共同研究者名として『リーネ・アルヴェス』の追記申請あり。翌日、申請取り下げ」


息が止まった。


つまり——ヴィクトルは最初、私を共同研究者として記載しようとした。

だが、提出当日に取り下げた。

私の名前を、意図的に消したのだ。


追記申請があったということは、ヴィクトル自身が私の関与を認識していた証拠でもある。

「知らなかった」とは言えない。「計算を手伝わせただけ」では済まない。

共同研究者として申請するほどの関与があったことを、彼自身が認めていたのだ。


「この記録の写しを……」


「閲覧のみです。ただし——」


エルザは台帳を閉じ、私をまっすぐに見た。


「この記録が存在することは、事実です。そして事実は、誰にも消せません」


それ以上は何も言わなかった。

でも、それで十分だった。



第三室に戻ると、トーマが何か言いたそうにしていた。


眼鏡を三回押し上げ、口を開きかけては閉じる。

それを繰り返してから、ようやく声を出した。


「あの……リーネさん。僕、ずっと気になっていたことがあって」


「何ですか?」


「僕が入局したとき、フェルゼン式の論文を初めて読んだんです。それで、参考文献リストにある実験ノートの原本を見に行ったんですけど——」


トーマの声が小さくなった。


「実験ノートの筆跡が、論文と違ったんです。最初は写し間違いかと思いました。でも、ノート全体を見ると……明らかに別の人の字でした。でも、それを先輩に言ったら『余計なことを気にするな』と」


トーマの眼鏡の奥で、目が揺れている。


「それから、怖くなって誰にも言えなくなりました。でも、ノートを捨てることもできなくて……」


やはり。


「トーマさん。その実験ノート、今でもありますか?」


「はい。第三室の書棚の一番下、奥に押し込まれてます。目録にも載っていないんですけど、僕が——その、なんとなく捨てたくなくて」


トーマの顔が赤くなった。

嘘がつけない人だ。

だからこそ、真実を真実のまま残そうとした。

この人は——自分では気づいていないかもしれないが、二年間ずっと、証拠を守り続けていたのだ。


「見せてください」


トーマが取り出した実験ノートは、古びた革表紙だった。

開いた瞬間、指先が震えた。


私の字だ。

前の世界でも、この世界でも同じ癖で書かれた、実験記録。

日付の書き方、データの配列、余白への走り書き。全てが私の習慣と一致している。


草稿の欄外メモ、修正記録簿の名前、そしてこの実験ノート。

三つの証拠が揃いつつある。


でも、まだ足りない。


筆跡は状況証拠にすぎない。

「たまたま似ていた」と言い逃れる余地がある。

エルザの修正記録も、「事務的な手続きの変更」と矮小化できる。


決定的なのは——技術そのもので証明すること。


「トーマさん。一つ頼みがあるのですが」


「なんでも言ってください!」


「新しい魔法陣の理論を構築しています。その実験に、立ち会ってもらえますか」


「もちろんです! ……って、新しい理論ってどういう」


「フェルゼン式を上回る、次世代の魔法陣です」


トーマの眼鏡が、ずり落ちた。


「は……!?」


「この理論が完成すれば、フェルゼン式と同一の設計思想であることが技術的に証明できます。同じ頭から生まれた理論だと。筆跡は模倣できますが、設計思想は模倣できません。研究者の頭の中にある構造そのものだからです」


「それは……つまり……」


トーマの目が大きくなった。

全てを理解した目だった。


「リーネさんが、本当の——」


「まだ言わないでください。証明が完了するまでは」


トーマは口を閉じて、力強く頷いた。

眼鏡を押し上げる手が、いつもとは違う力強さを帯びていた。


夜。

屋敷の自室で、新しい魔法陣の設計図を広げた。


掌の紋様を参考に、理論を組み立てていく。

前の世界の知識と、この世界の魔法体系を融合させる。


二つの世界の理論は、根本のところで通じている。

変数の定義が違い、表記法が異なるだけで、魔力のエネルギー循環の原理は同じだ。

だからこそ、前の世界での研究がこの世界でも機能する。


集中すると、周りの音が消えた。

ペンの走る音だけが世界のすべてになる。


どれくらい経っただろう。

ふと顔を上げると、窓の外は白み始めていた。


設計図の七割が完成していた。

残りの三割には、西棟書庫の資料が必要だ。


明日——いや、今日。

セレンに報告して、次の段階に進む。


だが、その前に。


机の引き出しの奥に、一枚の紙を仕舞い込んだ。

白紙の離婚届。

三日前に、こっそり役所から取り寄せたもの。


(まだ早い。でも、いつでも出せるように)


この紙に署名する日が、いつか来る。

その日までに、すべての証拠を揃える。


便箋に今日の成果をまとめ、最後に一行だけ書き足した。


——「再現不能」を証明する。同じ理論を、同じ人間にしか作れないことを。


ペンを置いて、窓の外を見た。

王宮の尖塔が、朝焼けに染まり始めていた。


夜明けの色は、灰色から始まる。

でも今朝の空には、ほんの少しだけ金色が混ざっていた。


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