高橋圭太の就活
面接というものは、扉を叩く前にすでに始まっている。廊下を歩いている瞬間さえ、誰かに見られている可能性を想定しなければならない。呼吸の深さ、背筋の角度、視線の置きどころ。その全てが評価対象になり得る。私はごくりと唾を呑み込み、指先の震えが収まるのを待ってから、拳を握り直した。
コン、コン、コン。
三回のノックの後、面接室の扉をすっと開ける。強引すぎず、慎重すぎず、流れる演舞のような所作である。それでいてわざとらしくはしない。いつかの研修で、嫌というほど身体に叩き込まれた動きだった。
「どうぞ」
「失礼いたします」
声色が低すぎれば自信過剰に聞こえ、高すぎれば頼りなく響いてしまう。その中間を探るように、喉の奥で音程を調整する。かつて誰かが「声帯は最大の武器だ」と言った。就活では、正確さよりもその人らしさが重要らしい。
室内には長机が置かれ、その向こうに面接官が二人並んでいた。壁際の観葉植物は――アルテシマだろうか――蛍光灯の白さに色を奪われ、どこか作り物めいて見えた。三月の昼だというのに空気は冷たく乾いている。私は背筋を伸ばし、椅子の横に立ったまま名を名乗る。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。南星大学文学部三年、高橋圭太と申します」
舌の上で転がるその文言は、何度も反復して自分のものにしていた。会社案内パンフレットに記された文字列、エントリーシートに並ぶ志望動機、ゼミの研究テーマ、アルバイト歴、趣味のあれこれ。数週間かけて頭に流し込み、癖や呼吸の間合いまで整えてきた。
「どうぞお掛けください」
促され、椅子を静かに引く。床との摩擦音が立たないように角度を計算し、膝を直角に折り、手を腿の上に重ねる。視線は相手の目と口元の中間に置く。真正面から射抜くのではなく、かといって泳がせもしない。
「それでは、始めに志望動機をお聞かせください」
四十代半ばと思しき面接官が、濃紺のスーツをわずかに整えながら言った。隣の若い面接官は頷きつつ、手元の書類に目を落としていた。私は一呼吸を置く。考えているふりをするための短い沈黙である。その長さは、散々ストップウォッチで練習してきた。
「私が御社を志望いたしましたのは、コンテンツ制作を通して、人の感情に働きかける仕事に携わりたいと考えたからです」
滑らかに言葉を並べる。大学時代に所属していた演劇サークルで脚本を書いたこと。観客の反応を直に感じた経験。それが御社の広告制作という分野と重なったこと。事実を素材にしながら、発言のAメロ・Bメロ・サビを慎重に設計していく。
面接官は小さく頷いた。その反応を私は観察し、声量と速度を微調整する。これは会話ではなく、ある種の調律のようだった。
「では、学生時代に力を入れたことは?」
テンプレートの問いに、テンプレートの答えを差し出すこともできたが、私はわずかに言い淀んだ。「即答しない」という選択肢だった。視線を左下に落とし、言葉を探す仕草を挟んでみる。この方がらしいだろう。
「脚本制作です。最初は独りよがりな内容ばかりで……仲間から厳しい意見も受けました」
自己反省と成長の物語――その起承転結をなぞりながら、感情の抑揚をわずかに乗せれば、すっかり彼らは懐柔されてしまう。企業が好みそうな回答を作ったものだ。もちろん整形済みの代物だが、上手く語られた筋書きは、それだけで一つの真実のように捉えられる。
十分弱が過ぎる頃、室内の空気はすっかり柔らいでいた。質問は確認事項へと移り、最後に「本日はありがとうございました」と締めくくられる。私は深く一礼し、椅子を戻し、一定の歩幅で扉へ向かった。本社ビルを出るまでが面接だと教え込まれてきた。
――やがて、最寄り駅に足を踏み入れた瞬間、背筋から力が抜けた。背中を照らす真昼の陽光が、急に白く、無機質に感じられる。私は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、Slackを開いた。
『依頼者ID:S-284
依頼者名:高橋圭太
追記:一次面接、通過見込み大』
送信ボタンを押すと、すぐさま既読がつく。
数秒遅れて、上司から短い返信が入った。
『次も頼む。この仕事は信用が命だ』
……逃げるように画面を伏せる。
ついさっきまで「高橋圭太」だった舌が、ようやく自分の名前の形を思い出そうとしている。声帯の緊張がほどけ、姿勢が崩れる。改札脇の壁にもたれかかり、ゆっくりと息を吐いた。
私は「就活代行」という仕事をしている。
大学三年から就職活動が動き出す時代に、学業時間を守るために整備された公認制度だ。企業側にも利用は通知されている。本人の資料と聞き取りの記録をもとに、私はその人格を再現する。考えているふりをするための短い沈黙も、「即答しない」という選択肢も。そうして「高橋圭太が面接を受けたシチュエーション」を創り上げるのだ。これでまた一人、知らない場所で第一志望の面接を終えたことになった。
他人の人生で、私は何度も採用されている。
……改札横のガラスに映った自分の顔は、誰のものにも見えなかった。




