第2話:第3の道と、沈黙の投資
第2話:第3の道と、沈黙の投資
戴冠式の喧騒が去った翌朝。
王城の私室で、俺はカシムとアイリスに、この国の新たな「設計図」を突き付けていた。
「同じことをしていては、同じ結果だ。僕は『第3の道』を行く。帝国に屈服せず、内側から腐りもしない道だ」
俺はペンを置き、アイリスの首に巻かれた鎖を見つめた。
「アイリスに『自分の鎖を買い直せ』と言ったように、僕は、このアグリ王国という緩衝国そのものを買い直す。
そのための『種』を、今日から蒔くんだ」
カシムが眉をひそめる。
「買い直す……? 陛下、そのための資金も資源も我が国には……」
「ないなら、作る。かつて、僕がいたかもしれない世界には、
泥湿地を水路で埋め、最強の防衛網と豊かな農地を両立させた土地があった。佐賀や富岡城……。
先人の知恵をカンニングしながら、(このクソゲーを)攻略してやる」
俺の言葉は、二人には狂気の沙汰に聞こえただろう。だが、俺の頭の中には、前世の記憶という名の最強のチートシート(攻略本)が展開されていた。
■数字の暴力
数日後。
王都近郊の荒れ地に、ボルドー伯をはじめとする伝統派の貴族たちが集められていた。
「陛下、このような泥だらけの場所で何を……。
伝統ある我が国の土を、王自ら汚すおつもりですか?」
ボルドー伯が扇で鼻を覆い、嫌悪感を隠さない。
彼らにとって土いじりは奴隷の仕事であり、王が関わるべきではない卑俗なものだった。
「伯爵、伝統で腹は膨れないんだよ」
俺は、無骨な鉄の塊――『改良型魔力トラクター・アグリ1号』の運転席に飛び乗った。
前世の知識と、この世界の魔導技術を無理やり結合させた「文明の進歩」そのものだ。
資金は戴冠式の献上品、素材は城の地下倉庫のスクラップだ。
魔石のスロットルを開くと、重厚な駆動音が周囲を圧した。
「伯爵、君の自慢の奴隷10人がかりで一週間かかる開墾を、この機械は数時間で終わらせる。
見ていろ、これが『数字』の暴力だ」
レバーを引くと、深爪のような鋤が土を豪快に反転させた。
瞬く間に、荒れ地が美しい耕地へと変貌していく。
奴隷の「不満に満ちた労働」を、俺の「合理性」が物理的に粉砕した瞬間だった。
貴族たちが腰を抜かす中、俺は隣で記録を取るアイリスに視線を送った。
彼女の瞳は、驚きと共に、何らかの期待に震えていた。
■国内巡幸
俺はすぐに国内巡幸を開始した。アイリスを伴って。
表向きは「帝国産の美女に溺れ、農機という奇妙な玩具で遊ぶ若き王」という道化を演じるため。
だが、真の目的は全土への「OS」のインストールだ。
各地の農村でアグリ1号を走らせ、「この王に従えば、食える(利益が出る)」
という強烈な成功体験を民衆に植え付けて回る。
同時に、俺は彼らに「水門の操作」を叩き込んだ。
「いいか。この掘った溝は、普段は豊作のための水路だ。
だが、敵が来たら水門一つで敵を沈める罠になる。自分たちの資産を守りたければ、この操作を完璧に覚えろ。
国のために戦って死ねとは言わない」
これは「国防」という義務の押し付けではない。自分たちの「利益」を守るための手段の提供だ。
その傍らで、アイリスは完璧に機能していた。『文字を読まなくても動ける図解マニュアル』を考案した。
文字のない『紙芝居』だった。有事の際はこのレバーを引く。
ただそれだけの指示が、複雑な兵法よりも確実に農民を動かした。
彼女は、帝国語や連合語が混ざる国境付近の集落で、俺の意図を正確な現地の言葉へと翻訳した。
それだけではない。
首に鎖を巻いたまま、王の隣で知的労働に励む彼女の姿は、各地の奴隷たちにとって「希望の具体例」となった。 「彼女のように働けば、自分も鎖を外せる」――。その強烈なインセンティブが、民衆の熱量を加速させていく。
■深夜の気づき
アイリスは当初、新王に戸惑っていたはずだ。
彼女を一度も寝所に誘わず、ただひたすらに
「この文を訳せ」
「この帳簿の計算を確認しろ」
と命じ続けていたからだ。
(……この方は、私を女としてではなく、単に『帝国語ができる便利な事務官』として雇っただけなのでは?)
そんな「悪人ではなさそうだ」という安心感に近い誤解は、ある巡幸の夜に崩れることになる。
宿舎の廊下。忘れ物を届けようとしたアイリスは、部屋の明かりが消えていないことに気づき、足を止めた。
部屋の中では、王が寝る間も惜しんで地図にペンを走らせていた。
帝国と商業連合に挟まれた、アグリ王国の歪な形をした地図。
「……陛下、まだお休みにならないのですか? 明日もデモがあるというのに」
顔を上げず、独り言のように数字を吐き出した。
「……クリークを完成させないと、帝国によって、この国はまた『緩衝材』として、削り取られる」
アイリスはその時、ペンの跡が単なる設計図ではないことに気づいた。
それは、国民が逃げるための道。帝国が踏み込めない壁。
アグリ王国が「踏みつけられるだけのクッション」から脱するための、唯一の生存ルート(最適解)。
俺がアイリスに完璧な翻訳を求め、奴隷たちに利益を説き、冷徹なまでに数字を突きつけていたのは、すべて――「祈り」という不確実なものに頼らず、「理論」という確実な盾で守るためだった。
(……この方は、冷たいのではない。
この絶望的な『配置』から、一人でも多くの人を救い出すために、戦っているんだ)
アイリスは静かに俺の机へ歩み寄り、ペンを手に取った。
「……陛下。その計算、私も手伝わせてください。その方が『合理的』でしょう?」
俺は一瞬、驚いて彼女を見上げた。
アイリスは、初めて自らの意志で、事務官として、そしてパートナーとして微笑んでいた。
「ああ。……そうだな。君の知性を遊ばせておくのは、損失だな」
夜はまだ深い。だが、俺たちの手元には、確かに新しい文明の種火が点っていた。




