第4話
エマが雨の中洗濯をしていたのと同じ時、魔王城周辺には多くの冒険者が集まっていた。
皆緊張した面持ちで、いつ戦闘になっても良いように武器を構えて走り回っている。
「いたか!?」
「こっちにはいない!そっちはどうだ!」
「くそっ、どこ行きやがった!」
多くの冒険者が似たような会話をしながら、一体の魔族を探し回っている。
その中の一人、世界有数の冒険者パーティーの一員である勇者リアムは、人一倍必死に駆け回っていた。光を受けて輝く金色の髪から、大粒の汗が滴っている。
(これだけの人数で探しても見つからないなんて……。あのとき俺がとどめを刺していたらこんなことには……!)
リアムはこの件に関して、強い責任を感じていた。というのも、魔族を取り逃がしたのはリアムたちのパーティーだったからだ。そして逃げられる直前、魔族と対峙していたのはリアムだった。
「リアム!」
赤い髪の勇ましい男性が、リアムの元に駆け寄って来る。同じパーティーの戦士、ジェイクだ。
「ジェイク。そっちはどう?」
「いねえな。魔王城から相当離れたところに転移したのかもしれねぇ」
「そうか……」
リアムが拳を強く握り、整った顔を悔しさに歪めた。
ジェイクはリアムを励ますように、優しい声音で言葉をかける。
「リアムのせいじゃねぇんだ。あんま気にすんなよ」
「けど……」
「だって誰が予想できたっていうんだ?魔王が敵前逃亡なんてよ」
そう。冒険者たちが血眼になって探していたのは、魔王だったのだ。
多くの冒険者が魔王軍幹部すら倒せなかった中で、リアムたちは幹部を全員倒し、魔王の元まで辿り着いた。
リアムたちは魔王を自立不能なところまで追い詰めた。あとはとどめを刺すだけ、その油断によって、リアムの意識が一瞬魔王から逸れた。
その時だった。魔王の魔力が急激に上昇したのだ。大技が来る、その前に倒さなければと、リアムは急いで魔王に向かって走った。
しかし魔王が使ったのは攻撃魔法ではなく、転移魔法だった。魔王はリアムの前から消えてしまった。
すぐに魔王を捜さなければと思ったが、リアムたちパーティーは全員が満身創痍で、とても走れる体力はなかった。ヒーラーもほとんど魔力が残っておらず、回復ができる余裕はなかった。
この状態で魔族に会ったら、相手が下級魔族でも勝てるか怪しい。そう思ったジェイクたちは、逸るリアムを止めて休息を取ることにした。魔導士が残った魔力で冒険者協会に伝令を送り、応援を呼んだ。
一晩経って、魔王城付近まで辿り着いていた冒険者たちが応援に来た。リアムたちの回復もしてくれて、集まった全員で捜索を開始した。
そして魔王が見つからないまま、数時間が経過した。
リアムは強い後悔の念を抱いていた。自分が油断しなければ、魔王が魔力を残していることに気付いていれば、休憩せずにすぐに捜索を始めていれば。どうにもならない思いが頭の中を駆け巡る。
魔王が逃げ出した時点で人間の勝利だと考える者もいたが、そう楽観的なことも言っていられなかった。魔王を殺さない限り、戦いは終わらない。それは150年の歴史が証明していた。
「あの傷じゃ遠くまでは転移できねぇと思ってたが、結構遠くまで逃げた可能性があるな……。どうする、リアム」
リアムは悔しさを押し殺すように拳を握った。
深呼吸をして、努めて冷静に言葉を返す。
「冒険者協会に伝令を。最悪、人里まで転移している可能性がある」
「……りょーかい!」
ジェイクは明るく返事をして、魔導士の元へ向かった。ジェイクがリアムを気遣い、無理に明るく接していたのは明らかで、リアムは申し訳なさに唇を嚙み締めた。
リアムのサファイアの瞳が潤む。泣いている場合ではないと、リアムは上を向いて涙を堪えた。
リアムのサファイアの瞳。それはリアムが、滅びた王家の血を引いている証だった。リアムの祖先が王国を築いた土地は、今は魔族の領土となっている。
魔王を倒し、失われた王国を取り戻す。それがリアムの願いだった。
その願いを目前にして、自らの油断で取り逃がした。もしも時間を戻せたなら、迷わず油断が訪れる前に戻すだろう。
あまりの悔しさに、血が出るほど強く拳を握った。けれど、立ち止まっているわけにはいかない。
魔王が弱っている今がチャンスなのだ。幸いにも、ここには多くの冒険者が集まった。この人数がいれば絶対に倒せる。そう断言できるほどには魔王を追い詰めている。
リアムは自分の頬を叩いた。思いのほか大きな音に、周りにいる冒険者たちも、魔導士の元から戻ったジェイクも驚いている。リアム自身も少し驚いた。
リアムはまっすぐにジェイクを見る。その瞳には先ほどまでの後悔は無く、目標を達成する強い思いが宿っていた。
「気を遣わせてごめん、ジェイク。もう大丈夫だ」
リアムが強気な笑みを浮かべる。ジェイクは安心したように息をついた。
リアムは一つ深呼吸をすると、すぅっと大きく息を吸った。
「みんな、聞いてくれ!」
リアムの声に、周りにいた冒険者たちが振り返る。
「奴を逃したのは俺の責任だ。みんなには迷惑をかけて、本当に申し訳ないと思っている。だが、それは奴が恐れた証だ。俺たちの剣が、祈りが、確かに届いた結果だ!」
リアムが剣を高く掲げる。周りを、己を鼓舞するように、強く叫んだ。
「俺たちの勝利は目の前だ!必ず魔王を打ち、平和な世界を取り戻す!だから、どうか力を貸してくれ!!」
リアムの声に、冒険者たちが「おおー!!」と声を上げる。リアムが立ち直った様子に、ジェイクは満足げな笑みを浮かべる。
そのリアムの姿は、民衆を率いる気高き王のようだった。




