第30話
辺境の村々を回り、リアムたちはとうとう最後の土地、カンフォーレ村に辿り着いた。
「つっっっかれたー!!!」
村に入った途端、リーナがそう言って地べたにしゃがみ込んだ。行儀のいい行動ではないが、リアムもそうしたい気持ちはよくわかる。
カンフォーレ村への道は険しかった。最短ルートは鬱蒼とした森に阻まれ、しかもその森には危険な生物が数多く生息しているという。毒に明るい者がいないならば通るべきではないと、隣村の村長から強く止められた。
しかし森を迂回すると、隣村からでも丸二日かかる。結局リアムたちは回り道を選んだが、おかげで足が鉛のように重い。
しかも噂によると、この村には宿屋がない。冒険者が全く立ち寄らないからだ。
それだけ人が寄り付かないこの村は、魔王が身を隠すのには向いている。だが、魔王城からの距離があまりにも遠い。こんなところまで転移するのは、魔王にとっても負担が大きすぎるだろう。
他の冒険者たちは皆、カンフォーレ村に行くのを嫌がった。時間も労力もかけて辿り着き、何の成果も上げられなければ、帰り道が億劫になるのは目に見えている。
皆が嫌がることほど自分たちが請け負うべきと、リアムたちは自ら立候補してこの村に来たが、疲労感は想像以上だった。今万全の状態の魔王と対峙したら、間違いなく敗北するだろう。
「休憩できる場所があるといいんだがなぁ……」
村を見渡しながら、ジェイクは頭を掻いた。ざっと見た限りでは、噂通り宿屋がない。
リアムは疲れを誤魔化すように深呼吸をして、皆に指示を出そうと振り返った。
「休憩できる場所を探しながら、ついでに聞き込みをしてくるよ。みんなはここで待って……ヨルム?」
ヨルムは右腕を上げ、奇妙そうに腕の内側を見ていた。
「なんかすごい腫れてるんだけど……。これ毒かな?」
ヨルムの腕を見ると、確かに腕の内側が真っ赤に腫れていた。
「ええーーーー!!?なんで!?」
リーナが驚きの声を上げる。ヨルムは冷静に自分の腕を見ながら首を傾げた。
「昨日野宿したときにさぁ、森から離れてても森の生き物が来ることがあるからって、交代で見張りしたじゃん?でも眠かったから寝ちゃったんだよねー。そんときに刺されたのかも」
「バカじゃん!!なんのために迂回してきたと思ってるの!?」
リーナの怒りは尤もである。そもそも森を迂回したのは、万が一毒を受けた際に治癒魔法ではヨルムを治癒できないからだった。
「どうしましょう……。私、毒の知識は全くなくて……」
マリーは狼狽え、ジェイクは頭を抱えている。
リアムが辺りを見渡すと、一人の高齢女性が家から出てくるのが見えた。リーナの大きな声に驚いたのだろうか。女性は不安そうにこちらを見ている。
リアムは女性の元に駆け寄った。
「お騒がせしてすみません!少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
女性は戸惑った様子ではあるもののうなずいた。
「このあたりで、毒の治療ができるところはありますか?仲間が毒を受けてしまって……」
「それでしたら、薬師がおりますのよ。ほら、そこの……」
女性が森の近くに位置する、小さな庭がある家を指さした。
「庭のあるおうちがありますでしょう?若いけれど優秀な子でして。私の腰も彼女のおかげでどんどん痛みが引いて……」
「ええっと……」
女性の話が終わりそうになく、リアムは狼狽えた。今は長話に付き合っていられる状況ではない。
「す、少しお待ちいただけますか?仲間を治療したいので……」
「ああ、ごめんなさいね。村の外の人なんて珍しいもので、つい……」
リアムは女性の元を離れ、仲間たちの元へ駆け寄った。
「薬師がいるみたいだから、そこで診てもらおう。そこの森の近くの家らしいんだけど……」
「でもリアム、魔物って診てもらえるかな?」
ヨルムの疑問に、リアムははっとした。リアムはヨルムが魔物と人の混血であることを忘れていた。
ヨルムは人と同じ輪郭をしているが、近くで見ると魔物の要素が強い。緑の肌には鱗が生え、真っ赤な瞳は血が滲んだようにも見える。
冒険者の中ではヨルムは有名な存在であり、多くの人に受け入れられているが、初めて見る者にとっては恐ろしいかもしれない。
リアムは苦虫を嚙み潰したように顔を歪めた。
「……とりあえず行ってみよう。診てもらえなかったら、俺が薬だけもらえないか聞いてみる」
「でも魔物だーって騒ぎになったら、聞き込みどころじゃなくなるよ?僕のことは後回しにした方がいいんじゃない?」
駄目だ、と喉まで出かかって、リアムは飲み込んだ。ヨルムが言った懸念は、長い冒険の中で一度経験していることだったからだ。
「二手に分かれねーか?オレとリアムで聞き込み、お前らでその薬師のところに行く。女子供が一緒の方が、まだ安心感あるだろ」
ジェイクがそう提案し、マリーもうなずいた。リーナは面倒くさそうに「えー」と言うが、素直に立ち上がったため本当に嫌がっているわけではないだろう。
「いやー、ごめんね。僕のせいで」
「ほんとだよ。あんたがちゃんと毒虫?かわかんないけど、気づいて追い払ってたらこんなことにならなかったのに」
ヨルムは軽く笑い、リーナは悪態をつく。リアムが気にしすぎないように、あえていつも通りの空気を作ろうとしているのが見て取れた。
薬師がいるという家に向かうヨルムたちを見送り、リアムは拳を強く握った。
「リアム、あんま気にすんなよ」
「……俺さ、結構有名になったつもりでいたんだ」
リアムの唐突な話に、ジェイクは驚くこともなくうなずいた。
「魔王を探すために、新しい街にも行ったよね。俺たちを知っている人がたくさんいて、ヨルムのこともみんな受け入れてくれた。自分たちの冒険は、魔王を倒す以上の意味を生み出したんだって、嬉しくなったんだ。でもそれは限られた大きな街の中でのことで、辺境では、俺たちのことは全く知られていなかった」
「……ああ」
リアムは真っ青に晴れた空を見上げた。これはリアムの癖だ。苦しくて泣きたいときに、涙が落ちてしまわないように。
「悔しいよ。俺たちの影響なんて、まだその程度なんだって」
「……そりゃそうだろ。魔王ですら知られてねーんだ」
そう言って、ジェイクは鼻で笑った。
「オレたちが始めて魔王に会ったとき、気づかなかったろ?人の姿だったとはいえ、角と目しか変わんねーんだから、気づいてもよさそうなのによ」
ジェイクの言葉に、リアムはつられたように笑った。
「確かにそうだね。あのときは本当に親切な青年としか思ってなかった。道に迷った俺たちを、近くの村まで案内してくれて、騙すわけでもなく、本当に村に送り届けてくれただけだった。……まさか魔王だなんて、思いもしなかった」
リアムは懐かしそうに目を細めた。
「……今なら、どうして魔王にとどめを刺せなかったのかわかるよ。俺は心の奥で、彼を殺したくないと思っていたんだ。彼とはわかり合えると思っていた。……いや、今でも思ってる。魔王は大切なものを失う痛みを知っているから」
リアムの頬を風が撫でる。リアムは過去を思い出すように目を伏せた。
「魔王は部下が自分を裏切っても、殺すことはなく、ただ除名しただけだった。見捨てられたってヨルムは言ったけど、俺は、ヨルムの新しい道を尊重してくれたんじゃないかと思ってる」
リアムは手のひらを見つめ、決意するように拳を握った。
「俺は今度こそ、魔王とわかり合いたい。対立は種族の違いで起こるんじゃないって、俺は信じてる。だからもう一度、今度こそ、共存の道を一緒に考えようって、魔王に伝えてみる。甘いことを言ってるのは、わかってるけど……」
リアムの頭に、ジェイクが元気づけるように手を置く。リアムがジェイクを見上げると、ジェイクは豪快にニカッと笑った。
「甘いのはいつものことだろ。お前のその甘さに、オレたちは救われたんだぜ」
ジェイクの笑顔に安心して、リアムは真剣なまなざしで笑い返す。
ジェイクはリアムの髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「よしっ!それじゃあ聞き込みと行くか!」
そう言って、ジェイクは先ほどリアムが話を聞いた女性の方へと歩き出した。
リアムは髪を整えながら、元気よくジェイクを追いかけた。




