第2話
昼食の後、エマは家の北側にある森に薬草を採りに来ていた。
この森には薬の材料になる植物や虫が多いため、エマは毎日のようにこの森へ足を運んでいる。
目当ての植物を見つけると、素手でもぎ取り布袋に入れる。薬になる植物は毒性の強いものも多く、素手で触れるのは非常に危険なことなのだ。しかしエマは抗体ができてしまったのか、何の症状も起こらない。屈強な男性でさえ逃げ出すような毒蜘蛛も、エマは平然と素手で掴み、袋に入れた。
エマは森が好きだった。人がほとんどおらず、開放感に満ちている。人間関係ほど煩わしいものは無いと考えるエマにとっては、毒蜘蛛と戯れる方がよほど気が楽だった。
少し奥まで歩き、張り出した木の根に腰を下ろす。そこはエマが幼いころ、一緒に森に入った祖母がいつも腰掛ける場所だった。
祖母は「治せない病は無い」と言われるほど優秀な薬師だった。都会のヒーラーにも治せなかった病が、祖母の薬でみるみるうちに改善したときは驚いたものだ。本物の魔法よりも魔法のようだと思った。
祖母にとっては大したことではなかったらしいが、エマが憧れるには十分な出来事だった。
祖母のように、どんな怪我も病も治せる薬師になる。それが幼いエマの夢であり目標だった。
今ではそこまで壮大な目標は持っていない。薬の研究は趣味で続けているようなものだ。けれど、自分の身近な人の症状を和らげてあげる程度のことはできるようになりたいと思っている。
懐かしさに浸りながら休憩したところで、採集を再開する。欲しい薬草はまだまだたくさんあるのだ。
森の奥で珍しい植物を見つけてしまい、夢中になっているうちに、すっかり日が傾いてきてしまった。さすがに夜の森は危ないと、エマは急いで来た道を引き返す。
少しでも近道をしようと、普段はあまり通らない獣道を駆け抜けた。
不意に、地面ではない、やわらかい感触が足に触れた。
踏んではいけない。そう直感して、無理やり足を広げてそれを飛び越える。運動不足がたたり、股関節が悲鳴を上げた。
痛みをこらえながら立ち止まって振り返る。思った通り、地面には踏んではいけないものが転がっていた。
どう見ても、それは人の形をしていた。
痛む股関節をこすりながら、エマはうつ伏せに倒れている人の近くに屈んだ。見たところ、かなり長身の青年である。
よくよく青年を観察し、エマは思わず顔をしかめた。
青年の体には、痛ましい傷が無数にあったのだ。
まず目に入るのが全身の火傷だ。着ている黒い服も、焦げて原型をとどめていない。元は長かったと思われる髪も、長さがまばらで、所々縮れていた。
服を捲ると、脇腹付近に刃物が貫通したような跡がある。そこそこ大きな刃物だと思われるが、冒険者に剣で刺されたのだろうか。
転がして仰向けにしたところで、右腕の二の腕から下が失われていることに気づいた。出血もひどく、地面は真っ赤に染まっていた。
太ももの大きな血管が通っている箇所も切り裂かれ、どくどくと血が流れている。
あと目に入る中で大きな傷は、左目に縦に入っている切り傷だ。かなり深く入っており、眼球にも影響が及んでいるだろう。
出血量から考えると、生きている可能性はかなり低い。しかし触れた体が温かかったことから、エマは青年の首筋に手を当て、脈を確認した。
(……弱いけど脈がある。まさか生きてる?)
エマは青年の呼吸も確認した。かなり弱々しいが、呼吸をしている。
(まだ生きてる)
それからのエマの行動は早かった。
エマはスカートの裾を迷わず裂き、切断された腕を縛った。木の枝を拾って布の間に差し込み、ねじって血管を圧迫する。他の傷口も布や蜘蛛の糸を使って塞いだ。
エマは青年を背中に担いだ。重みに挫けそうになるが、何とか気合で足を踏み出した。
エマの専門は薬を調合することで、傷を診ることではない。だが小さな村では専門など関係なく、多くの傷と病を診てきた。
助けられるかはわからない。けれど、カンフォーレ村の中で青年を救える可能性を持っているのはエマだけだ。見捨てるという選択肢は、エマの中になかった。
何とか家に着くころには、傷口から滴る止まりきらない血のせいで、エマの服は真っ赤に染まっていた。
そんなことには気にも留めず、エマは裏口から家に入った。正面から入って万が一患者と遭遇したら、驚くどころではないだろう。アンナのような心配性であれば、卒倒してしまうに違いない。
ほとんど使われていない、患者用のベッドに青年を寝かせる。ようやく体が軽くなり一息つきたいところだが、そんな猶予は無い。
薬草を煮出した水に布を漬け、水が滴らなくなる程度に絞る。その布で全身を拭き、傷口の消毒を行う。
切断された腕は、残念ながら生えてくることは無いだろう。止血を最優先にし、熱したナイフで焼いた。
他の切り傷は薬草や布を重ねて巻き、火傷には祖母直伝の軟膏を塗った。
他にできることはないか、エマは祖母の残した研究資料を漁った。
これほどの大けがの対処は、エマにとって初めての経験であった。正直なところ、処置が合っているかも不安である。研究資料でも探していないと落ち着かなかった。
多少の改良を施したものの、結局これといった資料は見つからず、あとは青年の生命力に賭けるしかなさそうだった。
エマは青年が眠るベッドを背もたれにして座り込んだ。
(こんなに落ち着かないの、生まれて初めてかもしれない)
心臓が、いつもより早く鼓動しているのがわかる。
こんな時、祖母がいてくれたら。そう思わずにはいられないが、残念ながら祖母は数年前に他界した。
何とか落ち着こうと、エマは大きく深呼吸した。部屋に充満する鉄のにおいが鼻を衝く。
ただ祈ることしかできない現状に、胸の奥が締め付けられる。エマは生まれて初めて、悔しいという感情を覚えた。




