第8話
お父さんとおばあちゃんは自分の部屋へ行ったみたいだ。
僕はリビングでテレビを見ながら、時々キッチンに立っているお母さんの様子を窺う。水を流す音、食器と食器のぶつかる音が聞こえる。まだ、お風呂に入る様子はない。
テレビを見ているが全く頭に入ってこない。意味もなくスマホを触ったり、テレビに目をやったり、お母さんの様子を窺ったりを繰り返した。
お母さんがエプロンを外し、移動し始めた。たぶん脱衣所に向かった。
耳を澄ましていると、浴室のドアが閉まる音、シャワーの音が聞こえ出した。
よし、計画を実行する。
計画では、土曜日までにお母さんのスマホから、写真とか、メッセージのやり取りとか、不倫の証拠になりそうなものを写真に撮る。でも、こんなことさっさと終わらせたいので、できれば今日すべて証拠を集めたい。
脱衣所の前に立つ。心臓がドクンドクンと激しく脈打っている。
脱衣所のドアをゆっくりと開け、洗面台に置いてある歯ブラシを取った。歯磨きをしに来たことにすれば怪しまれない。歯磨き粉も取って歯ブラシにつけようとするが、手が震えて上手くつけられない。慌てるな。落ち着け。
歯ブラシを口に咥えて、周りを見渡す。着替えを置くカゴを見ると、服の上にお母さんはスマホを置いている。音を立てないようにお風呂のほうを見ながらスマホを手に取った。
画面をつけると、顔認証などのロックはかかっていない。よし、このまま写真から見てみよう。手が震える。見つかったら終わりという状況で、緊張しているのもあるけれど、親の不倫の写真とか正直見たくなくて手に変な力が入る。見てしまったらまた吐き気に襲われそうだし、そこにいるお母さんに怒りをぶつけてしまいそうだ。
「誰かいるのー?」
自分の体がびくっと跳ねた。一瞬心臓が止まったかと思った。やばい。スマホが手から離れて、スローモーションのように床に向かって落ちていく。
ゴトンっと大きな音を立ててスマホが床に落ちた。
すぐに拾って、スマホを元の位置にそっと戻す。
「僕! 真絃! 歯磨き中!」
「あー真絃か。なんかすごい音したけど大丈夫ー?」
「大丈夫!」
今日はもうやめよう。これ以上はバレそうだし、このままじゃ心臓がもたない。
先輩に今日は失敗したと、あとでメッセージを送ろう。
自分の部屋に入って、ベッドにダイブする。ふぅ、と息を吐き、空気を多めに吸う。やっとちゃんと肺に酸素を取り込めた気がする。まだ心臓がドクンドクンと脈打っているのが手まで伝わってくる。これをまた明日すると思うと頭が痛い。お母さんが不倫なんてしなければ、こんなことしなくて良かったのに。
とりあえず先輩にメッセージを送る。
『今日はバレそうになったので、中止しました。また明日頑張ります』と送った。
ベッドの上で横になっていると、先輩から返信が来た。
『こちらはパパが今日帰ってくるのが遅くて無理でした。私も明日頑張ります』
良かった。先輩もまだだったんだ。
初めてメッセージのやり取りをしたけれど、今時の女子が打つようなメッセージとかけ離れて、先輩らしさが伝わってくる堅苦しい文面だ。先輩が難しい顔をしながらメッセージを打っているんじゃないかと想像して、ふっ、と笑いが出る。
『お互い明日頑張りましょう! あの……先輩ってメッセージのやり取りはいつもこんな感じなんですか? 僕、後輩だし、こんな堅苦しい文章じゃなくていいですよ』
メッセージを送ると、またすぐに返信が来た。
『明日は頑張ろう! えっと……堅苦しくないメッセージってこんな感じでいいのかな? この前も言ったけど、メッセージ送り合う友達がいないから、慣れてないんだよね』
先輩のぎこちないメッセージが、僕の心を熱くさせる。新たな一面を見れて、先輩のことは僕だけが知っているんだと思うと、心から全身に熱さが広がっていく。最初は怖かった先輩だけれど、今は本当に仲良くなれそうな気がする。
『はい! そんな感じですね! 何かあったらいつでもメッセージください。一応友達なんで』
『ありがとう。じゃあまた明日ね!』
『はい。おやすみなさい』
『おやすみなさい』
もう返事は来ないと思ったのに、律儀におやすみなさいの返事が来た。先輩は途中で面倒くさくなって、返事をしなくなるタイプだと思ったけれど、最後まで返事を送ってくれるんだな。意外に真面目なところがある。意外とか言ったら怒られそうだけど。
スマホの画面を閉じると、またスマホが鳴った。
また先輩からだ。言い残したことがあるのか? と思いながら僕は起き上がってメッセージを開く。送られてきたのは写真だった。たぶん猫だ。グレーの毛並みで、瞳の色が水色っぽい猫。何だかこの猫、先輩に似ている気がする。先輩に似ていて美人な猫だ。
『猫ですか?』
『うん。ウチの猫なんだけど、今可愛く撮れたからつい送っちゃった。おやすみって言ったのに送ってごめんね』
ふと前にある鏡で自分を見ると、口角が上がっている自分がいた。さっきまで、自分の母親の不倫の証拠を集めていたとは思えない表情だった。
にやにやしている自分をみて、頬を軽く叩いた。先輩とは特殊な友達なんだ。にやにやするな自分。
『先輩に似て美人ですね』とは送れない。
『全然いいですよ。美人な猫ですね。癒されました。ありがとうございます』と送った。
『そうでしょ? 美人さんなの。じゃあ今度は本当におやすみなさい』
僕からはもう返信はしなかった。友達になりたいとは言ったものの、親しくしすぎるのはだめだ。
親同士が不倫しているから先輩とは友達になれた。親が不倫をしていなかったら、一生関わることはなかった。こんなことを考えても無駄だけれど、先輩とは普通に友達になりたかった。
次の日の夜。またお母さんのスマホを見るために昨日と同じ作戦に出た。
こういうことは何回しても慣れないだろうな。昨日と同様に心臓がドクンドクンと鳴っている。
お母さんは僕に気づいていない。スマホで写真や、メッセージのやりとりを調べたけれど、何も見つからなかった。
ここまで頑張って何もなしか。
部屋に戻って、先輩にメッセージを送る。
『スマホ見たんですけど、写真もないし、メッセージのやりとりとか見つかりませんでした。たぶん毎回消してるんでしょうね』
ベッドに横になって、返事が来るのを待つ。昨日はすぐに返事が来たが、今日はなかなか返事が来ない。
一時間後、スマホが鳴って急いで画面を見ると、先輩からのメッセージだった。
メッセージを開くと、『証拠を押さえました。明日見せます。明日放課後、公園集合で』と書かれていた。
今日は、先輩に初めて話しかけられた時のような冷たさを感じる文章だ。まぁそうなるのは分かる。見たくもない不倫の証拠を目の当たりにしたんだ。僕だったら、スマホを床に叩きつけ、お母さんが気持ち悪くて吐いていたかもしれない。
明日、少しでも先輩の不快な気持ちを和らげてあげたい。せめてその気持ちを僕と半分に分けて楽にしてあげたい。




