最終話
黙々と歩く凛華先輩の背中を見つめながら、僕も黙々と歩く。先輩は、どんな時でも姿勢が良くて、堂々と歩いている。先輩の顔が見たい、大丈夫なのか聞きたい。でも、僕は先輩の背中を見続ける。
駅に着いた。
先輩が立ち止まり、僕のほうを向いた。
「昨日行けなかった公園に行かない?」と伏し目がちな先輩が言う。
やっと顔が見れた。さすがに元気がなさそうだ。
「はい。行きましょう」
僕達は電車に乗り、昨日行こうとしていた公園へ向かった。
公園に着くと、昨日先輩が言っていたように、人がいない。誰の気配もない静かな空間があった。
滑り台とブランコがあるけれど、もう何年も触ってもらえていない雰囲気をまとっている。
公園へ足を踏み入れると、今朝まで降っていた雨のせいか、地面が少しぬかるんでいた。
先輩はそんなことは全く気にしていないようで、土に足跡をつけながらベンチに向かってどんどん進んでいった。
ベンチに近づくと座る部分が濡れていた。僕はカバンからタオルを取り出し、ベンチを拭いた。
「さすが真絃」と言って先輩がいつもの笑顔を見せた。
良かった。笑ってくれた。僕の心の凝りが少しほぐれた。
僕達はベンチに腰掛けた。
先輩は真っ直ぐ前を向いている。それを見て僕も真っ直ぐ前を見た。
先輩が何か話してくれるまで、僕は話さない。
風が吹き、木を揺らし、葉が触れ合う音が聞こえる。葉が触れ合う音の奥で、ガタンゴトン、とかすかに電車の走る音が聞こえた。
風が突然止んだ。徐々に葉が触れ合う音も止んできた。
「今日はありがとう」と先輩が言った。
「いえ……。先輩、大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ」
力が抜けたように先輩は笑った。再会してから一番安心したような目をしていた。
「それなら良かったです」
「でも、別れを言うのって心がすり減っちゃうね」
「そうですね。どんな形であれ、別れは辛いものですよ」
先輩は俯き、長い髪が邪魔をして顔が見えない。
風がまた吹き始めた。
先輩の髪がなびいて横顔が見え隠れする。鋭い目はしていない。
「私が別れたいって早く言ってたら、誰も傷つかなかったのかな」
「……少なくとも付き合っている二人が別れる時って、お互いに傷つくんじゃないですかね。振るほうも、振られるほうも傷つくと思います。それに、元カレは他にも浮気相手がいたんでしょ? 元カレはもう誰かを傷つけていたはずだから、先輩は気にしなくていいんです」
「そうなのかな……。あと、春菜にはあぁ言ったけど、普通このまま友達ではいられないよね。裏切ったこと忘れないって言っちゃったし……」
「僕には分からないですけど、先輩が友達でいたいんなら、今まで通り関わればいいんじゃないですか? 相手次第ですけど……ほら、特殊な友達として」
「私達みたいな特殊な友達?」
「そうです。僕達みたいに」
「特殊な……友達……」
先輩が僕を見る。僕から目を離してくれない。僕も目を逸らすことができない。またこの瞳に吸い込まれそうだ。
ベンチに手を置くと、先輩と僕の指が重なった。
僕は先輩の手を握った。
「手を繋いだら、手がぶつからない?」と先輩が言う。
「……何でそれ覚えてるんですか。忘れてください」
「忘れないよ。真絃と過ごしたことは全部忘れない。覚えていたい」
「そうですか……。ちなみに僕は今、先輩と手を繋ぎたいから手を握ってるんです」
「そっか……」
「というか、こうやって流されちゃダメですよ。ちゃんと拒否しないと」
そう言って僕は手を離し、目を逸らした。
「流されてない」
先輩が僕の手を握った。
「え……」
もう一度先輩を見た。力強い目を僕に向けてくる。
「私も真絃と手を繋ぎたい。真絃が昨日、自分を信じて幸せになってって言ってくれたから……だから手を繋ぎたい」
先輩が、離さないと言っているかのように、僕の手を強く握っている。手から先輩の感情が僕に流れ込んでくるような気がする。
「先輩、訊いてもいいですか?」
僕は遠くの空を見つめた。空が茜色に染まりかけていた。
「うん。いいよ」
「今、僕じゃない他の誰かを想っていますか?」
先輩が僕の手を更にぎゅっと握ってくる。
「他の誰かなんて想ってないよ。今、手を繋いでいる人のことしか想ってない。ずっと前から同じ人を想ってる」
僕の心臓が強く脈打つ。心に甘い液体が注がれていくようで、徐々に心が満たされていく。
「そっか……そっかぁ」
僕も先輩の手を強く握り返した。目頭を押さえたくなった。空を見上げて、目から何かがこぼれ落ちないようにする。
「真絃は? 他の誰かを想ってる?」
「他の誰かが僕の中に入れないくらい、今手を繋いでいる人を想ってますよ。僕の中はその人でいっぱいです」
「そっかぁ……」
先輩を見ると、空を見ながら優しく微笑んでいた。僕も同じように笑った。
「ねぇ真絃。私達一緒にいていいのかな? 親同士が不倫してたのに、子供が一緒にいるって変じゃない? 誰にも祝福されないよ? 真絃のお父さんが知ったら、傷つくよ?」
「そうですね……僕もあれこれ考えてたんですけど、今先輩とこうやって手を繋いで分かりました。僕は僕の気持ちを大切にしたいって。先輩も先輩の気持ちを大切にしたらいいと思います。それと、僕達は元々特殊な関係だったじゃないですか。特殊って、特別だと思いません?」
「特別……」
「特別な関係になるんです。あと、少なくとも一人は祝福してくれますよ」
「誰?」
「湊」
「湊くんかぁ。今度三人で話したいね」
「そうですね」
「真絃のお父さんは? 絶対傷つけると思う。私が不倫相手の子供だって知ったら嫌な気持ちになるでしょ?」
「嫌な気持ちにはなるとは思います。でも、もう僕達は親のこと、考えなくていいと思うんです。親に振り回されてきたんだから。でも、お父さんにはちゃんと話してちゃんと僕達のことを分かってほしい。もちろん先輩のご両親にも」
「うん……」
「今はもう考えるのやめましょう。僕は今、先輩のことだけ考えたい」
「そうだね。私も今は真絃のことだけ考える」
空を茜色に染めている夕日が、僕達のことも茜色に染めた。
「凛華先輩」
僕は先輩のほうに体を向ける。
「何?」
「立ってもらえますか?」
「立つ?」
「うん。立って」
先輩の手を引っ張って一緒に立ち上がった。先輩は不思議そうな顔をしている。
僕はゆっくりと先輩を抱きしめた。先輩の細くて折れそうな体が僕の腕の中に収まる。頭を撫でると、黒くて長い髪が指の間をすり抜けていく。
「抱きしめたいから抱きしめたの?」と先輩が僕の胸元で言う。
「そんなこと訊かなくていいんですよ。ちなみに、先輩が寒そうだから抱きしめてあげているんです」
「寒くない……そこは抱きしめたいからって言ってよ」
「先輩こそ、寒い暖めてって言ったらいいんですよ」
「ふふ。何それ」
先輩も僕を抱きしめてくれた。心の奥底まで温まっていく気がする。
「先輩。僕の気持ちをちゃんと言ってもいいですか?」
「うん」
「先輩のそばにいたいです。だから……その……その……」
その先の言葉が出てこなかった。頭に浮かんでいるのに言葉にできない。息はできるのに、声にならない。その言葉だけが言えない。
僕には言えない。
「真絃。その先の言葉は言わなくていいよ。分かってるから。私達にはその言葉は重すぎるんだと思う。約束みたいな、契約みたいな言葉はいらない。そばにいたい。それだけでいいよ。だって私達は……」
「愛を信じられないから?」
「うん」
先輩を強く抱きしめた。先輩も僕を強く抱きしめてくれた。
僕達に言葉はいらない。
僕達は愛を信じられないから。
でも、僕は二人で築いていく愛を信じてみたくなったよ、先輩。
あとがき
僕達のことを最後まで見守っていただきありがとうございました。
小説は一旦完結ですが、僕達の物語はこれからも続いていきます。
もしかしたらまたお会いすることがあるかもしれません。
その時はまた僕達を見守ってください。
さよならは言いません。
またどこかで
倉橋真絃
***
作者から
作者の七瀬乃です!
最後まで読んでいただき本当に本当にありがとうございました!
誰か一人でも読んでもらえる方がいたら……という思いで書いてきました。
最後まで読んでもらえるなんて奇跡に近いです!
本当に応援ありがとうございました。
もしよろしければ、評価、感想をいただけると、とっっっても嬉しいです!
よろしくお願いします。
いつかまた小説を読んでもらえるように頑張ります!
七瀬乃




