第33話
教室の窓を開け、外を眺めると、アスファルトの道路が濡れていた。窓から少し顔を出すと、生暖かい空気が上がってくる。アスファルトが濡れた独特な匂いがする。
空を見ると、雲の隙間から光がさしてきた。今日はこのまま晴れてくれたらいいのだけれど。
そういえば先輩、風邪ひいてないかな。
「真絃〜昨日先輩と話せた?」
湊が肩を組んで訊いてくる。
「あぁ、話せたよ」
「結局どうなった? 別れるって?」
「別れるか知らない。先輩がこれからどうするか分からない。僕にできることはもうない……」
「そっか……なんかもどかしいな」
湊が窓に背を向けた。僕は雲の隙間から顔を出している青い空を見る。
「もどかしいけど、僕は後悔してないよ」
「そっか……。先輩とお前、これからも友達でいられるんだよな?」
「どうだろうね……」
もしも先輩が彼氏と別れて僕と今まで通り関わってくれるのなら、僕も今まで通りにする。でも、彼氏と別れなかったら、僕はもう関わらない。
湊が僕の顔を覗いてくる。
僕は、「な、何?」と言って湊から目を逸らす。
「うん。覚悟ができた目をしてる。迷いがない目だ」
「どんな目だよ。いつもと変わらないよ」
「今までは俯いてたっていうか、目が揺らいでたっていうか、今は真っ直ぐ前を向いてブレてないっていうか」
「いつもと変わらないと思うんだけどな。自分じゃ分からない」
「真絃は分からなくていい。俺が分かってればいいんだよ!」
湊がわざとらしく歯を見せて笑っている。僕も一瞬だけわざとらしく歯を見せて笑った。
雲が流れ、太陽が見えてきた。陽光が僕等を包んでくれる。
「あ、先輩だ」と湊が言った。
振り向くと、前髪を切った凛華先輩がいた。高校生の時みたいに、真っ直ぐに揃えられた前髪の先輩が僕に向かって歩いてくる。力強い目を僕に向けている。
先輩が僕の前で立ち止まった。
「倉橋真絃。今日、十七時、正面玄関に集合」
「えっ?」
先輩が去っていく。
「待ってください!」と僕が言ったけれど、先輩は教室を出て行った。
「え、なんか見たことある光景……」と湊が言う。
「うん……僕も見たことある」
「先輩怒ってた?」
「いや、あれは……」
高校生の時と一緒だ。最初に声をかけられた時の先輩を思い出す。あの時もあの力強い目で、僕を見下すように見ていた。怒っているんじゃない。きっと先輩は話したいことがあって僕を呼び出しているんだ。
十七時、正面玄関へ向かう。
ここの角を曲がればガラス張りの正面玄関が見える。角を曲がると、玄関の外に凛華先輩の姿が見えた。凛華先輩が楽しそうに話している。
先輩は一人じゃない。
先輩の横には、先輩の彼氏、友達の春菜がいる。三人で楽しそうに話している。
僕は二、三歩下がり、壁に身を隠した。
どういうことだ? 凛華先輩、一人だと思い込んでいた。たまたま今三人でいるだけなのか? 昨日の今日で何であんなに楽しそうに話しているんだ? 僕は今からあの中に飛び込んでいかないといけないのか?
これ、先輩の彼氏から殴られたりしないよな。いや、別に殴られてもいい。僕は心のどこかで覚悟していたはずだ。その覚悟で先輩達を別れさせたかった。
でも、足がすくむ。動け、この足。自分の太ももを思いっきり殴った。ジンジンと痛みが広がっていく。
何が起きても大丈夫、と自分に何度も言い聞かせる。
殴った所の痛みが消えてから、重い足を動かし正面玄関へと向かった。
玄関を出ると、凛華先輩と目が合った。
「あ、真絃きた! こっちこっち」と凛華先輩が笑顔で手招きをしている。
僕は軽く会釈をし、先輩に近づく。
「は? もう一人って真絃くん? この四人でご飯行くとかおもしれーじゃん」と先輩の彼氏が笑いながら言う。
この四人でご飯? どういうことだ?
「本当うけるー凛華、何でこのメンツ?」
友達の春菜が、巻いている髪を指に巻き付けながら言った。
「あ、ごめん。ご飯行くのは嘘」
作ったような笑顔を見せながら先輩が言う。
嘘? さっきからなんなんだ? この状況が全く飲み込めない。
「は? 意味分かんねー。何で俺達集められたんだよ」
不機嫌そうに、先輩の彼氏が言う。
「まず、真絃には見届けてもらうために呼んだ」
見届ける? 何を見届けるんだ? 僕は何もせずにここに立っていればいいのか?
「は? 見届ける?」と彼氏が言う。
「え? 何? 何?」と友達の春菜が楽しそうな表情を浮かべている。
凛華先輩を見ると、目が合った。先輩が微笑んで、見てて、と言っているかのような目だった。先輩の目はどんな宝石よりも輝いていた。
「蓮。別れよう」
先輩が言った。別れよう、と言った。
昨日僕が言ったこと、先輩の心に響いていたんだ。先輩が幸せになる選択をしてくれた。僕に見届けさせてくれた。
「……は? いきなり意味わかんねぇんだけど。何でこんな場所で、関係ない二人呼んで、別れ話するんだよ」
「関係あるでしょ? 春菜と浮気してるの知ってるよ」
友達の春菜が一瞬目を見開いた気がした。
「は? 凛華何言ってんの? 私が凛華の彼氏と浮気? するわけないじゃん」と春菜が言う。
「しょ、証拠もねぇくせに、ふざけんなよ」
先輩の彼氏がそう言って、人を馬鹿にするような目をしている。いつでもあの目をするんだな。こんな追い詰められた状況でも。
「証拠ならあります」と僕は言った。
「はっ? お前関係ねぇだろ! 何でお前が証拠とか持ってるんだよ! 黙ってろよ!」
彼氏が僕に近づいてくる。
「嘘じゃありません」
僕も一歩前に出て、決して彼氏から目を離さなかった。
「真絃。大丈夫だよ。私も証拠持ってるから」
「は?」と彼氏が何もかも失ったような顔をする。
先輩がスマホを操作して、彼氏に画面を向けた。
「はい。証拠。春菜とのメッセージのやりとり」
「こ、これはふざけて送っただけだよ! なに勝手に人のスマホ見てんだよ!」
先輩がまたスマホを操作して、彼氏に画面を向ける。
友達の春菜は、先輩から目を背けている。
「これは春菜と蓮が裸で写ってる写真。バカだね。こんな写真をスマホに残しておくなんて」
「くそっ! ……だいたいお前が悪いんだからな!」
「凛華先輩は悪くない」
僕は咄嗟に言ってしまった。火に油を注ぐだけなのに。
彼氏が僕を睨んでいる。
「真絃。ありがとう。でも、私も悪い。蓮。これだけは謝らせて。蓮のこと好きになれなくて本当にごめんなさい」
「……凛華が全部悪い」
彼氏が俯いて小さな声で言った。
「好きになれなかったのは悪いと思ってる。でも、浮気するのは間違ってる。浮気相手、春菜だけじゃないでしょ?」
「「えっ?」」
僕の声と、たぶん友達の春菜の声がかぶった。
浮気相手が一人じゃなかった?
この人最低だ。
彼氏は俯いて黙っている。
先輩は話し続ける。
「蓮。これからも浮気を続けたら、いつか痛い目みるよ。それに、蓮がしてることは必ず誰かを傷つける。もう誰も傷つけないで」
彼氏は黙ったままだ。友達の春菜を見ると、涙を流していた。先輩は友達の春菜を見て、苦しそうな表情をして、また口を開いた。
「春菜。今の春菜の表情を見て分かったよ。蓮のことが本気で好きだったんだね。でも、春菜のしたことは間違ってる。これからは大切な友達を裏切らないで。私は……春菜とこれからも友達でいてあげる。でも私を裏切ったことは忘れない」
「凛華……ごめん」
友達の春菜が振り絞ったような声を出した。
「蓮。今までありがとう。春菜。またね」
先輩はそう言って微笑んだ。
「真絃、行こう」と先輩が歩き出した。
僕は立ちすくんでいる二人に軽く頭を下げて、先輩の後を追った。
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