第7話 アメジストの温もり
⑦
◆◇◆
目を覚ますと、木と土の香りがアリアの鼻腔を満たす。パチパチと鳴っているのは焚き火の音だ。もう夜は明けているようで、木々の隙間から柔らかな光が差し込んでいた。
――ずいぶん、懐かしい夢を見た……。
眠気の残る眼を擦りながら徐に体を起こす。どうやら想定していた以上に深く眠ってしまっていたらしく、気怠さはあまりない。森の中は基本的に危険だというのに、不用心なことをしたものだと反省する。可能な限り魔物などへの対策はしていたが、それでも運が悪ければ、それらを掻い潜って寝首をかかれていた可能性があった。殺されないまでも人攫いにあえば奴隷の仲間入りだ。
「おはよう、アリア」
「ええ、おはよ、う……?」
急速に意識が覚醒していく。夢の影響か、当たり前のように返事をしてしまったが、それは聞こえてはいけないはずの声だ。思えば、焚き火の音がした時点でおかしいと気付くべきだった。
「まったく、先に行くならそう言ってほしかったな」
アメジストにも似た紫の瞳は、言っている内容とは裏腹に悪戯っぽい光を宿しており、怒っている様子はない。その金髪は相変わらずサラサラとしていて艶が良く、中性的な美貌には爽やかな笑みが浮かべられている。それでいて男らしさも感じる顔立ちなのだから、隣に立っているだけで世の女性から嫉妬の眼差しを向けられてしまいそうだ。
「どうして……」
「どうしてって、何も言わずに居なくなられたら心配にもなるさ」
「そうじゃなくて!」
つい声を荒げてしまって、口を押さえる。かつて裏切られ、捨てられた時のことを思い出したからか、アリアの心は不安定になっていた。
一度深呼吸をして、もう一度問いかける。
「どうして、追いかけてきたの。あの街までだって話だったでしょう」
「その後別れるなんて話はしてなかったからね」
「それは、そうだけど」
この青年は分かっていて屁理屈を並べているのだ。きっとルネを民衆から助けたときも、こうしてよく回る口で丸め込んだのだろう。
「じゃあ、今からそういう話をしましょう。もう私に、あなたと一緒に行く理由はない。一人旅に戻りたいの」
意識して強い口調を作るが、セスに効いた様子はない。いつものように妙に気品のある態度を崩さないまま、柔らかく微笑んでいる。それでいて、
「本当に?」
なんて返してくるものだから、憎たらしくすら思ってしまう。それなのに、アリアは、すぐに返事ができなかった。セスと行動を共にする理由がないと、断言できなかった。
脳裏に浮かぶのは、ルネを送り届けるまでの三日間だ。楽しかった。食事も、普段とは比べものにならないくらいに美味しかった。
それがあんな夢を見た原因だということも分かっている。また裏切られる。あの時のように捨てられる、傷つけられる。心がそう叫んでいる。
分かっているのに、セスを拒絶できない。
「いや、正直に言おう」
揺らいでいるのを見透かしたように、セスは続ける。
「俺はアリア、君と旅がしたい。一緒に行きたい。ダメかな?」
そんな風に真っ直ぐ言うのはずるい。そう思ってしまった時点で、アリアは自分の負けを悟った。アリアも本音では、もう一度、セスと旅をしたいと思っていたから。
素直に受け入れられないのは、また裏切られることへの恐怖が原因。裏を返せば、セスのことを信じたいと思っているということでもあった。
――怖い。嫌だ。だけど、もう少しだけなら……。
魔女とバレなければ良いのだ。ひと時の夢に浸るくらいなら、きっと大丈夫。満足するまでの間だけ旅をして、それから別れれば良い。そう自分に言い訳する。
「……分かったわ。少しの間だけなら」
「うん。ありがとう」
アリアにはその真っ直ぐな笑顔が眩しかった。
「そうと決まれば、さっそく朝食にしよう」
セスの取り出したのは、街で買ったらしい白パンに焼いた干し肉と卵を挟んだものだ。自分のお腹が鳴るのが聞こえて、アリアは頬を赤らめる。
「あ、ありがとう」
「それからさ、少し、寝てもいいかい?」
顔を隠すように両手で持っていたパンを少し下ろし、セスの顔をじっと見る。先程は気がつかなかったが、よく見ると、目の下には薄く隈ができていた。
その意味が分からないアリアではない。セスはどうしてそこまでしたのか、少し、不思議に思った。
――見た目に惚れた、って感じはしないのに……。
「ええ、どうぞ」
朝食を口に運びながら、すぐに寝息を立て始めたセスの寝顔を眺める。本当に、不思議な青年だった。
これまで出会ってきた男達のような嫌らしい下心は感じないのに、妙にアリアを気にかけてくれている。それだけでも十分変わっていると感じるが、魔女と疑われた人間を庇い助けていたのだから尚更だ。本物の魔女ではなかったとはいえ、このベアテス帝国でそんなことをするのがどれほど危険か、分かっていないはずもないだろうに。
自らが迫害され、石を投げられる立場になりかねない危険を冒してまで彼が行動した理由。少しだけ、料理とは関係ない部分で、セスという人間に興味が湧いた。
――その内、機会があったら聞いてみよう。教えてくれるかは、分からないけど。
セスの用意してくれた朝食は、やはり温かくて、美味しかった。




